第9話 夫の苛立ち


 イグニス王国でのヴァイナスの毎日は、基本的に静かに過ぎていく。

 チクチクと刺繍をしたり、本を読んだり、ヴァイナスにしてみれば願ったり叶ったりの静かな生活だった。

 植木鉢の一件以来、度々起こる奇妙なことを除けば、だが。


「……一体、なにをしたいのでしょうね、送り主の方は」

「まぁ、姫様! 見てはなりません!!」


 隔日で届けられるのは、決して嬉しくは無い、血まみれの贈り物――気の毒な野ねずみの死体だ。

 毎度毎度、どうしてここまで酷い事をするのかが理解できない。野ねずみに何の恨みがあると言うのか。


(恨みがあるのは私で、野ねずみには八つ当たりだとしたら……思考が危険すぎるわ)


 隔日だろうが、届けられた回数はすでに十を越している。中身はいつも最悪の贈り物で、変わりない。動物の事を思えば、心も痛む。


(だけど、慣れつつある自分も嫌ね……)


 しかし、こうして度々送りつけられれば、いい加減慣れるというものだ。

 当初は悲鳴をあげていた侍女ですら、手慣れた様子で廊下へ出てこようとしたヴァイナスを押しとどめる始末だ。


 可憐な悲鳴を上げ震えていた侍女はもういない。図太く片付けを出来るくらいには、慣れてしまった。実に遺憾だと思うヴァイナスだが、そんな風に侍女を観察出来る程度まで、彼女自身もこの贈り物に慣れてしまっていた。


 しかし、慣れた頃に、油断と言う落とし穴は存在するのだ。


「おはよう、妻殿」


 高い子供の声が、本日の贈り物を侍女と囲んでいたヴァイナスに向かって投げかけられる。


「! おはようございます、セレスト様……!」


 すでに日常と化した迷惑な代物を囲み、侍女と二人で顔を見合わせていたヴァイナスは、急に声をかけられた事で慌ててしまった。

 とにかく、セレストの目にだけは触れさせないように隠そうとした。そのため、実に不自然な格好になってしまう。


 やってきたのが他の侍女や兵士だったのならば、特に問題はなかった。

 しかし、相手はセレスト王子である。

 初めて届いた日には、彼の元へも報告が上がったようだが、以後ヴァイナスはこの最悪な贈り物に関しては、セレストに黙っていた。


 当初の取り乱し様を見ている以上、言えないと思ったのだ。余計な心配をかけたくは無いと。

 現に今も、彼にはこんなものを見せる訳にはいかないと、らしくも無く必死になって、ばっと両手を広げソレを持っている侍女を隠すように立ちはだかってしまう。

 そんなヴァイナスの心を汲んでか、侍女も頭は下げつつ、ソレは後ろ手に隠し、ジリジリと後退していく。


 傍から見れば、一目瞭然の怪しさだった。

 何かあるので疑ってくださいと言っているも同然な、不審な光景である。当然セレストも、怪しい二人をみて眉を寄せる。


「……何をしているんだ、貴方達は」


 もっともな疑問だ。

 セレストから向けられる、珍妙なものを見るかのような視線が痛いと、ヴァイナスはそっと顔をそむける。

 対して、視線をそらされたセレストは、ますます眉を寄せた。

 まだ幼さを残している顔だと言うのに、眉間にくっきりとしわが寄る様は、不釣り合いもいい所なのだが、その眉間のしわこそ、彼の機嫌が悪くなった証に他ならない。


「妻殿。侍女まで巻き込み、一体何を隠している」


 ぴしゃりとした物言いで、ヴァイナスを問い詰めるセレスト。

 どんなに鈍い人間であっても、彼が機嫌を損ねたことが理解できるほどに分かりやすい、しかめっ面と苛立った声だ。


「……えーと、その……。セレスト様を煩わせるような事は、なにもございません」

「私は、そんな事が聞きたいわけではない。貴方が今、私の目に触れさせまいと隠した物について問うている」

「これは、あの……、セレスト様がお気になさるような物では……」


 しどろもどろに言い訳するヴァイナスに、ますますセレストの機嫌が悪化した。

 向けられる視線が、突き刺さるのではないかと思う程に鋭くなる。


「気にするか否か。それを決めるのは、貴方ではない。私だ」


 とうとう突き放すような冷たさで言い捨てられ、これは相当怒っているとヴァイナスは焦りを募らせた。

 対して、セレストはここまで来てもなお誤魔化そうとしているヴァイナスに埒があかないと感じたのか、短く己の護衛の名を呼んだ。


「――クロム」


 護衛の返事は彼の定位置、セレストの少し後ろではなく、なぜかヴァイナスの背後から返ってきた。


「はいはい。すみませんねー、失礼しますよ」

「キャア!」


 飄々としたクロムの声と、侍女の驚いたような悲鳴にヴァイナスが振り向くと、クロムは既に、ヴァイナス達が必死に隠そうとしていた問題の物を軽々取り上げていた。


「……ふーん」


 かごに入れられている贈り物。それが、なんなのか……ちらりと一瞥して理解したのか、クロムは納得したような呟きを漏らす。


「どうだ?」

「殿下の見立て通り……ご丁寧に包まれた、動物の死体です」

 

 セレストも、すでに何なのか察していたのか淡々と確認の声を投げかけ、クロムは簡単に答えをバラしてしまう。

 ヴァイナスの心配をよそに、今日のセレストは取り乱す様子はなく、むしろ不機嫌そうに腕を組んでいた。


「妻殿、貴方は先日、私を頼りにしていると言ったな」

「……はい」

「あれは嘘か?」


 責めるような声音に、ヴァイナスは慌てて首を横にふる。


「嘘なんて……! 違います、私は本当に……!」

「ならば、なぜ相談してくれない」


 睨みつけるように見上げてくるセレスト。 

 その青い目には、薄い水の膜が張っていた。


「頼りにしているならば、真っ先に相談してくれるはずだろう?」


 ゆらゆらと頼りなく揺れる双眸に、ヴァイナスはじくじくと己の良心が痛むのを感じる。しかし、自分の行動もセレストを思ってのことなのだと、彼女なりの言い分もあった。

 そして、この場で謝罪するということは、会話の流れ的に、実は頼りになんてしていないと誤解されそうだと言う不安も脳裏をよぎる。


 今、セレストの言葉を違うと否定しても、謝罪したとしても、事態が好転する様が全く想像できなかった。


 先が全く見えない、真っ暗闇状態。これではまるで、ここに嫁ぐことが決まったあの日のようだとヴァイナスは冷や汗をかく。

 しかし、迷った結果の沈黙は、最悪の結果をもたらした。


「……やはり何も言ってくれないのか……、わかった、もういい」


 目を伏せたセレストの口から、諦めたような呟きがこぼれる。


「あの――」


 そんな彼に、はやく何か言わなければと、考えがまとまらないまま口を開いたヴァイナスだったが、セレストは逃げるように背を向け走り去ってしまった。

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