第26話 ウロボロス第七席 『ニーズヘグ』
『貴様……なぜこんなことをするっ!?』
普段は比較的冷静なネヌファだが、仮にも世界の一部を司る大精霊である。その力は強大であり、たった一人の人間にどうこうできるものではない。亜人の勇者達ですら、その一部を借り受けているにすぎない。
だがこの魔方陣は、ネヌファの存在そのものを縛りつけている。さらには―――
(力が吸いとられているだと?)
見た目に変化はない。だが、間違いなくネヌファの力は削り取られている。その証拠に、ネヌファを縛る蔦の何本かが、何かを吸い取るように、収縮を繰り返している。人の身ならざる者から、世界の構成要素が吸い取られている。このようなマネをされて、人のように焦るネヌファ。
「うおぉい! スゲースゲー。こいつで何ふん縛ってたのか知らねーが、かの大精霊様を完全に無力化してんじゃねーか!」
対して、とても楽しそうなローブの男。柄の悪いしゃべり方で、大便をするようなかっこでニヤニヤしながら、身をよじるネヌファを見ている。
「陣の構成的に、かなり強力な存在から力を吸い取るものだと思ったが、想定以上だ。これなら精霊王やら女神からでも、力を吸いあげられそうな気がするな」
急にニヤけた顔を引っ込めたかと思えば、顎に手をやり、冷静というよりは冷徹といった方が似合うような、感情をのせていない目で、ただ見つめ続ける。
たまったものではないのは、ネヌファの方だ。えたいの知れない魔方陣に拘束されたかと思えば、力を抜かれているのである。しかも……
『グゥッ! ガァァァァァァァァ!!!』
冷静な話し方をするネヌファが、獣のような声を上げ苦しむ。吸い取る蔦は、ネヌファを縛るものすべてではない。動きは似ているが、吸い取るのではなく、送り込んでいるものが、何本かある。
「いいぞ、いいぞ。順調だ。吸うも送るも自在とか、万能じゃないか」
再び、イヤらしい笑顔を浮かべると、ネヌファの様子を観察する。
送り出されているのは、瘴気。魔方陣に刻まれた瘴気を集める図形によって、集まった瘴気をそのままネヌファに送り込んでいる。今森の中は、人さらいが活動したことにより、負の感情が充満している。なので、いつもよりは瘴気が濃いのだ。
活動的といえばおかしな表現だが、なんとか逃れようと、しきりに動いていたネヌファの動きは、徐々に衰えていく。
『オ、オォォォォォ……』
人が理解できる言葉を話せるはずのネヌファが、獣のような唸り声を上げ始めた。わずかに緑色に輝いていた体に、黒い瘴気が混じりはじめる。全身浸るのも、時間の問題だろう。
「ふむ……ここいらへんは、俺の精霊と同じだな」
ローブの男を、観察するものがいたならば、肩に小さなものが座っていることに気づいただろう。
「なぁ、シルファード」
『……』
虚ろな瞳をした精霊に語りかける、ローブの男。返事がないことを知っていながら、語りかけたこの精霊の周りにも、黒く蠢く靄が、まとわりついていた。
視線を再びネヌファへと戻す、ローブの男。
『……』
「もう自意識もほぼ刈り取れたのか? 信じらんねえ強度だな。何に使われたんだろうな、この陣……」
ローブの男は疑問を抱くが、すぐにやめた。判るわけがないからである。対象が干からびるほどの吸引力。それでいて、存在感を薄める隠ぺい力。悪い意味で一級品である。こんなもの一体何に使っていたのか。それをちょっといじり、出し入れ自由にしたのが、この封縛陣というものである。
「まぁいいか。後は、この木偶を適当なやつに植え付けたらいいわけだが……」
意思があるはずの大精霊が、完全に沈黙してしまっている。しかも瘴気を纏って。目の部分は、何を映すでもなく、宙を彷徨う。魔方陣は恐ろしいスピードで、世界の一角を支配した。今すぐに影響は出ないだろうが、このままいけば勇者の活動など何の意味もなさなくなる。そういうことを、この男は行っている。
ローブの男は、適当な人物を探すべく、森をうろつくことを決めたが、そこに葉や枝を踏む音が聞こえた。
チラリとそちらを向くと、一人のエルフの姿があった。
「ジャストタイミング。最高の素材じゃんか」
そこには、枝を踏んだままで固まる、元契約者、アルルの姿が。
「……ネヌファ、なの?」
いくら契約を切られたとはいえ、常に側にいた存在だ。様子が変わったからといって、間違えるはずもない。
だがそのネヌファから、リアクションが返ってくることはない。ネヌファからは何やらよくわからない唸り声が返ってくるだけである。ネヌファにも返事をしているつもりはないのかもしれない。
森をうろつかなくても良くなった、上機嫌な男はその調子のまま、茫然としているアルルへと話しかけた。
「いやいやお嬢ちゃん。ちょうどいいところに」
「アンタ……ネヌファに何したの!?」
一方的に契約を切られたとはいえ、ついこの間まで相棒だったのだ。こんなマネをされて憤るのも、当然と言えば当然だった。男の話を聞かずに、自分の言いたいことを言うアルル。
話しが通じなさそうだと即座に理解した男は、対話をやめ実力を行使する。
「雷よ」
「えっ?」
ズバチィ! と何もない所から稲光が発生し、アルルを直撃した。肌を焦がしたりするほどの威力はないが、体をしびれさせる程度の効果はあったようで、アルルは立っていられずに膝からへたり込む。
「せい、れい……?」
今になってアルルは気付く。こちらに手を向ける精霊の姿に。何かの姿を投影している強さの精霊の等級は、すべからく中級精霊である。ならば……
「アンタ……ハーフエルフ……?」
「ご明察だ。さすがは風の勇者アルル」
「どうして……アタシのことを……?」
オーバーリアクションで「困ったやつだ」という表現をする男。フードで表情は分かりにくいが、口はしっかりと見える。明らかに相手を侮蔑している。
どう見ても良からぬことを企むものを相手に、観察をおろそかにし、はじめの一手を譲ってしまった。アルルの複雑な現状を顧みて、仕方がないこともあるかもしれないが、この場においてそれは致命的だった。
男がしている腕輪を何か操作すると、ネヌファを縛る蔦は消える。自由を取り戻したネヌファだが、男が合図するとその後ろについてきた。そして、自由の効かないアルルの前へと立った。
見上げるアルルになすすべはない。ネヌファの力に頼った戦いに慣れていたアルルに、低級精霊をコントロールする精霊術が上達するわけもなく、体の自由が奪われた状態で、体を動かすこともままならない。ただ睨むしかできない。
「おーおー、コワいコワい。美人が睨むと凄い効き目だ」
「アンタ……何者?」
「うーん……まぁ、いいか。もう自意識なんざなくなるし、領域内で事件を起こすんだから、ここに居られるわけもなし。外に出れば、人さらいがうろつくだろうし、もうお先真っ暗だしな」
アルルの行く末を想像し、不憫に思う男。さりとてアルルを解放するわけもなく、目的のために使い潰す方向性は変わらない。
「ウロボロス第七席『ニーズヘグ』。お前の知りたい俺の名だ」
「ニー、ず……ヘグ」
「覚えてなくてもいいさ。これからお前を動かすのは、お前じゃないんだからな」
どういう意味だと、思ったところで動き出した事態は止まらない。そう言うとニーズヘグは、後ろにたたずむネヌファだったものをアルルへとけしかける。
「悪く思ってくれてかまわん。その閉じられた世界で、お前の体がやらかすことを見ているといい」
「が……っ」
アルルが認識していたのは、ネヌファが頭を掴むまで。しかし、アルルは実際に立ち上がった。ニーズヘグは全身を眺め、一つ頷く。
「ちゃんと理解できてるか?」
アルルだったものに語りかけると、しっかりと頷いた。
「よろしい。じゃあ、命令だ」
―――中央集落を襲撃しろ
それを聞いたアルルだったものは、のそのそと集落のほうへと向かう。それを見届けたニーズヘグは、次の一手を考える。
「アレクサンドロスで見つかった陣の実験に来ただけだったが、いい拾いもんだった」
世界の崩壊を企む結社の理念から見れば、大精霊を瘴気で犯すというのは最大級の目的の一つである。全く意図しない時期から、それを為せたのは大きい。後はウルカヌス、ニンフだが、まずはネヌファで様子見という所だろう。
「さて。少し休んでから集落へと向かうことにするか。おっと忘れていたな」
掌に収まるような四角い箱を一つ取り出すと、耳に当てて話し出すニーズヘグ。
「あぁ、人さらいさん? こっちはいい具合に混乱させられそうだからさ。そろそろ網を張っとけばいいと思うよ」
『―――――。――――。』
「売り上げの一部は、結社のほうに払い込んどいてくれる? ……そう。アンタらのアジトに回収人派遣するから。……はい、よろしく」
ボタンを一つ押すと、それを再びポケットにしまい込むニーズヘグ。
「やれやれ。世界を崩壊させるためにお金がいるなんて、なんだか矛盾している気がするな」
適当な木の下に身を預けると、ニーズヘグは眠りについた。魔物がうろつく森の中で無警戒にもほどがあるが、彼はハーフエルフであり、別の意思を持つ存在がいつだって側にいる。彼女に任せておけば何の問題もない。
アカツキたちが森で魔物と遭遇しないのは、ゼファーの相棒シルファがいるからだ。彼女が彼らから発する臭いや音を遮断しているために、魔物たちに気付かせない。また視認されたとしても、明らかな強者に喧嘩を売る野生の魔物は存在しない。
今現在は、大精霊という森の支配者の気配を、ふんだんに撒き散らしているために、遭遇せず神樹の元へと向かうことが出来ているのである。
「あれ?」
「どうしたのっ?」
「エルフの人がいない」
「あ、ホントだ。プラダちゃーん! アルルちゃんは?」
「あぁ、便所だ」
「……」
リアクションに困ったアカツキは、とりあえず全然違う方向を向いた。そのまま待った方がいいか、二人に聞くと「行くところは分かっているから先に行こう」ということだった。
結局彼女はエーヴィヒカイトの元へ来ることはなかった。
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