第13話 セレスト・イグニスの告白2

 いけないと思うのに、ひゅっと息を飲んで言葉を失ってしまう。

 ヴァイナスの目の前で頼りなげに涙する少年に、その言葉はどうにも不釣り合いで、理解するのに時間がかかる。


「……そんな……」


 乾いた笑いを浮かべ、ヴァイナスはなんとか言葉を吐き出した。


「……どうして、貴方がお母様を……」


 王族であるセレストが自分の母親を手にかける理由など、想像がつかない。

 どうして、というヴァイナスの問いかけにセレストは、唇を歪めた。


「……ここまで、話したのだ。……もう、隠しておく必要はないな……」


 声は震えているのに、必死にいつも通りの口調で話そうとするセレストの姿は、痛々しい。今すぐ抱きしめてやりたいというと思うけれど、セレスト自身が受け入れないと分かっている。

 ヴァイナスは己の感情をグッとこらえ彼の言葉を待った。


「あぁ、もしかしたら、妻殿は知らないかもしれない。貴方はあまり周囲に興味を持たない人のようだから……」


 ヴァイナスの内面を見透かすような、少年の言葉。

 とても耳が痛いものだった。


 イグニスに来たのは身代わりで、成り行き。


 元々他者への関心が薄く、どうでもいいと感じる事が多いヴァイナスだ。

 最初こそ、父の馬鹿げた行動に怒っていたけれど、イグニスの王子もいなくなっていたおかげで王妃などと言う面倒なものにならずに済んだ。

 その上、代わりとして引き合わされたセレストは、当初の取っ付き難さが嘘のように、優しい良い子だった。

 ああ、よかったと……ただ喜んでいた。


(……恥ずかしい……)


 自分が呑気に喜んでいる間も、彼はずっと一人で思い悩んでいたのだろうかと、ヴァイナスは恥じ入った。

 すると、セレストは勘違いしないでほしい――と続けた。


「……それを、咎めているわけではないんだ。……むしろ、感謝していた。……僕は、本当ならば夫として、貴方がイグニスに早く馴染めるようにしなければならなかった。だけど、何も知らない貴方に、そのままでいてほしくて――卑怯な真似をした」

「卑怯な真似?」

「おかしいとは思わなかったのか? 茶会にも一切呼ばれなかったことを。貴方と知り合おうとする人間が、一人も現れなかったことを。……僕が、常に貴方のそばにいたからだ。誰も不幸になりたくないから、僕と共にいる貴方と、みんな関わりを持ちたがらなかったんだ」

「……」


 投げやりな結婚式だったから、“いないもの”として扱われているのだろうとしか思っていなかった。

 関わってこないのならば、これ幸いだとすら思っていた。


「僕はそれを承知していた。全て分った上で、貴方を連れ回していた」


 この人は、自分のものだと周囲に知らしめるために。

 ――まさか、セレストにそんな意図があったとは考えなかった。


「……周囲に興味がない人だから、僕のことも受け入れてくれたんだろう。だけど、もしも誰かが貴方に本当のことを話せば、きっと拒絶されると思った」


 空を思わせる、青い瞳がゆらゆらと頼りなげに揺れている。

 だから、あえて一人のままにしておいたのだと、セレストは告げた。


「結果が、これだ。騙すような真似をして、こんな怪我までさせて……僕は、やっぱり貴方と関わるべきではなかった」

「何を言うのですか。私は、セレスト様といられて、本当に楽しかったんですよ? 関わるべきではなかったなんて……そんな、悲しい事は言わないでください」

「悲しい事? 本当に、そう思うか? ――僕は、父親にすら疎まれる、王妃殺しの王子だぞ」


 はっきりと言葉にされて、セレストが抱えていたものが何か、ようやく明確になった。

 同時に、ヴァイナスは後悔した。 彼が話せるようになるまでは――と、話のわかる大人のような態度をとった事を。


 セレストの内面だけではなく、彼を取り巻く環境にまで目を配っていれば、そんな悠長なことは言えなかったはずだ。

 目先の穏やかな生活を選んだ結果、セレストを追い詰めたのだ。

 すべては自身の怠惰な性格が招いた事態だと落ち込みかけたヴァイナスだったが、自分まで己を責めて鬱々としては不味いと、顔を上げる。


 ここで、手遅れにしてはいけない。

 そもそも、話し合いたいからセレストを探していたのだ。


(セレスト様を支える……――私は、そう決めたじゃない)


 彼の心の傷に触れたと言う事は、今初めて、きちんと向き合えた言う事だ。

 楽な方に、ふらふらと流され続けるのは、もうお終いだ。

 物わかりのいい大人のふりも、今この瞬間で終わりにする。


 そうでなければ、きっと自分たち夫婦が向き合う機会は二度と来ないだろう。

 ここで話し合わなければ、セレストとの関係は一生改善されず、すれ違い、互いに背を向けたままだ。


 他人になんて、興味がなかった。

 別に、どうでもいい、何でもいい――ずっと、そんな言葉で逃げてきた。

 添え物姫と揶揄されてきたヴァイナスは、他人に期待する事を諦めていたのだ。


 しかし、今回だけは駄目だ。


 この子から逃げては駄目だ。この子を諦めては駄目だ。そんな思いが、ヴァイナスの心を埋め尽くす。


(私は、もう逃げないわ) 


 ヴァイナスは、覚悟を決めた。


「セレスト様。私は、他人から聞く話なんて、どうでもいいのです。……他人がどう言おうと、私にとって貴方は、もったいないくらい良くできた夫です。――だから、貴方の本当の言葉で教えてください。私とは、これ以上関わり合いになりたくないのか、どうか」


 セレストは、ヴァイナスが真っ直ぐ視線を合わせてきたことに驚いた様子で、目をみはった。


「――僕は……貴方とは、もう、関わり、たく……」


 くしゃりと、その顔が歪む。


「ぼく、はっ……」


言葉を詰まらせたセレストに、ヴァイナスは強い口調で言った。


「私は、貴方の事をもっと知りたいのです、セレスト様。――何が好きで、何が嫌いで、どうしたら喜ぶのか……。小さな事でもいいんです。いろんな事を、この先何年もかけて、知っていきたいと思っています。……貴方が、どのような荷を背負っているのかも。……どうか、教えてください」


 ヴァイナスの訴えを聞いたセレストは、息をのんだ。

 それから、二人の間には、沈黙が流れ――。


「……僕の……」


 セレストは、絞り出すような声で呟いた。


「僕の母親は、王妃だった」

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