第5話 血なまぐさい贈り物

 結局、あの後セレストはずっと部屋から出て来ず、顔を合わせる事は出来なかった。


 (明日は、大丈夫かしら……?)


 元気になっているといいのだけれど、とセレストの事を考えていたヴァイナスだったが、いつの間にか睡魔が訪れ――。


「キャァァ!」


 侍女の、絹を裂くような悲鳴と共に、朝がやって来た。

 慌てて飛び起きたヴァイナスは、震える侍女を慰めつつ――彼女がかたかた小刻みに震える指で示す方をみて、眉を寄せた。


「……嘘……」


 わざわざ部屋の前に放置されていたのは、血に塗れた野ねずみの死体だった。

 ごくりとつばを飲み込み、哀れな亡骸を見つめる。


(……これは……嫌がらせというものではないかしら?) 


 野生の動物ではあるまいし――どう考えても、好意からの贈り物とは思えない。

 

 ヴァイナスは、己の立場の微妙さを心得ている。あの結婚式の有様を見れば、自分がどういう位置付けかわかるというものだ。

 そのため、ヴァイナスの中には絶えず嫁ぎ先に対して漠然とした不安感があったのだが、それがとうとう明確な形となった。

 間違いなく、自分は誰かにとって、歓迎できない余所者という存在なのだと、痛感した。


 しかし、鉢植え事件から一夜明けてすぐにコレとは、度の過ぎる嫌がらせだ。いたずらに命を奪い、わざわざ死体を置いていくなんて、随分な事をする。


 家族には呑気と言われていたヴァイナスだったが、流石にここまであからさまにやられると気分が悪かった。

 青ざめたまま不快を伝えると、侍女はすぐに人を呼び片付けさせ、落ち着けるようにとお茶を入れてくれた。


 そのお茶を飲みながら、ヴァイナスは昨日と今日で立て続けに起こった、偶然と言うには出来過ぎた二つの嫌がらせについて考えた。


 鉢植えに、動物の死体。

 両方とも、まるで警告のような行為だ。無関係とは思えない。


(一体、誰が何のために……?)


 そもそも、狙われる心当たりなどない、とは口が裂けても言えない立場のヴァイナスだ。


(ノーゼリアとイグニスが友好関係を結んでは困る反和平派の仕業? 随分と陰険で直接的過ぎるけど……)


 一つ目の心当たり――自分の出身国がらみかと考えてみたが、どうもしっくりこない。ならば、やはり……。


(至宝ではなくて、添え物だった事が原因かしらね)


 王家を敬愛する者が、イグニス王国を軽んじられたと思い、添え物姫と呼ばれているヴァイナスに、陰険な嫌がらせを仕掛けてきている。こちらの方が、可能性としては高そうだが、はっきりとした答えは出ない。


(……王家が裏で糸を引いている……という事は無い……わよね? ――いくらなんでも……)


 口に出せば、ただではすまない。だから、ヴァイナスは己の胸中でのみ吐き出した。

 警備の目もあるはずなのに、こんな嫌がらせが朝まで発覚しなかったのは、周囲が協力的だからでは……と考えてしまう。

 どうしたって、こんなものを目の当たりにすれば、思考は悪い方へ暗い方へ人進んでしまう。

 だから、ヴァイナスはそこですっぱりと思考を断ち切った。


(すぐに皆仲良く手を取り合ってなんて、無理に決まっているもの)


 元々は敵対国だったノーゼリアとイグニスだ。今すぐ、何でも受け入れられる人間ばかりではない。反発する者がいるのも当然のことだ。

 自分も、セレストと会うまでは血気盛んなイグニス人は、すぐに人を斬るに違いないなどと、今考えればあんまりな思い込みをしていた事を思い返したヴァイナスは、ゆっくりと深呼吸した。


 ここで、取り乱してはいけない。弱みを見せてはいけない。なによりも――焦ってはいけない。

 婚姻が無事結ばれても、自分になにかあったり……あるいは何かしでかせば、それはたちまち歩み寄り始めた二国の不和へ繋がりかねないのだから。


(セレスト様とは、親しくなれそうだもの。……何事も、急いては駄目だわ)


 ヴァイナスが、そう割り切ったところで、扉が乱暴に叩かれた。侍女が立ち上がり、扉に向かうのを眺めていると、聞こえてきたのは、変声期を迎えていない高い子供の声だった。


「夫が妻に会うだけなのに、なぜ侍女の許可がいる! 中へ通せ!」

「殿下! お待ちください! 姫様はまだお支度が……!」

「うるさい! 無事を確認すれば直ぐに出ていく! いいから、どけ!!」


 なんだか揉めている。どうしたのだろうとヴァイナスが腰を上げたところで、扉が開き小さな影が飛び込んできた。


「セレスト様?」


 昨日は様子がおかしかったセレストだが、今朝はまた随分と威勢がいい。ただ、思わず疑問符がつく程に、本日のセレストの恰好はおかしかった。

 いつもは、髪も服装もきっちりと整えられ、隙などまったくありませんといった風なのだが……。


「――ぶ、無事か……!?」


 ぜぇせぇと肩で息をしている目の前の少年の恰好は、いつもと真逆だった。

 髪はあちこちはねているし、服も適当に羽織ってきたのか、いつもはきっちり首元までとめているボタンが外れている。


 恐らく、今朝の件で報告が行ったのだろう。起き抜けだっただろうに、聞いてすぐに飛び出してきましたというような格好に、ヴァイナスは頬を緩めた。


(……心配してくれたのね)


 少なくとも、目の前にいる小さな夫だけは、自分の事を本気で案じてくれている事がわかったからだ。


「はい、セレスト様。もちろんです。私はなんともありませんよ」


 心配そうに見上げてくるセレストに頷いて、ヴァイナスは、はねて癖のついている髪をそっと撫でた。


「ふぇっ!? ……な、なんだ……?」


 驚いたように身を引いたセレストに、ヴァイナスは首をかしげる。


「髪が、はねておりましたので、直そうと……」

「――はねて……! ……すまなかった、見苦しいところを……! 無事ならいいのだ、私はもう行く邪魔をしたな!」


 ヴァイナスの言葉にセレストは顔を真っ赤にして、わたわたと自分の髪をおさえた。


 普段の大人びた態度など何処かに忘れてきてしまったように狼狽えたかと思うと、そのまま逃げるように部屋を飛び出して行く。

 唐突に現れ、唐突に去っていったセレストをポカンとした表情で見送ったヴァイナスだったが、やがてクスクスと笑い声がこぼれた。


 ――ノーゼリアの添え物姫が、歓迎されていないことは確かだ。

 だが、どうやら夫は妻を気にかけてくれているらしい。


 セレストの取り繕わない態度が、ヴァイナスの心を浮上させる。


(ふふ……、あんなに慌てて来てくれて……)


 誰も知り合いがいない他国で、こうして自分を案じてくれる存在はとても嬉しいものなのだなとヴァイナスは目尻を下げる。

 そして気分一新とばかりに、転がるように出ていった王子を見送り呆気にとられていた侍女を明るい声で呼んだのだった。

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