第12話 セレスト・イグニスの告白1
何かに引っ張られ体が浮いた気がして、ヴァイナスがパッと目を開ければ、そこはノーゼリアの慣れ親しんだ自室でも、ましてイグニス王国にて与えられた私室でもなかった。
(なんておかしな夢……!)
覚えのない室内の寝台にて目が覚めたヴァイナスは、あまりの夢見の悪さに脱力する。
途中までは、妹との思い出だったはずなのに――いろいろと台無しにされた気がする。
特に父王の女装には、精神をどっと疲弊させられた。
ヴァイナスは疲れる夢を振り払うように体を動かそうとしたのだが、片手に他人の体温を感じ、まさか夢の続きかと恐る恐る視線を向けた。
「……きゃっ……!」
そこには、ヴァイナスの手をしっかりと握りしめたまま椅子に座り、顔だけ寝台に突っ伏しているセレストがいた。
顔を覗きこめば、明らかに泣いていたとわかる、涙のあとが頬に残っている。
寝顔も眉間にくっきりとしわがより、決して安らかとは言えないものだった。
この体勢が悪いのではないだろうかと、ヴァイナスが慎重にその手を外そうとしたものの、まるで察知したかのようにギュッと握る力が強まっていく。
(ど、どうしたら……!)
こういう時にはクロムを頼ろうと辺りを見回せど、いつもセレストの後ろに控えているはずの姿も見当たらない。
一体どうした事だと途方にくれたヴァイナスが、ふと窓を見れば、カーテンがしまっていた。
そして身を置く室内は、ぼんやりと薄暗い。
ヴァイナスは、自分がかなり眠っていた事に気付いた。
耳を澄ませば外から鳥のさえずりが聞こえてくる事と、室内の薄暗さからいって既に夜明けが近いのだろう。
書庫に向かったのは日中だったのだから一日は経過したかと考え、ヴァイナスは再度セレストに視線を向けた。
(……ずっと、ついていてくれたのかしら……?)
書庫で気絶した自分に今までついていてくれていたのかと、無意識のうちに空いている方の手で、セレストの頭を撫でていた。
「……ん……んぅ……ヴァイナス……」
「はい、セレスト様」
「……うん……――ヴァイナス……!?」
身動ぎしたセレストの寝言に、反射的に返事をしたヴァイナス。
その声を聞いて、安心したかのように眉間の皺がとれたセレストを見て、安堵したのも束の間。彼はすぐさま、カッと目を見開き、身を起こした。
「気がついたのか! 大丈夫か? 気分は悪く無いか? どこか痛むところはないか?」
怒涛の質問に、ヴァイナスは大丈夫だと笑ってみせる。
しかし、セレストは納得した様子もなく首を横に振ると目をつりあげた。
「貴方は、危うく本棚に潰される所だったんだぞ……! 一日中眠っていたし、大丈夫なわけがないだろう! 正直に言え!」
「……えぇーと――そういえば、頭が少し痛いくらいで……」
「それは後頭部にコブができていたからだ! 後は!?」
「後ですか? 後は別に……」
迫力に押されたヴァイナスだが、セレストの剣幕は変わらない。
「後は別に、だと? 貴方は足だって痛めているし、あちこち打撲だらけだ! それに……!」
言われてみれば足が痛い。今更ながら気付いたヴァイナスだったが、不自然に言葉を切ったセレストの方が気になった。
「どうしたんですか?」
極力優しく問いかける。
すると、セレストの手がヴァイナスの顔にそっと触れた。
「……額に、傷ができた」
ぐるりと、額まわりに包帯が巻かれている。ヴァイナスは、あえて気にしないでいたのだが。
「女性の貴方に、傷を……。……すまない、私のせいだ」
「セレスト様、それは違います」
「いいや、違わない。つまらない意地など張らず、さっさと貴方の前に出て行けば、貴方は怪我などしなくて済んだ」
「本棚が倒れるだなんて、普通は予想できません。セレスト様が、そんな風に自分を責めたりする必要は無いのですよ」
本心から出た言葉だった。
ただでさえセレストは、何でもかんでも自分のせいだと思い込み己を責めてしまう。だからこそ、ヴァイナスは、はっきり違うと答えた。
これは、あくまで事故であり、断じてセレストの責任などはない。誰も予想できなかった事なのだと伝えたかった。
しかし、セレストはふるふると首を横に振って、ヴァイナスの顔に触れていた手を下ろす。
そして、真っ直ぐ彼女と視線を合わせ、静かに告げた。
「……予想はできた、と言ったら貴方はどうする?」
「――え?」
思わぬ返答に、ヴァイナスは短い動揺の声を上げた。
セレストは、それ以上は何も言わず、唇を引き結んでしまう。
「予想は、できたって……そんな事、有り得ないでしょう? だって、あれは古い書棚だから起きた、偶然で……」
僅かに動揺しながらも、なおも偶然の事故であると言い募るヴァイナスに、セレストはそっと目を伏せた。
そして、ぎゅっと膝の上で拳を握ると、一呼吸おいて――意を決したように、顔を上げた。
「……妻殿、私は貴方と結婚してから今まで、ずっと黙っていた事がある」
その眼差しは真剣だった。
つられるように、ヴァイナスも背筋を正し、固唾を飲んで次の言葉を待つ。
「……私は、いや…………僕は――」
子供がするには、不釣り合いな――暗く、陰のある表情を浮かべたセレストは、ゆっくりと口を開いた。
「僕は、傍にいる人を不幸にする。そういう存在だ」
何を馬鹿な事を。
ヴァイナスは、そう言って笑い飛ばしてしまいたかった。
しかし、セレストの表情を見れば、とても冗談を口にしているようには見えない。心の底からそう信じ込んでいるような、迷いのない顔をしている。
冗談だったら、どれだけよかっただろう。
けれど、本気で言っている事が、分かってしまった。
子供ならば、決してしないような暗い目。自嘲するようにゆがめられた唇。それら全てが、セレストの本気を物語っている。
「……信じられない、という顔をしている」
ヴァイナスの顔を見て、眉を下げたセレストがポツリと呟いた。
「……はい……。申し訳ありませんが……その通りですセレスト様。どうして、ご自分のことをそんな風に思うのか……私には、わからないのです」
彼が本気で言っていることは分かった。しかし、なぜそんな解釈になるのかまでは理解が及ばない。
「……貴方は僕の妻になった。そして、僕と一緒にいれば危ない目にあっただろう」
「鉢植えや、本棚の事ですか? あれらは全て、ただの偶然でしょう」
「では、動物の死体は?」
「……そもそも、貴方と一緒にいた時に起こったことではないでしょう、セレスト様」
そんな事まで気にするなという気持ちでヴァイナスが答えると、セレストはため息をついた。
「……僕と一緒にいたから、あんなものが送りつけられたんだろう」
「そんな事……、考えすぎですセレスト様」
セレストの思考は実に後ろ向きだ。ヴァイナスの身に起きた悪い事は、全て自分のせいだと思い込んでしまっている。
「私は、元々ノーゼリアの人間なのですよ? ノーゼリア人を好ましく思わない人間が、嫌がらせしてきたと考える方が自然でしょう」
一体、なにをどうすれば十歳でこうまで内罰的になってしまうのか――ヴァイナスには、想像できない何かを、セレストは抱えている。
(私がこのくらいの年の頃は……お父様の肖像画にアイリスと二人で落書きしたり、悪戯ばかりしていたのに。……そういえば、セレスト様って全然そういう事をしないわ……)
イグニス人とノーゼリア人の気風の違いだけではないだろう。
今までは、そんなものなのかと見過ごしてきたが――セレストは、十歳の少年にしてはおかしいのだ。
大人びた子供と言えば、聞こえは良い。
だが、彼はただ大人びているのではない。
(もしかして……。もしかして、セレスト様は……)
思えばヴァイナスは、イグニスに嫁いで来てから今まで、セレストが父……イグニスの王と仲良く話している場面を見たことがなかった。
確かに、誰もが無関心で投げやり感満載な結婚だった。しかし、イグニス王にとってセレストは息子である。
それなのに、一度も親子の会話を見たことがないというのはあまりにも不自然だった。
そもそも、セレストはいつも特定の人物としか一緒にいない。
護衛であるクロム。
そして、……妻となったヴァイナスだけだ。
今まで、セレストがあまりにも自然だったので、ヴァイナスも、その不自然さを注視せずにいたのだが……セレストの今までの行動を見直すと――彼の周囲に関しての疑問が、ぼろぼろと出てきた。
関わりの薄い親子。
決して主のそばを離れない護衛。
その護衛が、警戒心むき出しで接する宰相。
――セレストが子供らしくなく振る舞うのも、内罰的なのも、周囲の人間と何かあったからだ。
だから、セレストは一人を好み――。
(違う。この子は、一人が好きな訳では無いわ)
ヴァイナスを誘ってくれた時の緊張した姿や、承諾した時に見せた嬉しそうな様子、知識を褒められ得意げに笑う顔は、決して人嫌いには見えない。
(この子は、一人でいるしかなかった。全部、諦めてた。……だから、私と結婚する時も、落ち着いていたのよ)
その根底にあるのは、諦観だ。
セレストは、わざと大人びた自分を作ったのだ。
子供が子供らしくいられない以上、無理やりにでも大人になるしかない。一人称の使い分けが、いい例だ。
「セレスト様、ご自分を責めるのはやめて下さい。まるでセレスト様のせいみたいな言い方をして……そんなことはないと、言っているでしょう?」
このままでは、よくない。
自分で自分を責めて、きっと心をずたずたにしてしまう。
危惧したヴァイナスは、言い聞かせるように繰り返したのだが、セレストはまったく聞き入れなかった。
それどころか、ヴァイナスの一言でせき止めていた感情が決壊したのか、声を荒らげる。
「みたい、ではなく事実僕のせいだ。……僕が調子に乗って貴方に近づいたせいで、こんな事になった。……母上の時に、ちゃんと理解したつもりだったのに……!」
「母上……?」
泣き出しそうに顔を歪めたセレストに、ヴァイナスは思わず手を差し伸べた。
しかし、セレストは首を振り拒絶し、涙混じりに吐き出した。彼自身、最も口にはしたくなかっただろう言葉を。
「僕は、母上を殺した」
ヴァイナスは、目を瞠った。
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