第7話 伯父

 書庫に移動する中、セレストが王城の書庫の揃えを誇るかのように語る。

 

「書庫はとても広いんだ。膨大な書物が納められていて、学術的価値も高い。妻殿も、きっと気に入る」

「”私も”ということは、セレスト様もお気に入りの場所なのですね」

「ああ! あそこにはたくさんの知識がある。知識を増やすということは、とてもよい事だと昔言われた。私自身、そう思う。……それに、あそこには騒がしい者たちも来ないから、落ち着けるんだ」

「……セレスト様?」


 楽しそうにヴァイナスの手を引いていたセレストの表情が、ふと曇った。

 それに気付いたヴァイナスが、気遣わしげに呼び掛けるとセレストはなんでもないと首を横に振る。


「おや、セレスト殿下」


 なんでも無い風には見えないと思ったものの、まるで絶好の瞬間を狙っていたかのように、新たな声が割って入ってきた。この場では、もう聞くことはできないとヴァイナスは口を閉じ、声の方へ目を向ける。

 

 立っていたのは中年の男だった。

 上等な素材と一目でわかる服。きっちりと撫でつけられた銀灰の髪。まるで作ったかのように、整った表情。


 どこかで見た男だなと考えていたヴァイナスだが、男の切れ長の目がヒタリと自分たちの方を見据えているのを感じ取った。妙に絡みついてくるようなその視線受け、蛇のような男だという印象を持つ。

 ヴァイナスには、その程度の認識でしかない乱入者だったが、セレストの様子は一変した。

 男の視線にさらされた瞬間、繋いでいた手に不自然なほど力が込められる。


(……セレスト様?)


 視線を落とせば、セレストは唇を噛み、体を強張らせていた。 


  急に声をかけられ緊張している――というよりも、むしろ……ヴァイナスの目には怯えているように見えた。

 その考えを裏付けるように、先ほどまでは二人の後ろをのんびり歩いていたクロムが、セレストを守るように、二人の前に飛び出してくる。

 これだけで、近づいてくる男が、歓迎できない部類の人間だとヴァイナスにも理解できた。


「……宰相」


 セレストが、掠れた声で口にした役職名。ヴァイナスは、改めて男を見て、そうだったと思い返す。さして関わりがない相手だったため、こうして近くで顔を見るのは初めてだが……。


 宰相は、どこか怯えた様子のセレストに親しげに声をかけてきた。作ったような、寸分の狂いもない、面のような笑みを浮かべて。


「おやおや、ツレないことを。……伯父、と呼んでくれてもいいのですよ、セレスト殿下」


 作った、としか言えないような不自然な笑みには、なにか含むものを感じる。

 宰相はヴァイナスとクロムの事は完全に無視し、ただセレストを舐めるように見つめている。


「閣下、申し訳ございません。主は先を急ぎますので」


 クロムが、固い声で宰相の視線を遮った。

 ヴァイナスには、それがとても賢い選択に思えた。

 今のはただの会話だと言われれば、それまでで、お前が神経質なだけだと言われるかもしれない。しかし、宰相と相対してからずっと、まとわりつくような不快感が拭い切れないのだ。


 ヴァイナスは目を細めると、黙って状況を観察した。


 居心地が悪そうなセレストと、露骨に警戒しているクロム。

 伯父と言う単語が出た割に、少しも友好的なものを感じない空気。

 訳あり、と言うのは一目瞭然だ。


 しかし、ヴァイナスにはその“訳”というものがなんなのか、皆目見当がつかない。恐らく、聞いても教えてはもらえないだろう。

 蚊帳の外に置かれたこの状況下では、下手に口も挟めないため、緊迫した空気を漂わせている三人のやり取りを見守るしかない。


「先を急ぐ、ねぇ。……おや、そういえば、後ろに隠れていらっしゃる方が奥方ですか、セレスト殿下? なんでもハズレを引かされてしまったとか」


 ――自分は蚊帳の外。そう思った途端に、感覚的にネチャッとした攻撃が飛んできた。

 ヴァイナスは思わず顔を顰めたくなったが、王族という立場上なんとか堪え、子供のころから散々妹と比べられてきたために身に付いた、鉄壁の作り笑いを浮かべる。


 決して人目を惹くほど美しいわけではないが、見た者が引くほど酷いわけでもないと自負する笑顔。

 あえていえば、印象に残らない笑顔なのだが、イグニス王国の宰相はヴァイナスに対してにっこりと微笑むと、言葉の刃で斬りつけてきた。


「……おや、失礼殿下。そこにいたのは、奥方ではなく侍女でしたか」


 ヴァイナスは、作った笑顔を少しも動かさなかった。

 笑顔を崩さない、そして反論もしない。

 久しぶりに聞いた、皮肉だ。

 自分が美形だとよく分っている者が、冴えない姫を貶める時に使う、常套手段の皮肉だ。幼い頃から何度も聞いた、使い古された手。


 だから、対処の仕方も分っている。

 笑顔で、何も言わない――相手にしなければ良いのだ。


(自分に自信がありすぎる人というのも、厄介よね)


 これ見よがしに己の顔の良さを誇示し、わざわざ綺麗な笑顔を作っては攻撃してくる最悪な存在達。

 過去の経験と照らし合わせたヴァイナスは、目の前で優雅なフリをしている男は自分にとって敵になる存在だと、判断した。


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