勇者その5 理不尽な貴族社会

「ハァ……ハァ……」


 王太子殿下の前から走って逃げたフィオナは、広間を飛び出しそろそろ息が上がりそうだというところで、足を止め呼吸を整えるべく深呼吸をした。


「すぅぅぅぅ……はぁぁぁぁぁ……」


 瞳を閉じ、両手を広げ、胸を張る。歳不相応な果実がゆさりと揺れた。しっかりと感じた抵抗に、悲しい表情をするフィオナ。胸元がガッツリと開いたドレスが、確かな存在感をしっかりとフォローしている。「我々にお任せください!」という、張り切ったメイドたちのセンスの結晶がこのドレスだ。すごく似合ってはいるのだが……


「どうしてこんなに大きくなっちゃったのかなぁ……」


 フィオナは大人の、それも男性の視線が苦手だった。すでに母親であるフランシスを大幅に上回っている。年齢もあって張りもあり、重力にも果敢に反逆し、形を維持している圧倒的存在感。下着もなしに形を維持するなどもはや奇跡。


 女性からすれば、ハンカチを噛んで悔しがるほどの嫉妬と憎悪の象徴だろうが、男性となるとそうはいかない。


 とにかく接触したがるのだ。「おおっと、手が滑った」とかならまだマシ。村にいたちょっとやんちゃな大人が、何度かそんな感じで触れようとして来たりしていた。大概は村の女性が、耳やらほっぺたを引っ張って、暗がりに引きずり込み、リンチを行使し、教育的指導を行っていた。それでも日がたてば再犯を企ててしまうほどの魔性の乳。

 治癒の巫女となり、一般人ではなくなった瞬間から、先ほどの貴族のような露骨な誘いが始まった。ルシードの時も嫌な感じがしていたが、まだ勇者だから我慢が出来たというかせざるを得なかった。先ほどのことも、王太子が入って来なかったらどうなっていたことか。


 あの邪な視線が怖かった。一度、ぎゅうぎゅうに下帯を締めたことがあった。その時は、視線があまり集まらず、穏やかに過ごせたのだが、違う問題が発生した。息がしづらい、物が食べられないと生活に支障が出たためにわずか一日で諦めたのだ。

 そうすると、再び欲求不満な視線が胸元に集まるということで、ほとほとうんざりしていた。

 母フランシスに相談すれば、


「ぜいたくな悩みねぇ」


 と、一番の味方のはずなのに全く共感されず、もうどうしようもないと諦めていたのだ。これからイヤらしい視線を浴びながら過ごしていくのだと。


「アカツキだったらいいのに……」


 ちらりと左手の指に嵌まっている指輪をいじいじしながら、自覚なしにとんでもないことをつぶやくフィオナ。悲壮な決意のわりに、アカツキならいろんなことをされても問題ないらしい。


 誰が見ても聞いても、ムッツリな思考をダダ漏れにしていると、そこへ……


「大丈夫ですか?」

「ひゃっ」


 思わず引き声が出てしまったフィオナ。そろりと後ろを振り向けば、緩やかな巻き毛を髪飾りでまとめた女性が、気遣わしそうにフィオナを見ていた。どこかで見た顔だなと首を傾げるフィオナに、苦笑しながら自己紹介を始める女性。


「先ほどの騒ぎで介入させていただいた、殿下の近衛『アイリーン=アクロイド』と申します。ご挨拶が遅れて申し訳ございません」

「あっ。さ、先ほどはお助けいただいて、きょうえつしごく……」

「ふふっ。楽にしていただいて構いませんよ。勇者の巫女のあなたは、我々より立場は上なのですから」

「いえいえいえ! 滅相もございません! お貴族様に置かれましては……!」


 埒が明かないとはこのことだろう。とにかく下げあう頭の応酬が、しばらく続く。後程デュークたちからこのことを聞かれたが、「自分もわからない」というしかなかったアイリーンだった。






「―――そうですか。わざわざ様子を見に来ていただいて」

「当然です。あれが、王国の貴族の基本だとは思っていただきたくはないのですが、どうしてもあのような者は、大なり小なり出てきてしまうので……」


 ようやくまともな話ができるようになり、アイリーンがここへ来た理由を話せた。立ち話もなんなのでと、近くの休憩所に入り、お茶を頂く。下手をすれば夜通し行われる宴なので、休憩できる場所が用意されているのだ。そこで小さなテーブルを挟み、お茶を頂きながら、言葉を交わす。それでもお礼とばかりに頭を下げてくるので、アイリーンもつい頭を下げる。小さく頭を下げながら、ちらりとフィオナのブツを見るアイリーン。勝負も何もないのに妙な敗北感に苛まれる。


 フィオナのドレスは、可愛らしさを強調するはずのプリンセスラインというものだが、ウエストまでのラインがぴっちりと体に密着しており、そこからのスカートが膨らんでいるというデザインである。胸元の暴君によって、いつこぼれてしまうか分からないハラハラさを伴う見た目になってしまっており、それが男性の視線を釘付けにする要因になり、不逞の輩を引き付けてしまうという、ある意味メイドの仕事が完璧であったという証左となる。


 一方で、アイリーンのドレスはスレンダーラインという、スカートのふくらみがなく強調する部分のない”まっすぐ”なデザインの物を着ていた。とても似合っているのだが、故に違いがはっきりと出てしまっていた。


「くぅっ」

「? どうされました?」

「コホン。いえ、なんでもございませんことよ。おほほ」


 あきらかに「おほほ」と口で言ってしまっている所が、アイリーンが動揺していることになってしまうのだが、初対面のフィオナにそれは伝わらなかった。


 こほんと咳を一つ、仕切り直すようにアイリーンがすると、伝えたかった会話を始めた。相手が平民ということもあり、余計でくどい話はいらないだろうという判断だ。


「先ほどの殿下の件なのですが……」

「あっ。すみませんすみません。不敬でしたよね。私の首一つで何とかなるでしょうか?」

「え? いえいえ! あなたはこれから救世の旅に出るのですよ! 我々よりも上の立場だと言ったではないですか!」

「えっ? 言葉の綾ってやつですよね? そう言って馴れ馴れしくしたら、「調子に乗るな」とか言ってひどい目に合わせるんですよね?」

「なんなんですか!? それ! すごく偏ってるじゃないですか!」

「貴族社会ってそういう理不尽なものなんですよね? だから、わたしはルシード様に付いて行く羽目になったんですから」

「……えっ?」


 いきなり首一つとか物騒なことを言いだすフィオナを見ると、いつの間にか真顔になっている。妙な話の流れになってしまったと同時に、長そうな話になりそうだとアイリーンは覚悟した。

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