子犬戦記

花るんるん

第1話

 「困るんですよね」

 あ、はい。

 「ここのアパート、ペット禁止でしょ? それで選んだのに、子犬の鳴き声ね、ちょっと、困るんですよ」

 はい。

 「そりゃ正直、最初は一匹ぐらいと思って、目をつむってましたよ。自分だって、鬼じゃない。でも、だんだんと増えてって、どうにもこうにもならないんですよ」

 あ、はい、気をつけますと言って、俺はそそくさと部屋に入った。

 俺が何とか言えるのは、そこまでだった。

 事実だから。

 それに、せっかく「うだつのあがらないサラリーマン」というキャラ設定を守ってきたのに、ここで壊したら、元も子もない。隣人を壊したら、元も子もない。

 そう、部屋の中は子犬だらけだった。愛くるしい笑顔で俺の帰りを待っている。

この子犬たちのおかげで、今の俺がある。素直にそう思える。「この子犬たちがいなかったら」と思うと、ゾッとする。文字どおり、この俺にとっては、この世の終わりだ。

 たしかに俺は、「うだつのあがらないサラリーマン」を演じてきたが、実際「うだつのあがらない殺し屋」ではあった。「うだつのあがらない」せつなさは、「真に迫る」というより、「真そのもの」だった。

 なかなか殺せなかった。

 報酬三十万円のお手軽ターゲットさえ殺せなかった。いつも、いつもいつも、タイミング悪く邪魔が入ってきた。

 でもそれは、どの分野の仕事でも同じだ。「タイミング悪く邪魔が入ってきた」ということがしょっちゅう続く時点で、その分野には向かないのだ。運が悪いんじゃない。実力だ。

 向いてない。

 もうやめよう、この仕事は。

 田舎に帰って、畑でも耕そう。

 そう思っていた矢先、やっと報酬十万円(出血大サービス中)でターゲットを殺すことができた。

 部屋に帰ると、子犬が一匹待っていた。

 「買った」覚えも、ましてや「飼った」覚えもなかった。

 どこから紛れ込んできたんだろう。

 よくよく考えれば、とても不可思議なことではあったのだが、「自分の仕事とてまともではない」こともあったせいか、何となくスルーしてしまった。

 それから一週間後、報酬十二万円でターゲットを殺した。

 部屋に帰ると、子犬が二匹待っていた。

 いくら愚鈍の俺でもさすがに、ルールが分かった。


 一人殺すと、一匹子犬が来る。

 逆に言えば、

 一匹子犬が来れば、一人殺すことができる。


 もちろんこれでもプロのはしくれだから、子犬が来たからと言って、「やさしい気持ちになって、廃業」ということはなかった。子犬たちだって、そんなために来た訳じゃない。俺がエサ代を稼がなくなったら困るだろう。

 とはいえ。

 仕事繁盛で、子犬繁盛して、近所に迷惑をかけてしまうのも考えものだ。

 仕事柄、マイホームを買う訳にもいかないし。


 副業するしかないか。


 今の部屋のキャパで、飼いきれる程度の仕事しかできない。

 ならば。

 本業を持続可能とするために、地味な事務職でも副業として、お金を貯めて、少しでも大きな部屋に移動しよう。


 そして。

 やがて。

 クライアントからも、副業に勤しむ俺からも、本業が、本当の俺が忘れさられていく。

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子犬戦記 花るんるん @hiroP

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