第23話 過去

「だから、兄上。落ち着いて―――」

「これが落ち着いていられるかぁっ。大精霊との契約を破棄されただとっ!」

『本当のことだ。長殿』

「ッ……ネヌファ様」


 常軌を逸した出来事に暴走していたダズの前に、ぼんやりと緑色の人型が浮かび上がる。全身から毛という毛を取り払ったような見た目であり、口や鼻、耳などもない。目の位置には目の形にかたどった光のようなもので目が表現されている。胴体より下は徐々に細くなっていって、地面に着く前に千切れたような端があり、そこから先は何もない。つまりは存在が終わっている。宙に浮く何とは知れない何かが、風の大精霊『ネヌファ』なのである。


「……それは本当のことなのでしょうか?」

『無論。アルルの手の甲を見るがよい』


 とっさに左手の甲を右手で隠すアルル。だがどのような力が働いたのか、アルルの右手は勝手に動きだし、左手を露わにしていく。

 契約の際、アルルの手の甲には契約の証が刻まれていたのだが、それが完全に消え去り、代わりに妙に心がささくれ立つような紋様が刻まれていた。


『それは契約者失格の証。アルルは二度と我の加護を受けることはない』

「そんなっ、どうして!?」


 ネヌファに食って掛かるアルル。だが、ネヌファは微動だにせず、アルルの疑問に答える。


『当然であろう? お前たちがごねるから、我らが契約に応じることにしたのだ。当然我らとて精霊王様と想いは同じ。であれば、お前の発言を許すことなどできるわけあるまい』

「いったい何の話っ!? それと契約が何の関係があるのよっ!?」

『話にならんな……もうよい。長殿、かまわんな? ごねたところでどうにもならんが』

「……いたしかたありますまい」


 顔や態度に無念を滲ませ、ネヌファの決定を受け入れるダズ。わけもわからず契約を破棄され、なおもごねるアルルを見て、ダズはきちんと話をすべきだったと思いを強くするもすでに後の祭り。この場にはドワーフとハーフリングの長はおらず、エルフの一族のみだった。


「なんで!? 一番わたしが強かったじゃない! どうしてなの!?」


 幾ら喚こうが、破棄は覆らない。そもそもそんな話ではない。だが、誰も彼女に丁寧に説明したりしない。それができるのはダズだけだが、精霊がウソをつくことはないのだ。おどけたり冗談を言ったりすることはあるが。「もう一度」とならない以上、ダズにできるのは、次の候補者を選定する場を用意することだけである。


 風の大精霊ネヌファと契約できるのは、エルフの中でも純血、あるいはそれに近い者のみ。それでいて、ハーフに対する偏見がない者というのが、たった今、条件として追加された。


(難しいな……)


 純血に近いほど、己の血にプライドを持っている者が多い。そういうものに限って、実力的には大したことがないのだ。昨日のサルマのように。


「早急に選定の儀を始めさせていただきます」

『そうしてくれると助かる。無契約状態だとウルカヌスやニンフが文句を言ってくるのでな』


 そう言い残すと別れの挨拶もなしに、その場からすぅっと消えた。感じ続けていたプレッシャーから解放され、気分がようやく楽になるダズ。頭を抱え振り乱す妹を見て、ため息をつく。


(……グレン王とウルルの交わりが、あやつをあれほど狂わせるとはな。血の濃さなど関係ないという意思表示となればいいと思っていたのだが、これではな……)


 シャロンが生まれたことで、一部過激派から「裏切り者」のそしりを受けたウルルは、中央集落を追放されてしまう。その後、どこかの集落へと身を寄せたのだが、人さらいの凶行に見舞われ、未だに行方知れず。生死も不明で何もわからずじまいなのだ。幸いと言っていいか分からないが、幼子のシャロンは難を逃れたが、このままここへ置いておいたら、人さらい、事によっては血統主義者の過激派が、情報を得しだいよからぬことを考える可能性は高かった。


 いろんな業を背負わせてしまってはいるが、かわいい姪っ子であることは間違いないのだ。何とか信頼できるエルフに手紙をもたせ、シャロンを匿ってほしいと、グレンに頼んだのが、二年ほど前のこと。

 だがよりによって、勇者の従者となり世界を旅することになってしまったのは、いいことなのか悪い事なのか。


(できれば、聖教には近づかないでほしいのだがな)


 あらゆる組織には、そこならではのルールを極端に解釈する者が必ずいたりする。亜人領域内では、純血を貴ぶ者たち。聖教内では人間以外を異物と考える者たち。人さらいを幾度となく送り込んでくるファンヴェルフでは、稼ぐためには何をしてもいいと考える者など、普通そんなことはしないだろうということを、平気で踏み越えてくる者たちがいるのだ。そしてそのような者たちが、偏見を持たずに暮らしている者たちを、平気で蹂躙したりする。それにより、また偏見を持つようになるという悪循環に陥っているのが、今の世の中だ。


 領域内の災害種は、すでに討伐されたと報告を受けている。なので、余程のことがない限り、シャロンがここを訪れることはないだろう。さしあたって正体がばれて厄介なことになりそうな土地は、ファンヴェルフ、そして聖教の勢力圏内といったところか。他にもあるかもしれないが、ダズには今のところ、そのくらいしか浮かばなかった。


 髪を振り乱していたアルルは、膝を抱えて座り、虚ろな目で親指を噛みブツブツと何かつぶやいている。ちょっと怖いので、中身については意識的に耳に入れないようにしているダズ。誰か何とかしてくれと祈っていたが、そこへやって来たのが、あくびをしながらもたもた歩く、起き抜けのアカツキだった。


 ―――ダズは視線を逸らせる獲物がいたと、表情を輝かせる。


 それがアカツキにとって、決していいことではないことは自明である。

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