第44話 信頼と誠実

『アカツキ』

『な~に?』

『薬師にとって一番重要なことって何だかわかるか?』

『ん~……分かんない』

『ま、そりゃそうか』


 セキエイの話は、幼少の頃のアカツキには難しすぎた。しかし、セキエイはまるで大人に話して聞かせるように、アカツキに話してきた。


『それはな、信頼だ』

『しんらい?』

『そう。アカツキは知らない人から食べ物をもらったら、食べるか?』

『ん~……たべない! とうちゃんがそう言ってたから!』


 ニカっと歯を見せて笑うアカツキを、まぶしそうに見るセキエイ。


『そうだ。ちゃんと覚えてたな。えらいぞ』

『へへ』


 とてもうれしそうに笑うアカツキ。


『薬師の薬も信頼されなきゃ飲んでもらえない。何が入ってるか分からないからな』

『うん……』

『だから、信頼されるような男になれよ』

『しんらい……』

『そうだ』

『よくわかんない……』


 目線が下を向き、分からないことを悔しいと思うアカツキ。その様子を見て、セキエイはアカツキの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。


『とうちゃん……?』


 髪の毛をぐしゃぐしゃのまま、セキエイを見上げるアカツキ。そんなアカツキにやさしく言い聞かせるセキエイ。


『いいか、アカツキ。今はわからなくてもいい。だけど言葉だけは覚えておけ。きっとお前の役に立つ』

『ことばだけ……?』

『そうだ。『信頼』を得るためには、『誠実』な行動をするようにな」

『しんらい……せいじつ……』

『いつか分かる時が来る。ちゃんと覚えておけよ』

『うん!』

『いい子だ』


 再び頭をグリグリとすると、嬉しそうにアカツキは『やめてよ~』という。


 そんな光景が徐々に薄れ始め―――


「―――夢、か」


 懐かしい夢を見たアカツキは、目元が濡れていることに気付く。父一人子一人の環境だったため、幼いころのアカツキはいつも一人で遊んでいた。まだフィオナと知り合う前の話だ。仕事のマネをして遊んでいたら、いつの間にやら調剤知識を仕込まれていた。材料確保のために野山を歩き回り、時たま必要になる動物の内臓などを手に入れるために、稽古をつけてもらうようになった。そんな頃の一コマ。アカツキもそれが当然とばかりに付き従い、いつしかフィオナとの付き合いもでき始めたが、それでもそんな生活はセキエイが失踪するまで続いた。


 涙の理由はおそらく懐かしさといったところか。今はもうないその環境が、弱った心を揺さぶった。


「いつか分かる、か。今なら確かに分かるな」


『信頼』、そして『誠実』。誠実な行動は、相手に信頼を与える。結果、自分が調合した薬を飲んでもらえるということにつながる。そういったものをすっ飛ばすのが、国家薬師に与えられる免状なのだろうが、錬金術が使えないともらえないという、まさかの事態にほとほと困り果てていたのだが、今の夢で己の芯を再び思い出す。


 それを言ったセキエイに信頼も誠実もあったものではなかったが、アカツキには何か理由があったのではないかという奇妙な確信があった。その程度には親子関係は健全であったと言えよう。


「何を独り言を言ってるんですか?」

「……いた、んですか」

「いちゃ悪いんですか?」


 アカツキの人生史上、一番最初に信頼を損ねたといっていい娘、マイア。元々敵対心らしきものを持つルシードとは違い、それなりに協力し合わなければならない状況での裏切りに、アカツキの評価はがた落ち。ここにいるのも、自分を始末して証拠隠滅を企んでいるのではなかろうかという、何の安心もできないほどの状況に放り込まれてしまっていることに今更気づく。


 尤も、マイアが侍女服を着てここにいるのは、デュークに言いつけられた罰である。そんな中アカツキを亡き者にすれば、実家ごとタダでは済まないことは言うまでもない。もちろん令嬢として育ってきたマイアとてそれは理解している。ただ納得できないのは、王子を助けるためやむなくといったところを考慮されないところだ。


「死んでいてくれればよかったのに」


 そうすれば、こんな服を着ずに済んだと、アカツキを見下ろしながら内心思うマイア。全く反省の色がなかった。


「「……」」


 口も開かず、お互いに見つめあう二人。表情さえ伴えば、言葉もないほどに二人の空間に浸りきる恋人の図であるが、その表情が憎々しく歪んでいる。口の端は片方だけが吊り上り、目も片方だけが開ききり、まあ恋人なんて雰囲気微塵もない。


 いったいいつまでそんなメンチ切りが続くのかと思われた中、誰かの来訪を告げるノックが三度寝室に響き渡る。


 目線を一切切らず、首をねじったまま器用に扉へと向かうマイア。ちょっとした怪奇的演出である。ドアまで行くとそれ越しに「どなたでしょうか?」と尋ねる。意外とちゃんと侍女が出来ていた。扉の向こう側からは野太い男性の声が。


「第二騎士団所属、デイモン=ウィルミントンと申します。こちらにアカツキ殿がおられると聞いて窺ったのですが」

「あ、デイモンさん……」


 知った声が聞こえたことで幾分心が和らぐアカツキ。ダンジョンで気を失ったまま、気が付けば城にいたということで、全く挨拶もできていなかったことに気付く。どうしようもないことだが、アカツキはわずかな罪悪感に見舞われた。

 それはそれとして、「先ほど目をおさましになりやがりました」と乱暴な言葉を無理矢理敬語としたような、奇妙な文法の言葉を告げると、マイアは内開きの扉を開きデイモンを迎え入れる。どれだけ嫌なのかが分かる言葉使いである。


「では、失礼し、ま……す?」

「? どうかされましたか?」

「いえ、その……マイア様、ですよね?」


 言葉に戸惑いをちらつかせるデイモン。たった一人の王太子の護衛『三星姫』と呼ばれる近衛が、なぜか侍女服を着て応待してくれているという事態に、言葉どころか態度まで挙動が不審になる。

 部屋に一歩踏み入ったところでおたつくデイモンを尻目に、「こちらです」と案内するマイア。と言っても、距離などほとんどなく、なんだったら入り口からアカツキが見えるくらいの、敷居も何もないだだっぴろい部屋なので、こちらもへったくれもない。


 デイモンが恐縮しながらベッドサイドに近づくと、そこには寝たままのアカツキの姿が。布団からは手と顔しか出ていないが、見た限り大きな傷は見当たらなかったので一安心すると、声を掛ける。


「気分はどうだい? つい先ほど起きたとアイリーン様がわざわざ教えてくれてね。こうしてやってきたんだが」

「? 俺がここにいるって知ってたんですか?」

「あぁ。あれから結局家に帰って来なかったろう? どうしたのかと娘とルイーズちゃんに聞いたら、依頼を受けたまま帰ってこないというじゃないか。どうしたもんかと思っていたら、ちょうど勇者たちが王都へ帰って来てね。申し訳ないんだが、君のことを気にしている暇がなくなってしまったんだよ」


 デイモンの言葉に聞き逃せない単語が入っていて、アカツキは思わず目を見開く。


「……勇者たちが王都に?」

「そうだ。もっとも、予定がだいぶ繰り上がって、もう行ってしまったがね」

「そうですか……」


 ひょっとしたらフィオナと出会えたかもしれない貴重なチャンスが、


「あ゛?」


 デイモンを案内すると再び壁の華と化していた、態度の悪いくそったれな侍女もどきのせいでフイになったと知り、底辺だったはずの好感度が、底をぶち抜きさらに下がったアカツキであった。

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