第6話 可愛らしい夫

「妻殿、今朝は失礼したな」


 きっちりと整えられた髪に、服装。

 いつも通りの隙のないセレスト王子が、やはりきっちりとした態度でヴァイナスの部屋の前に立っていた。


 今朝の寝癖頭は幻だったのかと思う程、服装、髪型、態度――全てが完璧だ。


(あら……髪も元通りね。とても触り心地のいい髪だったのに、……残念だわ)


 もう少しだけ撫でていたかった。

 内心、悔しがりながらもヴァイナスは笑顔で答えた。


「とんでもございません。私を心配してくださったのでしょう? とてもうれしく思います、セレスト様」

「……そうか」


 ふいっと顔をそむけるセレスト。

 その後ろに控えているクロムと目があったヴァイナスは、すまなそうな表情で頭を下げる彼に、分かっていると頷きを返した。


 セレストは、普段はとても大人びている。それだけに、こうした素っ気無い態度をとられると、気分を害したのではないかと心配になるが……。

 実際は、違う。

 明後日の方に顔を向け、ヴァイナスから視線をそらすのは、気分を害したわけでも興味がないわけでもない。


 ――単なる照れ隠しだ。


 ほんのりと赤くなっている頬が、その証拠である。

 この事実に気付いてしまえば、セレストに対する気後れは消える。彼は気難しい子供ではなく、単なる照れ屋さんなのだ。

 一度気付いてしまうと、後はもう可愛いなとしか思えなくなり、ついつい微笑ましいという目で見つめてしまう。


 そう思っているのはヴァイナスだけではないようで、長らく一緒にいると言うクロムなどは、まるで兄か父親かとでも言いたくなるような、穏やかな目を向けている事が多々あった。


 だが、主に向ける視線は穏やかでも、今まではクロムが何か口を出すことは無かった。彼はただ黙って一歩下がり、二人の遣り取りを見ているだけだったのだが……。


「セレスト様、そうじゃないでしょ」


 今回は、違った。まるで助け舟を出すように、セレストをたしなめ、ツンツンと背中をつつく。その姿は、完全に保護者だ。

 背中をつつかれたセレストは、わかっていると後ろを振り返り小さな声で反論している。


 一体どうしたのだろうと、ヴァイナスは首をかしげた。


「何かありましたか?」

「!!」


 黙って見ていても、埒が明かない。

 思い切って尋ねると、セレストが飛び上がらんばかりに驚いた。


(えっ? 何にそこまで驚いているの? ――私、別に怖い顔はしていないわよね?) 


 ヴァイナスが困惑すると、セレストは落ち着きなく視線をあちこちにさまよわせ、モジモジし始めた。


「あの、セレスト様?」


 ますますよく分からない。

 ヴァイナスが呼びかけると、意を決したようにセレストが顔を上げた。

 そして。 


「…………、暇か?」


 たっぷりと間をとった後、呟いたのは僅か三文字だった。

 この三文字を言うために、何をそこまで覚悟する必要があったのかとヴァイナスは疑問に思った。


 しかし、目の前ではセレストが緊張の面持ちで、返事を待ち構えている。

 なぜここまで緊張しているのか分からないが、あまり待たせるのは申し訳ないと思い、ヴァイナスは笑顔で答えた。


「はい、セレスト様」


 その途端、セレストの体から力が抜ける。


「そ、そうか。……そうか、暇か……暇なのか、妻殿は暇人なのか……!」


 暇だ、暇人だと連呼されると、ヴァイナスも肩身が狭い。やはり忙しいと訂正してやろうかと一瞬考えた。

 しかし、セレストのいつもは引き結ばれている口元が、僅かに緩んでいることに気付くと、その意地悪な考えは遥か彼方へ吹っ飛んでいってしまう。


「それならば、書庫に行かないか? 妻殿は書物の類が好きだと侍女から聞いている。城の書庫は、なかなかの揃えだぞ」


 そわそわとした様子で提案してくるセレスト。ヴァイナスは、ようやくセレストが過剰なほど緊張していた理由を察した。


(……可愛い……)


 自分を誘いたくて、緊張していたなんて可愛いではないかと、ヴァイナスはつい――セレストの頭を撫でた。


「!!」


 すると、セレストはびくっと肩を震わせ硬直してしまう。


「え? セレスト様……? あの、大丈夫ですか……? ――申し訳ありません、もしかして撫でられるのは、お嫌いでしたか……!?」


 大げさなの反応をされ、自分は何か不味い事をしてしまったかと慌てたヴァイナスが謝罪すると、セレストは弾かれたようにバッと自分の頭に手を置いた。


「な、なんで、撫で……!」


 顔は真っ赤で、涙目。

 必死に何事かを訴えようとするも、うまく言葉にすらできない程に動揺しているセレストを目にし、ヴァイナスは反対に顔を真っ青にした。


 自分の馬鹿げた妄想において、セレストに斬られる事はないだろうとは結論が出た。正直、楽観視していた。 


 だが、今ならセレストのお付きであるクロムに斬られそうだと、ヴァイナスは恐る恐るセレストの背後に控える保護者の方へ視線をやった。


 想像では、そこには殺気をまき散らし、青筋を立て、剣を抜く体勢をとっている男がいるはずだったのだが……。


「セレスト殿下、動揺しないの」

「ど、どどど! 動揺なんてしてない! 僕は平常心だ!」

「……一人称、僕になってますよ。……まったく。すみません、奥方様。セレスト殿下は照れ屋なもんで」


 むしろ、ほのぼのとした空気が流れており、ヴァイナスに対しての怒りは微塵も見られない。

 その事に拍子抜けしつつ、今後のためにも確認だけはしておかなければいけないと、ヴァイナスは恐る恐る問いかけた。


「……セレスト様、本当に怒っておりませんか?」


 ヴァイナスの問いかけに、うっと言葉を詰まらせたセレスト。そんな彼の背中を「ほら、殿下」とクロムが押す。


「……お、おこって、ない……」


 セレストは、たどたどしくも、怒りの感情を否定した。

 しかし、ヴァイナスにはもう一つ、はっきりさせたい事がある。

 今後のためには、こちらの方がより重要だった。


 なにせ、照れているセレストは可愛い。ついでに髪質もふわふわで、触り心地が最高なのだ。

 うっかり、ふらふら引き寄せられて、頭を撫でて泣かれたりしたら……悲し過ぎる。


(そうなったら……私、立ち直れないかもしれないわ……)


 変にぼかしたりせず、互いのためにも、はっきり聞いておかなければいけない――決意の元、ヴァイナスは率直に物を尋ねた。


「……もしかして、撫でられたりするのは、お嫌いなのでしょうか? それでしたら、私もセレスト様には極力触らないように……」

「――嫌いじゃない!」


 触らないように気をつけるので、どうかお許しくださいと続けようとしたヴァイナスだが、身を乗り出すような勢いで声を荒らげたセレストに負け、言葉を飲み込んだ。


「いつ言った!? 僕は、嫌なんて言っていないぞ……!」

「そ、そうですね、一言もおっしゃってませんね」

「……そうだ」


 むっと口を尖らせて、そっぽをむくセレストの様子に、ヴァイナスの心に、ある考えが浮かんだ。


(あれ? これは、もしかしなくても……拗ねているのかしら……?)


 まさかと思いつつも、ヴァイナスは、再度、彼の頭に手を伸ばす。

 今度は、飛び上がって驚かれる事は無かった。

 セレストは、おずおずとヴァイナスを見上げ、目が合うと、耳まで真っ赤にして慌てて俯いただけだった。


「……えぇと、お嫌でなければ……たまにで良いのです、こうして撫でてもよろしいですか?」

「……貴方は、他人の頭を撫でるのが好きなのか?」

「いえ、別にそういうわけでは……」

「だが、今もこうして僕の頭を撫でている」


 ちらちらと、ヴァイナスを見上げ、視線が合うたびに下を向くセレストは、ぼそぼそと呟いている。

 どうして頭を撫でるのか、その理由が気になるようだった。

 ヴァイナスは目を細めて、微笑んだ。


「そうですね。自分でも初めて気が付いたのですが……セレスト様を撫でるのが好きみたいです、私」

「!!」


 取り繕わず、思ったまま答えると、セレストは驚いたように顔を上げた。


「……僕、を?」

「はい」

「…………すき…………」

「ええ、そのようです」


 戸惑うような問いかけに、気負うことなくヴァイナスが頷けば、目をまん丸くしたままセレストがじっと見つめてくる。そして彼女がにこりと笑いかけると、また慌てたように視線をそらし、ポツリと小さな声で呟いた。


「……妻殿は、変わっている」

「そうでしょうか?」

「……そうだ。僕なんかを……好きだ、なんて……」


 照れ屋な少年に、陰りが混じった。落とされた呟きは、今にも泣き出しそうに聞こえる。

 ヴァイナスは、それ以上言わせてはいけない気がして、わざと明るい声を出した。


「だって可愛らしいものには、ついつい触れたくなる。それが、人の性というものでしょう」

「……何? ――かわいい、だと?」

「はい」


 満面の笑みでの肯定を受け、セレストの表情がたちまちしかめっ面に変わる。


「忠告する。……男に“可愛い”は、褒め言葉ではない。覚えておくといい妻殿」


 不機嫌そうに言い返すセレストからは、一瞬前のまでの陰りが消えていた。

 それに安心しながらも、言った事は全て本心なので、可愛いという褒め言葉を否定されたことは残念だった。


(そういう所も、可愛いのに)


 しかし、もう一度口にすれば、恐らく完全に機嫌を損ねてしまう事が予想できた。それは困ると、ヴァイナスは心の中だけで思うに留めた。表情をきりっと引き締めると「心しておきます」と頷く。


 つまり、大人の本音と建て前を使い分けたのだが、ヴァイナスの言葉を信じてしまったらしいセレストは、内心では可愛い等と思われている事にも気づかず、話を元に戻した。

 彼にしてみれば、緊張して誘ったのだから、このまま有耶無耶になれば面白くないのだ。


「……それで、どうする」

「はい?」

「……書庫に、行くのか行かないのか。……貴方が行きたいと言うのならば、連れて行ってもかまわないのだが……」


 ヴァイナスをチラチラと見ながら尻すぼみに言うセレスト。

 そんな決まり悪げな様子も微笑ましいのだが黙っておこうと、ヴァイナスは余計な事は言わずに、自分の右手をセレストの方へ差し出した。


「もちろん、行ってみたいです。連れて行ってくださいますか、セレスト様?」

「うん! ……じゃない……。よし、わかった。案内しよう!」


 ぱっと嬉しそうな表情になったセレストは、慌てて居住まいを正すと鷹揚に頷く。


 それでも、やはり嬉しそうにヴァイナスの手を取ったセレストの後ろでは、顔を見られる心配がないのをいいことに、クロムが笑顔で見守っていた。

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