番外その1 とある薬師の研究室にて語られる歴史

 リネルルカ王城内、とある薬師の研究室に「コンコンコン」とノックの音が響いた。部屋の主はその音に気付かないようで、そのまま何かの装置を覗き込んでいた。


 ―――ゴンゴンゴン


 先ほどよりもやや強めの音が、研究室に響き渡る。ノックの主のいらだちを表すかのようにやや荒々しい。それでも部屋の管理者は微動だにしない。


 ―――ガンガンガン!


 もうノックと呼べないような音が、ドアを揺るがす。幸い研究室の周りに人気はないが、見られたならば何事かとひと騒動にはなるだろう。


「ジジィ! コラァ!」


 しびれを切らしたノックの主が、ドアを蹴破り部屋へと侵入、いや乱入した。ジジィとはもちろん部屋の主で彼らの上司。仮にも上司に対し悪態をつく乱入者。年上への敬意とかそういったものは一切感じられない。


「やっかましいのう……レビンよ、もうちょっと大人しくできんのか?」


 流石に無視はできなかったのか、ゆったりとした深紫色のローブを着た禿頭の老人が、片眼鏡の位置を調整しながら振り向く。ドアを蹴破られたというのに落ち着いたものである。乱入者レビンの後ろから、ノコノコ入ってきたのは相方であるエドアルド。いかにも僕は知りません、コイツが勝手にやったことですという態度を貫く。


「申し訳ありません、ゲーアノート様。バカが粗相をいたしまして」

「なっ!? エド、てめぇ! お前が蹴破れって言ったんだろうが!」

「知らんな」

「……とりあえずドアの修理代は、お前らの給金から引いておくからな」


 年の功たるゲーアノートに、エドアルドの狂言は通じなかった。






 彼らがゲーアノートの研究室を訪れた理由とは、先頃薬師試験の会場から失敬してきた、アカツキの作った回復薬を見せるためであった。なので、さっそく見せてみたのだが、


「……」


 一粒指でつまみ、目の前に掲げてみるゲーアノートの様子がどうもおかしい。目を見開き血走らせ、指先はプルプルしている。驚いたのはお付きの騎士二人。いつものように興味なさそうに「くだらん」と言われるかもしれないと思っていたのだが、どこをどう切り取ったって興味津々である。匂いを嗅いだり、舐めたりとできうる限りのアプローチをたった一つの丸薬に試みた後、レビンたちに問いかけた。


「これを受験者が作ったと言ったのか?」

「はい。おかしな湯気を出しながら」

「湯気じゃと?」


 貧困なレビンの語彙では、アカツキの湯気のようなものが表現できないと考えたエドアルドは、口を挟むことにする。


「何やら空気がゆらゆらと揺れておりました」

「……? さっぱりわからん……」


 エドアルドの言葉遣いは賢そうだが、語彙の貧弱さはどっこいどっこいだった。






「煉丹術、ですか?」

「そうじゃ。まさか、この年でお目にかかれるとはのう……」

「どういったものなのですか?」

「うむ。お主らは、東の果てに大地の裂け目があるのは知っておるか?」


 的確にアカツキの修めた薬術を見極めたゲーアノートは、煉丹術のなんたるかを歴史を交えて講義することにした。


「あの、『アイブリンガー帝国』の東の果てのことですか? 裂け目の向こう側にわずかに建物が見えるという……」

「そうじゃ。あの裂け目はかつて一体の天災種が起こした災害と言われておる」

「てんさいしゅ? そんなカテゴリの魔物いたっけな?」

「知らぬとも無理はない。現在、勇者とかいうふざけた存在が五大災害種討伐に向けて動いておろうが、そんなもん比較にならんと思うとる。何せ人が対処できるのじゃからな。女神の力を借りて」

「「……」」


 王城に厳重に管理された残された書物には、「後世に生きる者たちへ」と書かれ、名前と姿形が記されているとゲーアノートは語る。その天災種の名は―――


 ―――ルティーヤー


「『大地より現れ出でし巨魚』と言われておったそうじゃ」


 空を泳ぎ、口から光の柱をそこかしこに放つ。対処のしようもなく、ただ大地は荒れるままに、そして去るのを待つしかない存在。


「文字通り天災じゃな。そんなルティーヤーの光の柱により、大地は裂けた。裂け目のこちら側が『裂西れっせい諸国』と呼ばれるのは、もともと東側とも交流があったからなのじゃ」

「はぁ……」


 スケールが大きすぎて、想像ができないレビンとエドアルド。更にゲーアノートの講義は続く。


「こうして孤立した裂西諸国には、ルティーヤーによって作られた裂け目から漏れ出る瘴気による魔物が増え始めたのじゃ。ところが人間にはそれらに対処するための力がなかった。人間にはから、魔術や錬金術は使えなかったのじゃ」

「? なら今はどうして使えるのですか?」


 戦闘職が使う肉体強化法や、純粋な魔術。そして薬師を含む錬金術師が使う錬金術や錬金魔導といったものは、全て魔力が必要となっている。ならば、その源泉はどこから調達したのか? もちろんゲーアノートはそれらも承知していた。


「胸糞悪い話じゃが、生き残るためにエルフ、ドワーフ、ハーフリングといった妖精種との交配を行ったのじゃ……あちらの合意を得ずにな」

「な……」

「では、今EDH対立同盟との交流がないのは……」

「元々はそれが原因じゃ。現在は別の理由で拒絶されておるがの」


 EDHとはエルフ・ドワーフ・ハーフリングの略であり、広大な森、希少な金属の採掘される山、底の見えない谷にそれぞれ居住地を定め、ひっそりと暮らす人間よりの妖精種のことである。共通する事柄は、魔力を体内で生み出すことが出来る器官が備わっていることだとゲーアノートは語った。


「じゃあ……その器官が欲しくて……」

「そうじゃ。当時は今よりひどい特権階級がいたらしくてのう。面白半分でさらってきては交配を繰り返すうちに、そう言った子供が出来ることに気付いたようじゃ」


 時間との勝負だったらしく、国による交配は強制的に行われ、やがて魔力を持たない方が珍しいという時代が訪れた。

 だが、アホのほうの相方レビンは、純粋な疑問に至った。


「それと煉丹術ってのはどう関係してくるんです?」

「いい質問じゃ」


 珍しく褒めたゲーアノート。とてもうれしそうなレビン。ケツから尻尾が見えるようだ。エドアルドはやや不機嫌気味だ。


「煉丹術とはその国策によって失われた薬術でな、純粋な混じりっ気なしの人間でなくては使えんのじゃ」

「……じゃあ、そんな奇跡のような確率で、現在まで残っている純粋な人間が、あのアカツキと言う少年だというのですか……?」

「まぁ、そういうことじゃな。そんな童が来ておるなら、ワシが試験官をすればよかったわい。で? そのアカツキとやらはどうしておる? ひょっとしたら姫様の病を治す術を知っておるやもしれんでな。ぜひとも話をしてみたいのう」


 ふぉっふぉっふぉっと機嫌よさそうに笑うゲーアノート。一方で笑えないのはレビンとエドアルドである。顔色は悪く、冷や汗はだらだらと流れ、まずいことになっているのは一目瞭然。まさかすでに落とされていると言うのも憚られた。ゲーアノートも伊達に歳をとっておらず、若造の様子がおかしい事にはさっさと気付いた。笑顔は真顔に変わり二人を問い詰めた。


「……どうした?」

「いえ、その……」


「お前が言えよ」「お前が言えばいいだろう」と肘でつつきあい、報告を押し付けあう二人。無情にもゲーアノートは一人の騎士の名を呼んだ。


「レビン。話せ」

「うぅ……」


 こういう時はだいたいレビンが強制的に貧乏くじを引かされる。そういう星の元に彼は生まれる羽目になっていた。グッとガッツポーズをとるエドアルド。しぶしぶとレビンは端的に話した。


「……すでにデ・ヴァールト子爵の息子、オスニエルにより不合格となっております」


「くぅっ」と目をつぶり耳をふさぐレビン。もちろんエドアルドも耳をふさぐ。


「な、なんじゃとぉ~~~~~~っ!!!!!」


 この御仁、気にくわないことがあるとすぐに大声を上げるのだ。

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