掌編集

石川少

1 青年と犬

その青年はどうしても小説家になりたかった。小説を書く以外に生を感じられる時はなかった。青年は仔犬を買った。これが死ぬまでに小説がモノにならなければ死のうと思った。

好きなことで生きていくとは結局、好きなことをして死ぬことと同義だった。


仔犬が五歳になる頃、青年はある私小説作家に傾倒していた。青年も私小説を書き始めた。自身の記憶の断片を記した。

すると青年は母が強姦されていることに気付いた。行為の相手は父だったが、母の悲鳴が合意の無いことを訴えていた。青年の吐瀉物を犬が食った。


仔犬が七歳になる頃、青年はまだ私小説を書いていた。デビューはまだしておらず、それどころか新人賞の一次選考さえついぞ通過したことがなかった。

気にせず書き続けると、青年は自身が強姦されていることに気付いた。相手は母だったが、母の切羽詰まった脅迫が愛情だと理解していたものではないことは分かった。青年の涙を犬が舐めた。


仔犬が十二歳になる頃、青年は相も変わらず私小説を書いていた。青年は小説のことを少しだけ分かり始めていた。けれど新人賞の一次選考を通過することはなかった。青年が小説を書いていると、自身が嬲られていることに気付いた。相手は母方の祖父母だったが、憎しみに満ちた老人の顔は酷く醜く、青年は犬を連れて逃げ出した。


仔犬が十四歳になる頃、青年は裸足で逃げ回りながら私小説を書いていた。まだ一次選考を通過したことはなかったが、青年は小説の神髄に触れようとしていた。

青年はある日、信濃川に架かる橋の上で一本の小説を書き上げた。それは青年自身が一寸信じられないような傑作だった。

早速新人賞に応募しようと思い青年が歩き出すと、犬が死んでいた。青年はすぐに二人を連れて川に飛び込んだ。

今も信濃川の底に三人はいる。

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掌編集 石川少 @showjunk

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