第58話 屈する心
「……ん?」
「どしたの?」
「……誰か入って来たな」
アレジの予想では、今夜は何も起こることはないというのが一番あり得ることだった。何せ状況が動いたのは夕食の後。もう眠りにつく者がいるような時間帯に起こったことだからだ。
流石はランクSというだけあって、気配には敏感なアレジ。時には一撃死を覚悟しなければならない魔物がうろつく場所で、仮眠をとることを強要されることもあるため、寝ていても何かが近づけば、目が覚めるほどだ。まして今は起きている時間。アレジに分からないはずもない。
「誰って……誰?」
「そんなもん分かるわけないだろ……大した強さではないようだが、明らかにおかしい」
アレジは気配を探るが、全く警戒をしないままこちらへと向かってくる。塔の内部には何もないことを知っているかのように。
アカツキたちが無警戒に入ってきたことからわかるように、本来は門兵が立っている以外、さしたるトラップはない。なので、そのことを知っているのならば、この迷いのない動きも、理解できないわけではない。
気配も弱いため、今一つ警戒心に火が点かないが、こちらへと向かっているのなら、迎撃の用意はしなくてはならない。
―――ギィィィィ……
「ハァ、ハァ……」
息を荒げこちらを睨みつけるのは、連行されたはずのダリア。汗みずくになり呼吸を整えるつもりもないのか、アカツキたちをただ悲愴な決意を持って見つめていた。
いや、誤解があるだろう。彼女が見つめているのは、仮面の王女「レムリア=リーネット」。手に持ったナイフで害をなすつもりの対象である。
アカツキとアレジは、二人の間に並々ならぬ因縁があることを、視線から察する。何せ、アカツキたちを全く意識していなかったからだ。
レムリアのほうも、のっぴきならない様子のダリアを見て、それでも視線を外すことはない。もちろん手に持った質素なナイフも視界に入っているため、彼女が何を思ってここへ来たかということもわかっている。分からないのはどうしてそのようなマネをするのかという動機のみ。
しかし、アレジとて進んで護衛を任された身。二人の間に交わる視線を遮るように立ち塞がる。
「何のマネだ? 侍女。お前さん、自分が何してるか分かってるんだよな?」
「……」
アレジが確認するように、ダリアに至極まともな言い分を叩きつける。俯きギリッと奥歯を噛み締めるダリア。その際に唇を巻き込んだのか、口の端から血が伝う。彼女は視線を下に向けたまま、アレジの言葉に反応する。
「あなたには関係ありません……」
ダリアは話が違うと、心中ローブの人物を罵る。護衛はいないと言っていたが、むしろいつもよりもガードが固くなっている。侍女の嗜みとしてある程度の体の使い方は身に付けている。お付きとして、主人が逃げる時間を稼ぐ程度の実力は当然必要だ。しかし、これはない。
誰に聞いても知っているような、冒険者ランクSという規格外を前に、決意が萎えかけるダリア。さりとて……
(ここで引いたら家族がッ!)
結局、見つからないようにするのがせいせいで、妙案に割り振るほどの思考の余裕など生まれるわけもなく、ノープランでやって来たダリアは、もはや引けないと勢いでここまでやって来た。
もう一か八か。本来この状態になってしまった時点で一も八もなく、確率はゼロ。それでも行かざるを得ない。気持ちに余裕がないダリアは追い詰められていた。
ナイフを逆手で両手に持ち、首元へ持ってくる構えを取る。目は血走り、時間はそれなりに立っているはずなのに、呼吸は興奮で荒いまま。その様子を見たアレジは冷酷な決断を下す。
「……姫さん」
「……はい」
「もうこの状態になっちまった人間に、言葉は届かん。最悪の場合があるが、ソイツは覚悟しといてくれ」
この場で刃物を王族に向けた時点で、取り押さえられれば首が飛ぶ。そのことが分かっているはずなのに、かつて友と呼び合った者が、殺意をもって自分の命を狙っていることがとても悲しいレムリア。今までかいがいしく世話を焼いてくれていたはずなのに、どうしてこんなことになってしまうのか理由が分からない。アレジの言う『最悪』とは、命を奪うということだろうことは簡単に予測がつく。
「分かりました……ですが……」
―――殺さないで。
その言葉を言うことは出来なかった。
一方でアカツキは、アレジが視線を送ってきていることに気が付いた。義手ではないほうの左手で、ダリアから見えないように後ろ手で、腰をちょんちょんついている。
(? ……あぁ、やる気はやる気なのか。ただ殺すつもりはない、と)
正直アレジとの力の差を考えれば、殺さずにダリアを無効化することは、そんなに難しいことではなさそうだと、アカツキは解釈。ただ無傷というわけにはいかないから、後はよろしくということだろう。幸い薬の入ったポーチは身に付けたままだ。一応こちらもこっそりと瓶を持って、少しだけ振って音が鳴ることを確認したアカツキは、何があっても助けること決意を秘める。
アカツキは一つ頷くと、通じたことを確認できたのか、ダリアのほうを向き、アレジは構えた。アレジは丸腰だが、それを気にした様子はない。素手で対応できると考えているし、もし想定を上回れば、ギミック満載の義手を使えばいいと考えているので、ぴりついた空気とは裏腹に、気持ちは余裕に溢れていた。
「ッ! ……やあああああぁぁぁっ!!」
周りも全く見えなくなっているダリアは、ナイフを振りかぶりながら、アレジへと一直線。何とかしてレムリアだけを殺そうなどということすら、頭から吹き飛んでいるようだ。
アレジのほうは足を肩幅より少し開き半身に構え、義手のほうを前に出したまま微動だにしない。ダリアが近づいてくるのを迎え撃つようだ。
しかし、虚撃もくそもないバカ正直な一閃は、アレジの右手に触れた瞬間あらぬ方向へとはじかれる。
「あっ!」
一瞬だが正気っぽい声を上げ、手からすっぽ抜けたナイフの行方を見るダリア。しかし、戦闘巧者を相手に視線を切るなど、あまりにもお粗末。それを見たアレジは視線とは逆の方向へ回り込み、背中をドンと付く。
意識が一瞬でもよそに向いた状態のダリアが、認識の外側からの衝撃に耐えられるわけもなく、あっけなく転倒する。手足をわさわさ動かし、這いつくばったままナイフを求め移動するも、それを許すアレジではない。
ダリアの背中にどっしり腰を下ろすと、ダリアの右手をひねり上げる。
「うぐぅぅぅぅ……!! 離せ……離せェェェェェ!!!!」
「悪いな、侍女さん」
そんな状態でありながら、なおナイフを求めあがこうとする、ダリアのひねり上げた右手を持ったまま、肘関節へ一撃決めた。
「あぎぃっ!」
曲がらないはずの方向へ向いた衝撃に、侍女の細腕が耐えられるはずもなく、ダリアの右腕は折られた。
ようやくナイフへの執着が途切れたのか、痛みが激しすぎるのか、右ひじを押さえあぶら汗をかくダリア。それを見たアレジが、念のためとばかりに降ろした腰をそのままに180度回転。今度は右足を持ち上げる。スカートがまくれ下着が見えるも、そんなことを気にしている様子は誰にもない。そのまま膝にもう片方の腕を当てると、
―――ゴキリ
「い、っ……! ……」
右ひざ関節を粉砕。痛みの箇所が追加で増え、脳が耐えられなかったのか、ダリアの意識は急速に薄れていき、やがて気を失った。
仮面で見えないがおそらく青褪めているであろうレムリアは、口元に手をやりうなだれている。首元が濡れていることからも、おそらく泣いているのだろう。
アレジがアカツキのほうを向くと、やり遂げたとは到底言えない、不愉快そうな顔で語りかける。
「……アカツキ」
「……何?」
「お前は女にこんなことできるような男にはなるなよ」
「……できればこんな場面、そうそう立ち会いたくないよ。けど、やらなきゃならないことになるまでに何とかできるようにしたいかな」
正直、自分が女性を暴力で虐げるところなど、到底想像もつかないが、今目の前の出来事を見て、余程のことがない限りそんなことはすまいと心に誓うアカツキ。
アレジがダリアからどくと、代わりにアカツキが治療のために動き出す。そこへ、アレジからロープを渡された。
「骨が治ったら、ソイツで縛っとけ。いろいろ聞きたいこともあるしな」
「……わかった」
レムリアの側のテーブルに置かれていた水差しを拝借すると、うつぶせのまま倒れるダリアの体を表に向けて、関節をある程度元に戻す。意識を失っているからか、悲鳴を上げることはない。ダリアの口元を軽く上に向け口を開かせると、水と共に回復薬を流し込む。しかし、うまく飲ませられない。意識がなくうまく飲めないようだ。
アカツキはため息を一つつくと、レムリアに目を向ける。
「……しょうがないか。姫殿下」
「……」
「殿下?」
「は、はいっ。なんでしょっ?」
「今からすることは治療の一環です。いいですね?」
妙に念押しする、アカツキ。当然、レムリアは疑問に思う。
「え? ……それはどういう……?」
「いいですね?」
「あ、はい」
かなりゴリ押し気味に許可をもらったアカツキは、回復薬を口に含み噛み砕く。そして水を含むと―――
―――ダリアに口移しで回復薬を与えた。
効果は劇的で、あっという間にダリアの体は回復した。それに伴い意識もかなり早い段階で浮上するダリア。
うっすら目を開けると、なぜかアカツキのドアップ。おまけに……
「!?!?!?」
ドンっとアカツキを突き飛ばすと、自分を守るように両腕で体を隠す。顔は真っ赤で、当然目はアカツキを睨みつけたままだ。
「な、な、な、何をなさるのですっ!」
潰れた蛙のように腹を上向けて倒れていたアカツキは、ムクリと起き上がると、レムリアのほうへと向いて、ダリアを指さしながら、
「殿下。治療行為ですよね?」
「あ、……そうです。ダリア、先ほどまであなたが何をしていたのか、覚えていますか?」
「何って……あ、っ……」
赤かった顔が今度は一気に青褪めた。興奮していたとはいえ、事の詳細をはっきり思い出したからである。
レムリアは、なぜ自分を襲うようなマネをしたのかを問いただすべく、威厳を込めて、
「何があったのか、話してくれますか?」
「それは……」
言いよどむダリア。レムリアのほうをちらと見れば、何よりも真摯な瞳。こちらを心配している優しい目だ。
「う、うぅぅぅ……」
あのような凶行に及んでもまだ、優しい目を向けてくれるレムリアに、ダリアの心はついに屈した。
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