第3話  身代わり結婚の二人

 ヴァイナスがその後、何度ふて寝して、起きてを繰り返しても、突きつけられた現実は変わらなかった。ついでに、熱心にお願いしても世界は滅びなかった。 

 どれだけ現実から目を背けようとお構いなしに、その時は来てしまったのだ。 

 

 本当だったら妹が盛大に祝われ輿入れしているはずだった国……イグニス王国の城。身代わり花嫁であるヴァイナスは、通された豪奢な一室でガチガチに固まっていた。


(……あの腹立たしいだけの駆け落ち替え玉事件を懐かしい、あの頃に戻りたいと思うなんて……私、いよいよ末期かしら?)

 

 過去を、それもつい最近起こった、最大に腹立たしい事件を懐かしいと思うのは、今いる場所が慣れ親しんだノーゼリアではないからだろう。


(……というか……これが今際の際に見るという、走馬灯というものかしら?)


 まだ正体が露見して斬られてはいないけど……と内心で軽口半分本気半分が入り交じった呟きを吐露し、小さくため息を吐き出す。


 あぁ、出来ることならあのまま慣れ親しんだ寝台でずっと眠っていたかった……というのが偽りのない本音である。

 しかし、ヴァイナスは、すでにイグニスの王城に入ってしまった。

 逃げ場など、今更どこにもない。


(戦争だけは、なんとしてでも回避しなくてはいけないわ。…………と言っても、私はただの添え物……。駄目だわ、無力すぎる)


 また詰んだ。考えれば考えるほど、明るい展望は遠ざかる。

 ――伸し掛かってくる現実の冷たさと重さに、ヴァイナスはぶるりと身震いした。

 後で王子が来るからと通された部屋で一人俯いて、迫る現実から必死に目をそらす事を選んだ。

 これ以上は、向き合ったが最後、悪い方にばかりに考えてしまい、胃が「もうやめて!」とばかりにキリキリと痛みだすからだ。


 一体どんな王子様が出てくるのか?


 そんな疑問は今更だ。すでに、想像する事すら苦痛である。

 どんな王子を想像しても、必ず相手は添え物姫に嫌な顔をして「謀ったな!」とヴァイナスを斬り捨てる……、そんな絶体絶命の未来しか描けないのだから、精神的によろしくない。

 そんな妄想など、いっそしない方が健全である。


(無理だわ。無理。無理すぎる。――いますぐ世界が滅びますように! 一瞬で塵芥も残さず消え去りますように! どうかどうかどうか……!)


 心の中で何度吐いたか分からない拒絶の言葉と、無意味なお祈りを繰り返していると、ギィイッと重厚な音を立てて扉が開いた。


(き、来た……!)


 緊張でガチガチだったヴァイナスは、腹の底にまで響いてくる音に身を竦ませる。


「ここで待て」


 おそらく付き添いの人間に言葉をかけたのだろう……王子の第一声は、あれこれ考えていたどの王子像にも当てはまらない程、高かった。


 いや、高いと言うより、むしろ――幼いと言い表す方方が適切に思える。


「姫、イグニスへようこそ。長旅でお疲れでしょう」


 ふわふわの絨毯が敷かれた室内では靴音がしない。

 なので、声に違和感を抱いたものの、俯いたままだったヴァイナスには近づいてくる気配もわからなかった。

 高い声が、急に間近で聞こえた事に驚いて顔を上げる。


「えっ!?」


 顔をあげたはいいが、次に彼女がしたことは間抜けな声をあげるという、大変情けない事だった。

 だが、作法を逸脱した事に羞恥を覚えるよりも先に、驚きが勝った。

 ヴァイナスは、淑女の作法も忘れ、ぽかんと口を開け目の前の王子を見つめてしまった。


(第一、王子……? えっ? この子が……?)


 ――目の前に立っていたのは、キラキラとした白銀の髪に、晴れ渡った空色の瞳をした……愛らしい容貌の子供だった。 


「あぁ……。申し訳ない。女性に対して一声もなく近づくのは無粋だった。許されよ」


 しかし、その顔はにこりともしない。

 そして大人びた堅い口調。

 随分と、子供らしくない子供が、豪奢な服を着て立っていた。


 ヴァイナスは、まず子供の容姿に可愛いなぁと頬を緩め、それから子供らしくない話し方に戸惑い……そして最後に、ここに来るのは妹の結婚相手である王子様で、その年齢は十七歳ではなかったかと首をかしげた。


(実は、この見た目と幼げな声で十七歳、だとか? ――いいえ、落ち着きなさい、私。その理論はいくら何でも無茶苦茶だわ)


 子供は困惑するヴァイナスをよそに、すっと身を引いて距離をあける。

 ヴァイナスは戸惑ったものの、ここに来られる存在ということは、目の前の子供も高位の身分であることが推測できた。そうすると、いつまでも座りっぱなしは不味いだろうと立ち上がり、愛想笑いを浮かべつつ口を開く。


「お、お気になさらずに……えぇと……」


 第一王子には見えない相手だ。どう呼ぶべきかと悩んだヴァイナスに対して、彼は困惑を見透かしたかのように、己の名前を口にした。


「私はセレスト」


 セレストと心の中で繰り返し、ヴァイナスは彼にこの状況はどういうことか尋ねようとした。

 しかし、続く言葉に動きを止めてしまう。


「この国の第二王子だ。……そして、気の毒なことに貴女の夫となる存在でもある」


 第二王子。

 貴女の夫。


 己の耳が拾った単語は、聞き間違いではないだろうかと、ヴァイナスは思わず相手を見つめた。すると、セレストと名乗った彼もまた、澄んだ空の瞳で、じっとヴァイナスを見つめ返す。


 紫と青、二つの色が交錯し――やがて、ヴァイナスは確認するように口を開いた。


「……夫、ですか?」

「そうだ」

「……私の……?」

「ああ、そうだ」


 聞き間違いではない事を証明するかのように、肯定の返事が返ってくる。


「あの……、もう一つだけ、お尋ねしても?」

「かまわない。なんだ?」

「――セレスト様は、……その……おいくつですか?」

「今年で十になる。それが、どうした?」


 淡々とした回答に、ヴァイナスはたっぷりと間をとって、またしても間抜けな声を上げてしまった。


「…………十歳…………?」


 子供改めイグニス王国の第二王子セレストは、そんなヴァイナスに驚くのも無理はないと落ち着いた様子で事情を話し始めた。


「非常に申し訳ないが、兄王子が出奔した。現在は行方知れず。まさか、王子がいないから花嫁を送り返すなどという、非常識な真似はできない。だからこそ私が駆り出された。……貴女には心底同情するが、抗議は受け付けない。――そちらも、約束とは違う姫を送りつけてきたのだからな」


 最後に付け加えられた、子供とは思えない冷静な言葉と視線に、ヴァイナスはぎくりと身を固くした。

 完全にバレているではないかと冷や汗をかくが、一方ではどこも似た状況なのだなという親近感も感じていた。


「……大変ですね」

「貴女もな、姫」


 思わず口をついて出た言葉だったが、セレストは気分を害した様子もなく頷いた。十歳だと言っていたが、その態度は、いまだ往生際が悪くジタバタしているヴァイナスよりも、ずっと落ち着いているように見える。


「どうだろう、姫。私たちは、共に身内の愚行によって迷惑を被った者同士だ。愛など芽生えるはずもないが、仲間意識は芽生えないか?」

「えっ? ……ええ、それは……まぁ……たしかに」」


 一瞬だけ戸惑い、だがすぐに同意を示し頷くヴァイナスに、セレストは「そうか、私もそう思う」と短く肯定を返す。

 彼の中で、その返事は合格だったらしい。


「ならば、これからよろしく頼む――妻殿」


 偽物と分っていながら――ためらいなく差し出された右手。

 まだ成長途中にある子供の手を見つめたヴァイナスだったが、拒否感を覚える事なく自分の右手を重ねた。


 ぎゅっと握手を交わした二人に、当然ながら夫婦らしさなど欠片も見当たらない。文字通り、今日知り合った他人という関係にしか見えない。


 しかし、ヴァイナスにとってはそんなことは些細な事でしかなかった。

 残念ながら一目で恋に落ちると言う情熱的展開はなかったが、斬られるという最悪の未来も回避できたのだ。

 ある意味上々だ。

 満足気な笑みが、知らず知らず口元に浮かんでしまう。


 ヴァイナスとセレストの十歳差夫婦は、本日から始まったばかりだ。しかし、己の思い描いていた最悪の未来を回避できたことに浮かれていたヴァイナスは、現金なもので、それまでの鬱々とした空気を一変させて、セレストに笑顔を向けた。


「ふつつか者ではございますが……これから、どうぞ末永くよろしくお願いいたします、セレスト様」


 その笑顔にわずかに目を瞠ったセレストは「……うん」と小さく呟く。そして、白い頬っぺたをほんのりと紅潮させ、そっぽを向いたのだった。


 互いが本来いるべき人間の身代わりであるという奇妙な偶然で結びついた二人は、こうして奇妙な仲間意識を感じたため、比較的友好的に婚姻関係を結んだ。


 そして、イグニス王国にてヴァイナスが最初にした仕事は結婚式。仮にも王族の婚姻というのに、互いに神に誓いを立てるだけという簡素な結婚式だった。


 よって、これが誰にも祝福されていない結婚だということはヴァイナスにも理解できた。

 ただ、彼女は元々愛し愛される結婚など無理だと諦めていた添え物姫である。

 迷惑仲間という関係も有りだと、早々に事態を受け入れたヴァイナスは、存外図太く順応の早い人間であった。


 ――偽りだらけの政略結婚で結びついた年の差夫婦の新婚生活は、こうしてひっそりと幕を開けたのである。

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