第2話 添え物姫の災難
ノーゼリア王国の首都、リノリア。
国の象徴たる白亜の城。その一室で、ヴァイナス・ノーゼリアは、とても難しい顔をして頭を抱えていた。
(あぁ、どうしましょう……一体、どうしたら……!)
かと思えば、今度は頭をブンブンと左右に振ったりと忙しない。その度に、さらさらと癖のない金茶の髪が揺れて、困惑を滲ませた紫の双眸は、落ち着きなく視線を迷わせている。
つまり――ヴァイナス・ノーゼリアは、二十年の人生の中で、過去最大級に困っていた。
「……ダメ……、何一つ打開策が思い付かない……」
王女であるヴァイナスが困難に直面しているにも関わらず、助けてくれる相手もいない。
当初は、この迷惑案件に関して傍観者の立ち位置だったのに、どうしてこうなったのだとヴァイナスは頭を抱える。
そう、どうしてこんな事になったかと言えば――ヴァイナスの妹が原因だった。
「私が、《ノーゼリアの至宝》を装って輿入れなんて……無理がありすぎて……! あぁ、困ったわ。顔を見られた瞬間、バッサリ斬られたり……! ――有り得るわ……と言うより、そんな未来しか想像できない……!」
頭を抱え、床にしゃがみこむ程までに悩まなければならなくなったのは、ヴァイナスの妹であり、ノーゼリアの至宝などと謳われる美貌の姫君アイリスが起こした、ある行動のせいだった。
――第二王女であるアイリスは、生まれた時から大層愛らしい子だった。世話役達が、抱き上げてあやす係を我先にと奪い合い、出会った大人達は全て相好を崩し、ちやほやした程。そんな妹姫は、今年で十六歳になり、花も恥じらうような美しい乙女に成長していた。
ゆるく癖のついた豊かな蜂蜜色の髪、けぶるような長い睫毛に縁取られた宝石のような紫の瞳。潤んだようなその瞳で見つめられれば、どんなわがまますら叶えてやりたくなってしまう……何処かの誰かがそんな風に讃えた美貌の妹は、つい先日こんな書き置きを残して姿を消したのだ。
〝好きな方と一緒になります、探さないでください〟
守られているだけだと思っていた妹は、案外行動派だったのだ。
姉として、妹が見せた思いがけない行動力に感心していたヴァイナスとは反対に、慌てたのは父王と重臣達である。
求婚者が列をなす美貌の姫には、輿入れの話が持ち上がっていたからだ。無論、政略の意図を持った婚姻だ。
――ノーゼリア王国は長年、西のイグニス王国と仲が悪かった。過去の歴史を振り返れば、大規模な戦争にまで発展したほど筋金入りの険悪さだったが、両国がこのままではいけないと歩み寄りを重ねた結果、現在では両国を行きかう人々も少しずつ増えてきた。
国交も回復の兆しを見せる中で、両国の王族を結婚させようという話が持ち上がったのは、ある意味当然の成り行きだった。
なにせ、関係改善には手っ取り早い方法であり、両国には丁度年齢も釣り合う姫と王子がいたのだから。
しかし、事もあろうにノーゼリア王国が当てにしていた丁度良い年頃で、その上美貌で有名な姫は、政略結婚を嫌がり駆け落ちしてしまったのだ。王達の動揺も致し方ない。
国同士の約束事に、いまさら「ごめん、やっぱり無理です」等とは、口が裂けても言えるはずがない。
せっかく好転していた関係は一気に冷え込み、最悪戦争の火種になりかねない……――平和主義で賢明な王と重臣達は、事態の重さに青ざめた。……その青ざめた顔で、一人だけ、のほほんと高みの見物を決め込んでいたヴァイナスを凝視したのだ。
彼らは互いの視線のみで、問答を交わした。そして、あっという間に答えを出した王は、素早く兵に目配せし娘の拘束を命じたのだ。
『よしわかった! ヴァイナスに、花嫁としての支度をほどこすがよい!』
この時のことは、今思い出しても腹が立って仕方がない。
『花嫁……? 一体、何のおつもりですか、お父様!』
『はっはっは! 喜べ、ヴァイナス。嫁入り先が決まったぞ!』
『はぁ!?』
『相手はイグニス王国の第一王子だ! 未来の王妃だぞ! やったな!!』
『ちょっと……お待ちください! 突然、何を言い出すのですか! お気を確かに、お父様!!』
それは妹の嫁ぎ先だろうと抗議したヴァイナスに、父王は焦点の定まっていない目のまま、こう告げた。
『これでもう、いかず後家などと言って、お前を馬鹿にする者はいないな! お前は今年で二十歳か……まぁ、大丈夫! 許容範囲だ! 父は何時でもお前を思っているぞ、幸せにな!』
その言葉を皮切りに「おめでとうございます姫様」「お幸せに」と、重臣たちが心にもない言葉を唱和した。
そんな恐怖の光景に、ヴァイナスは何が大丈夫で、どこら辺がおめでたいのかと、半泣きだった。
そして誰かこの父を止めてくれと叫んだのに……。
『ご乱心です! 王がごらんしーん!』
しかし、止められたのは自分だった。
心からの叫びは呆気なく無視され、こうして自室に軟禁されるはめになったのだ。
手際のいい父は、ヴァイナスを軟禁している隙に手はずを整え、身代わりの花嫁としてイグニスに嫁ぐという事が決定してしまった。
(うぅ、酷いわお父様……まるで生贄に捧げられる子羊の気分よ……!)
事が露見してしまえば、揉めるのが目に見えている。関係悪化は免れないし、心証も悪くなるだろう。
そうしたら、どんな目に遭うか……。
(考えただけで恐ろしい……!!)
そんな展開が待ち受けているだろう場所に、嬉々として向かう人間がいるはずもない。
勿論ヴァイナスも、そんな奇特な人間性の持ち主では無かったため、こうして自室でずっと頭を抱えているのだ。
血気盛んなイグニス人の事だ、偽物の花嫁だと知った途端、ズバッと斬り裂くに決まっている……――そんな己の未来を想像しては恐怖に震える。
しかも、ヴァイナスは向こうが期待しているだろう至宝ではなく、添え物の方だ。
ノーゼリア人ならば誰でも知っている、失笑と共に上がる呼び名……ノーゼリアの添え物姫。絶世の美姫と持て囃される妹姫の隣にいる添え物という、言葉通りの意味だ。
そんな呼ばれ方をする理由としてヴァイナスに非はないが、もちろん妹にも何の非もない。
ただ、妹があらゆる意味で姉を超越していた――それだけの事だ。
周囲の評価に対して、今更どうこう言うつもりなど無い。
妹の代替えとして自分をあてにした父には若干の怒りがわくが、立場を考えれば、仕方がない事だと納得する他ない。
何よりも大切なのは、国同士の友好関係の維持――それがノーゼリア王族の務めであると、頭ではきちんと理解している。
だからこそ、完全に詰んだこの状況では、これ以上どうしようもないと諦め、そろそろ現実と向き合わなくてはいけない頃合いのはずなのだが……。
(このまま眠って……起きたら実は夢だった……なんて事にならないかしら……)
生憎、ヴァイナスには理解力はあっても、そこまでの覚悟はなかった。
「……はぁ……、明日なんて来なければいい。いいえ、いっその事、こんな世界なんて滅びればいいんだわ……出来れば今すぐに」
とうとう寝台に寝転がり、物騒なことを呟いて……。ヴァイナスは、ほんの少しだけ自分の意思を突き通した妹を恨み、羨んだ。
妹には、望まぬ結婚などしたくないとまで思わせる相手がいた。望まぬ結婚などさせないと、姫を救いにくる勇者がいた。
だとというのに――と、ヴァイナスは己の状況を省みて、苦笑いを浮かべた。
「……誰も来ない……来るはず無いわね」
そうはさせないと思う者は、いない。それほどまでに、添え物姫の存在は軽い。
自分には誰もいないという現実が、無性に悲しかった。
いかず後家の添え物姫などと揶揄され、本人も事実と受け止めていようと、ヴァイナスにも心が弱くなる時がある。
弱った時に、そんな事実を突きつけられれば、傷つかないわけがない。
(……きっとすぐに向こうも気が付くわ。……そうしたら、どうしたらいいの)
イグニス王国とて、相手がノーゼリアの至宝である妹だったからこそ、了承したはずだ。
そこへ、まさかの添え物がノコノコ行けばどうなるか……少し考えればわかるだろうに。
自棄を起こしたように「おめでとう」と唱和していた王以下重臣たちを思い返し、ヴァイナスは枕に顔を突っ伏し、これから自分の身に降りかかるだろう災難を想像し、嘆いた。
「……うぅ……やっぱり無理だわ……行きたくない……!!」
しかし、どれだけ待ってもヴァイナス姫を救う勇者は現れない。
現実とは、かくも非情である。
悟ったヴァイナスは、姉妹の格差を痛感しつつ、その非情な現実から逃げるための手段……睡眠をとることにしたのだった。
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