第4話 ちらつく影


 ヴァイナスがイグニスに来て数週間程経過した、ある日の事。


「時間があるのならば、庭を散歩しないか?」


 ひょっこり顔を出したセレストに誘われ、城の庭を散歩することになった。

 このセレストという王子は、言葉こそ堅苦しいが、他国から嫁いできたヴァイナスを気遣ってか、よく顔を出しては城のあちこちを案内してくれた。


 最初こそ子供らしからぬ彼に困惑し戸惑うばかりだったが、セレストの心配りのおかげで、頼る者がいなくて寂しいなどと思う日は一度も無かった。むしろノーゼリアにいた時よりも充実しているような気さえしている。


 悪くない、と思う理由の一つが、セレストが流れるようにつらつらとしてくれる解説にある。

 例えば城の成り立ち、庭の花々の種類、美術品の特徴など、彼は実にたくさんの知識を備えており、ヴァイナスを圧倒させた。

 そして、説明を聞く度にヴァイナスが、感心したり褒めたりすると、少しだけ得意げな顔をするのだ。


 普段は大人びた様子なのに、そういう所はやはり子供だなと微笑ましい気持ちにさせてくれるセレストと言う存在は、ヴァイナスにとってはある種癒やしであった。


 そんな風に共に過ごしていると「王子に会ったら殺されてしまう」等という、くだらない妄想で怯えていた事が、とても馬鹿らしくなった。

 さすがにこの子が、「添え物は、殺す」だとか、恐ろしい事を言い出したりはしないだろうと考える余裕が出てきたおかげだろうか。ヴァイナスは、彼に対しては幾分か心を開き始めていたのだ。


 同じく身内の迷惑を被った仲間。その上、己より遥かに年下であるのに、不遇を嘆くわけでもない、立派な少年だ。

 自分よりもしっかりしていると感心し、微笑ましく思う程度に、ヴァイナスの心は落ち着きを取り戻していた。


 こうして連れ立って、のんびり歩く時間は、心を穏やかにしてくれる。

 ヴァイナスは、セレスト王子と過ごす時間に、確かな安らぎを感じていた。


「むこうには、何があるのですか?」

「……むこう……? ――っ……あの奥は、白薔薇だ。だが、今行ってもつまらないぞ。まだ、咲いていないから。それよりも、他に見頃の花があるから、案内しよう」


 ――二人並んで歩きながら、セレストはこの庭の奥では白薔薇が咲くのだと話してくれた。他にもこれから咲く花々の事を、セレストが詳しく語る度、新しい発見だとヴァイナスは感心して頷く。


「セレスト様は、物知りなのですね」

「そうか? ……花の知識など、女々しくないか?」

「いいえ。とんでもない。……こうして直に目で見て、種類や育つ環境……語れる逸話など、どれもこれもが素晴らしいです。私の方が年上なのに、とても楽しくてあれこれ質問してしまい……セレスト様が、お疲れでなければよいのですが」

「……大丈夫だ。貴方も平気ならば、ほら……今が盛りの花を見に行こう。あれにも、面白い話があるんだ。道すがら教える」


反応がある事が嬉しいのか、セレストは身振り手振りも交えて、なおも一生懸命ヴァイナスに説明してくれる。 


二人の間に流れる空気は、じつに穏やかなものだった。――ヴァイナスの頭上を目掛け、大きな鉢植えが落ちてくるまでは。


「危ない!」


 幸い、二人の後ろからは、セレストの護衛であるクロムが、適度な距離で付いてきていた。


 彼が声を上げ、突き飛ばしてくれたおかげで直撃は避けられたのだが、なぜこんな大きな鉢植えが落ちてくるのだと、ヴァイナスは目を丸くする。


 風が少し吹いた程度ではびくともしないだろう、しっかりした鉢植えだ。

 それこそ、人の手で運ばない限りは。

 まさかとは思いつつも、そんな風に考えてしまったヴァイナスは、たれ目を鋭くさせ上を見上げているクロムに気が付いて、その視線を辿る。


 しかし、そこには誰もいなかった。

 ただ、開かれた窓が揺れていて、直前までそこに人がいた事を示している。


「誰かが、手を滑らせたようですね。事故とはいえ、こんな鉢植えが頭にぶつかったら、ひとたまりもありませんでした。ありがとうございます、クロム」

「事故、でよろしいのですか、姫様? やった者は、さっさと逃げてしまったようですが」

「ええ、かまいません。不慮の事故でしたが、怪我人は出なかったのですから」


 ヴァイナスは、あえて事故だと言った。大事にできない以上、事故と言わざるを得ない。でなければ、大きな問題になってしまう。


「でも、せめて一言謝罪してくださればいいのに。私は、そんなに意地が悪そうに見えるのかしら?」


 事故だと言うなら、謝罪すればいい。

 この程度で目くじらを立てたりはしないと呟けば、クロムは苦笑して「姫様って結構豪胆ですね」と軽口を叩いた。 

 護衛のクロムには余裕があったのだが、セレストはなぜか顔を真っ青にして立ち尽くしていた。


「セレスト様? どうかなさいましたか?」


 顔色を心配してヴァイナスが声をかければ、セレストはハッとして駆け寄ってくる。


「大丈夫か!?」

「はい。何ともありませんよ」

「本当か? どこも痛めていないか? 我慢していないか? 本当に、大丈夫なのか!?」


 ヴァイナスは無傷だったと言うのに、何度も確認してくるセレストの顔には、恐怖が滲んでいた。

 縋るような目で見上げられ、ヴァイナスは戸惑いながらも、表に出さないように心がけ、落ち着くようにと笑いかけた。


「ええ、大丈夫ですよ。欠片も当たりませんでしたから。ね、そんなに心配しないでくださいセレスト様」

「……だが、僕のせいで……!」

「え?」


 青白い顔で、今にも泣きそうなセレストの言葉が、なぜか引っかかった。ヴァイナスは、思わず声を上げる。すると、見計らったかのようにクロムが間に入ってきた。


「殿下、落ち着いて。姫様が困ってますよ」


 そう言って、ヴァイナスに抱きつくような状態で詰め寄っていたセレストの背中を、ぽんぽんと安心させるように叩く。

 手慣れた様子は、まるで母親のようだ。

 ヴァイナスは、黙って二人を見つめていた。するとクロムと視線がぶつかった。

 へらっと笑ったクロムに対して、ヴァイナスもまた笑い返す。

 すると彼は驚いた顔をした後、申し訳なさそうに軽く頭を下げた。


 護衛と言うだけあり、クロムは常に柔らかい笑みを浮かべていて、感情が読みにくい。

 ただ、この瞬間だけは、ヴァイナスにも彼の考えが伝わった。


 クロムは、申し訳ないと思っている。同時に、安心もしていた。――おそらく、ヴァイナスが、この場で何も追及しなかったことに対する安堵と、感謝に違いない。


 実際、ヴァイナスはこの場で自分の疑問を解決するよりも、真っ青な顔をしているセレストへの心配が勝っていた。


「セレスト様、私、少し疲れてしまいました……。もう、お部屋に戻りましょう?」 

「――っ――」


 何も気が付かなったふりをして促せば、セレストは青い顔で震えながらも、頷いてくれた。ただ、その後はもう一言も口を開かなかった。

 そんな状態の彼を、連れ回したりなどできるはずがない。


 ヴァイナスは、言葉通りセレストを自室に送り届け、自分も部屋に戻ろうとした。

 すると、主が部屋に入るのを見届けたクロムが、珍しい事にヴァイナスを呼び止めた。


「姫様」

「なんでしょう?」


 この護衛とまともに言葉を交わすのは、実はこれが初めてだ。

 別に無視されていたわけではない。一言で終わる、事務的な会話ならば多少はあった。

 ただ、こんな風に向こうから呼び止められてまで会話する機会は無かったのだ。


 柔和なようでいて、この男はきっちり線引きをしている。

 クロムという男にとって、ヴァイナスは主人の添え物でしかなかったため、会話の必要性を感じなかったのだろうが――今になって、心境が変化したのか、クロムは人好きのする笑顔で言った。


「先ほどは、何も聞かずにいてくれて、ありがとうございます」

「……。何の事でしょうか?」


 ヴァイナスの返答は、クロムにとって予想通りだったのだろう。彼の表情が、鉢植えの時のような苦笑に変わる。


「……そうやって、知らないふりをしてくれて、感謝していますって事ですよ」


 きっと、この感謝の言葉は、彼の本心なのだろう。

 ヴァイナスの目をきちんと見て話す様子からも、真摯な気持ちがうかがえる。


「……殿下のお嫁さんが、貴女でよかったと思います」


 しみじみと告げられた言葉には、今まで交わしてきた言葉の中にはなかった、暖かさがあった。


 クロムはいつも笑顔で、護衛と言う立場から帯剣が当たり前の存在だ。なので、ヴァイナスは今まで彼を、警戒していた。自分のあらを探していて、斬る口実を探している監視役かも知れない……そんな飛躍した事まで考えていたのだ。

 しかし、今日の言動で、クロムは本当にセレストの事を大事に思っているのだと知ることが出来た。


 青い顔をして、何かに怯えていたセレスト。

 今の自分では、あの子に何もしてやれないとヴァイナスも分かっている。少しだけ悔しいが、それでもこの男が付いていてくれるのならば、きっと大丈夫だと思えた。


「あぁ、申し訳ありません、引き留めてしまって……! お部屋まで送ります」

「いいえ、貴方はセレスト様についていて下さい」


 今のセレストを一人にしてはいけないと、ヴァイナスは申し出を固辞する。


「姫様……」


 目を瞠ったクロムは、すっと流れるような動作で、深く一礼した。


「貴方になら、きっと殿下も話せるかもしれませんね。……いつか、きっと」


 そして顔を上げた彼は、面倒見のいい兄のような顔で笑っていた。


「――感謝いたします、奥方様」


 そう言って笑みを深める彼は、今までとは、確実に雰囲気が違う。

 親しみを感じる笑みを向けられたことで、ヴァイナスは、自分が少しだけイグニスに受け入れられたように感じた。

 しかし、同時に奥方様と呼ばれたことが、妙に気恥ずかしい。


「感謝だなんて……それは、私の方です。私を受け入れてくださったイグニスと――セレスト様に、感謝しております。それでは」


 ヴァイナスは逃げるようにセレストの部屋を後にした。

その最中に、ふと思う。

 青い顔をして震えていた、子供。いつか、直接あの子に感謝の言葉を伝えられたらいいな、と――。

 そして、ヴァイナスの言葉を聞いて笑うセレストの顔が、見たいと思った。


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