第11話 書庫と悪夢

 ――書庫にたどりついたヴァイナスは、扉に手をかけ、力を込めて押し開いた。

 ギィイッと扉が鈍い音を立てる。

 その隙間にから中を覗き込み、まずは人影の有無を確認した。

 

 当然だが、誰かが入室してすぐに見えるような場所にセレストがいるはずもない。

 ため息を吐くと、ヴァイナスは多くの書棚が並ぶ書庫の中へ足を踏み入れる。


 最初にこの書庫に来た時は、セレストに手を引かれて来たのだと思い返したヴァイナスは、あの時のセレストの嬉しそうな顔と、落ち着けるのだと言った時の寂しそうな顔――そして、ジェオルジと対峙した時の怯えた表情を思い出してしまい、心の痛みを覚えた。


 怯えた顔、寂しそうな顔――続いて、先ほどの傷ついたようなセレストの顔が、どうしても脳裏に浮かんでしまうのだ。


(あんな顔させたくなかったから、隠していたのに……。どうして私の行動は、裏目に出てしまうのかしら……)


 このままでは、心の痛みで死んでしまいかねない。早急に夫と話し合わねばと、ヴァイナスは視線をさまよわせる。

 しかし、あのふわふわした銀髪はどこにも見当たらなかった。


「……セレスト様……? いませんか?」


 静まり返った書庫では、小さめの声でも十分に響いた。

 しかし、返事は無い。

 ここにはいないのか、はたまた隠れているのか……、おそらく後者だろうと考えてヴァイナスは人気のない書庫を、更に奥へと進む。


「セレスト様、ヴァイナスです。先ほどの件を、夫婦としてときちんとお話ししたいのです。どうか、出てきて下さい」


 歩き進む書庫の中は、とても静かだ。そして、どこかひんやりとした空気が漂っている。


 ヴァイナスは、読書が好きだ。

 しかし、こういった場所が好きかと問われれば、答えは否だ。


 どうせ本を読むのなら、もう少し明るくて暖かい場所がいい。

 それこそ、こんな寂しい場所とは正反対な――だからこそ余計に、この場所が落ち着くと言ったセレストの気持ちを考えると、心臓を掴まれたような苦しさを覚え、なんとも言えない気分になってしまう。


「セレスト様? どちらにいらっしゃいますか、セレスト様?」


 この薄暗い場所に、いつまでもおいておくわけにはいかない。

 思考まで暗い方向に流されてしまう。

 早くセレストを見つけ、引っ張りだして連れて帰らなくては。

 ――ヴァイナスが決意も新たにして再度セレストに呼びかけたところで、カタリと小さな物音が聞こえた。


「!! ――セレスト様ですか……?」


 物音がした方、古めかしい本棚の方へ近づきながら、夫の名前を呼んだ。

 すると、返事のかわりに、本棚がグラリと大きく傾いてヴァイナスの方へ倒れてきた。


「――えっ?」


 突然の出来事に、ヴァイナスはあ然と口を開けたまま、立ち尽くしてしまう。

 避けなければ、逃げなければ……、そう思うのに、突発的な出来事に体が動かない。

 ばさばさと無数の本が上から降り注いでくる。

 逃げ場がないヴァイナスは、反射的に目をきつく閉じ、身を竦めた。


「ヴァイナス!」


 その最中、高い声が自分を呼んだ気がした。


(あ、セレスト様の声だわ……返事、しないと――)


 彼女の意識がもったのは、そこまでだった。



◆◆◆


 気が付けば、ヴァイナスは懐かしいノーゼリアの王宮の一室にいた。


「お姉様……、ヴァイナス姉様」


 妹であるアイリスが、自分を呼ぶ声がして振り向く。


「姉様、聞いて下さいな。わたくし、ウォルナット様をお慕いしております」


 ウォルナット――アイリスの想い人。

 城の一兵士ではあるが、以前お忍びで出かけた城下にて彼に助けられたと言うアイリスから、その名前は嫌と言う程聞いていた。


 熊のように大きな体躯と、もじゃもじゃ髭の、むさ苦しい男だ。


 アイリスはずっと、優美で優雅なキラキラし集団に囲まれていた。よって、男臭い系には一切免疫がなく、野蛮で粗野に違いないという先入観で怖がっていたはずなのに――偶然の出会いが、その先入観を覆したのだ。


 姫と言う身分を抜きにした、ただの娘であるアイリスに親切にしてくれた男。

 木に髪を絡ませ動けなくなった自分を助けてくれた。切ってしまえば早いのに、武骨な指で一生懸命解いてくれた――出会いを嬉しそうに語った妹は、以後もヴァイナスの目を盗み、城を抜け出していたが、きっとウォルナットに会いに行っていたのだろう。


 顔を輝かせて熊男の事を語る妹の様子を見れば、今わざわざ宣言されずとも明白だった。


 アイリスはウォルナットに恋をしている。

 ただ、それは決して実ることのない恋だ。


 幸い、ウォルナットは良識のある善人であり、アイリスにも紳士的に接しているようで、間違いなど起こりようもない。

 それならば、せめて知らないふりをしておこうと思った。

 ヴァイナスは妹の、王族としては決して良いとは言えない行いに、目をつむったのだ。

 だが、恋を知ったばかりの妹は、以外な行動を起こした。


「怒らないで、聞いてくださいね、姉様」


 両手をぎゅっと握りしめられ、ヴァイナスは不安な声で尋ねる。


「改まって……どうしたの、アイリス?」

「わたくし、ウォルナット様に、この想いをお伝えするつもりですの。偽りない、わたくしの本当の姿で」

「……駄目よ。それだけは、やめておきなさい」


 ウォルナットは、善人だ。

 助けられて以降、寝ても覚めてもウォルナット様の話ばかりする妹のおかげで、熊男の人となりはヴァイナスも把握している。

 アイリスには秘密だが、父王もこっそりと調べをつけている。それで野放しにしているのだから、安全な男なのだ。


「あの方が、とても良い人だという事は分るわ。でもね、アイリス……貴方が居心地がいいと思う関係は、彼が貴方の身分を知らないからこそ構築できたものなのよ?」


 これ以上なく、紳士的で善良な人間。けれど、あくまでもウォルナットの優しさは、世間知らずの娘に向けられたものだ。

 相手がノーゼリアの姫だと知れば、その態度は変わるだろう。

 保たれていた均衡は、壊れてしまうかもしれない。


 ――姫としてではなく、一人の少女として扱ってくれた男に恋をしたのだから、アイリスとて、自分の言葉がいかに矛盾しているか、理解しているはずだ。

 それなのに、妹はいやいやと首を左右に振った。


「いいえ! ……あの方への想いは日々大きくなるばかり……! わたくし、これ以上ウォルナット様に自分を偽りたくないのです!」

「アイリス……」

「それに、聞いてしまったのです……。お父様は、わたくしをイグニスに嫁がせるつもりだと……! 二度とお会いできなくなる前に、せめて、自分の口から、あの方に想いを伝えたくて……!」


 とうとう泣き出したアイリスを見ていられず、ヴァイナスはそっと目をそらした。

 イグニスとの政略結婚の話は、すでに知っていたから、そんなこと無いから安心しなさいとは、嘘でも言えない。

 けれど、泣いている妹に、絶対に駄目だとも言えない。


「……今のは、聞かなかったことにします」


 結局、ヴァイナスが出来た唯一の方法は、知らないふりだった。


「私は今、何も聞いていない。だから、貴方が何をするつもりかなんて、知らないわ」

「姉様……! ありがとうございます……!」


 けれどアイリスは、それで十分だと言うように笑みを浮かべ、何度も何度も頷いた。


「喜ぶ所ではないのよ。――結局私は、貴方に何もしてやらないと言っているも同然なのに……」

「そんな事ありません。姉様は、いつだってわたくしの味方をしてくれます」


 握られた手に、もう一度ぎゅっと力が込められ――そのまま、やけにギチギチと強い力が加わえられた。不審に思いヴァイナスが、離して欲しいと口を開きかけると……。


「だから、姉様が代わりにお嫁に行って下さいませ!」

「え?」


 妹の口から、彼女らしく無い言葉が飛び出した。

 悪びれなく笑うアイリスの顔が、不意にぐにゃりと歪む。

 そして……。


「行かず後家とは、もう言われないぞ! よかったな、いとしい娘よ!」

「えぇっ!?」


 髪型も服装も妹のまま、顔だけは父王に変わり、腹の立つ笑顔をヴァイナスに向けてくる。

 己の父なれど、申し訳ないが気色の悪い格好だ。

 思わず声を上げ、手を振りほどこうとしたのだが、ギチギチと握る手は馬鹿力過ぎて振りほどけない。

 そして気がつけば、周りからはパチパチと拍手が聞こえてくる。

 ヴァイナスは、無数の人々にグルリと囲まれていた。

 彼らは一斉に唱和する。


「添え物姫おめでとう! 脱、行かず後家おめでとう!」


 割れんばかりの祝福……というか、半ば喧嘩を売っているような言い回し。

 青筋を浮かべたヴァイナスに対して、妹のドレスを着用という非常に気持ちの悪い格好の父は、晴れやかな笑みを浮かべこう言った。


「おめでとう、ヴァイナス……! いいや、添え物姫!!」


(わざわざ言い直す必要は、ありませんよね!?)


 怒鳴りつけようとして、ぐらりと視界が揺れた。

 そこで、ようやくヴァイナスは気付く。


 あぁ、これは夢だったのだ……と。


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