第32話 秘書 レイチェル=ギブス

 世間話や身の上話をしながら商会の裏口から入り、応接室へと通されたアカツキ。あまりごてごてしておらず、高級なものに縁のないアカツキでもいいものだとわかるほどの物が、整理されて配置されていた。


 ―――コトリ


 高級そうなソファの座り心地に、尻の収まりの悪さを感じながら、目の前にお茶を置いてくれた女性を見る。


 長い髪をアップに編み込んだブロンドに、知性を感じさせるメガネをかけている。従業員のものと少し違いを持たせた制服に身を包むその肢体は、男性の目を引き付けるのは間違いない。耳のシルバーのピアスがやけに印象的に映った。


「……」

「? なにか?」

「あ! や! すみません!」


 お茶を載せていたお盆を、胸に抱えるようにしてアカツキに問いかける女性。まさか見とれていたとは言えず、無性に罪悪感を感じるアカツキ。


(ぐぅおおおおおおおっ。すまん! フィオナぁっ)


「好みのタイプとはこのことかっ」と村の青年団の連中が話していたことを思い出したアカツキ。一瞬でも心を奪われたことに頭を抱え悶絶していると、ガチャリとドアを開け、部屋の主が現れた。


「いやぁ、ごめんごめん。待たせたね。レイチェルもきちんと応対できたかい?」

「もちろんよ。ただ……」

「? なんだい?」

「……いえ、何でもないわ」

「レイチェル。ここでは父と娘という立場は捨てなさい」

「じゃあお父様も、ちゃんと会頭として話してください。今の話し方は家と同じでしょ」

「……そうだな。じゃあ今から余所行きの言葉で話すぞ」

「分かりました。会頭」


 どうやらエヴァンスの娘のようだと理解したアカツキ。一応、きちんと紹介しようと思ったのか、エヴァンスは「改めて」と居住まいを正す。


「初めてだろう? 娘のレイチェルだ。僕の秘書を勤めてもらっている。もっともまだ見習いといったところだがね」

「レイチェル=ギブスです。よろしくお願いいたします」


 ぺこりと頭を下げるレイチェル。背筋も伸びて頭を下げる角度も完璧。まさに才女といった感じである。


 それをポケっと座ったまま見ていたアカツキは、慌てて立ち上がり頭に手をやりながら、頭をぺこぺこ下げまくる。


「こ、これはご丁寧に。は、じめますて、あかちゅきともうしましゅ」

「……」

「ぶふっ」


 緊張で噛みまくったアカツキ。「くっくっ」と顔をそむけて笑いをこらえるエヴァンス。レイチェルも良く見れば口の端がピクピクしていた。


(くっそぉ……)


 初対面で痛恨のミスを犯したアカツキは、顔どころか耳まで真っ赤。狙ってウケにいったわけではないので、無性に気恥ずかしい。レイチェルが好みのタイプだと知って余計である。


「いやぁ、どうだい? うちの娘は?」

「……大変結構ですね」

「どういう意味かしら?」

「もちろんいい意味で」


 何とか軽口を叩くまで持ち直したアカツキは、目の前に座る親子に改めて向き合う。もちろん会話は、アカツキのほうからである。


「すみません。挨拶が遅れて」

「いや、構わないよ。ただ、もう国家薬師の試験は終わっちゃったんだ」

「ええ、知ってます。受けてきたので」

「え!? 受験したの?」

「? はい。まあ、その場で落ちちゃったんですけど」


 がたりと立ち上がったエヴァンスに、さも当然のように報告するアカツキ。すると、その態度に疑問を持ったのか、レイチェルが口を挟んできた。


「あの、アカツキさん」

「はい」

「どうしてそんなに普通にしていられるんですか?」

「え?」

「だって、国家薬師の試験ですよ? 2年に1度しかないんですよ? 落ちればその分出だしが遅れますよね」


 どうやらレイチェルは、試験に落ちたのに普通にしているアカツキの態度に、納得がいかないようだ。


「あなたがどうして試験を受けにここまで来たのかは、会頭から聞いて知っています。だから余計に不思議なんです」

「??」


 今ひとつピンときていないアカツキは首をひねる。ただ、その態度はどうもレイチェルを苛立たせたらしい。レイチェルの口調に若干苛立ちが混じる。


「あなたは、世界を救世するために旅に出るフィオナさんの隣に並び立ちたいのですよね?」

「もちろんです」

「なのに、貴重な機会をそんな簡単につぶしてしまったのに、どうして平気な顔をしているのですか?」

「……どういうことでしょうか?」

「ちょっとお待ちくださいね」


 そういうとレイチェルは応接室を出て行った。アカツキはエヴァンスのほうを窺うが、エヴァンスは両掌を上に向け、降参ポーズで返してくる。


 無言のまま待つこと少し、レイチェルは一冊の本を持って帰ってきた。やや乱暴に座ると足を組み、その本をテーブルの前に差し出した。


「これはとある英雄伝説の本です」


「読んでみてください」と言われたアカツキは、あまりページ数の多い本ではなかったが、目を通し始める。待つことしばし、最後まで読み終えたアカツキに、レイチェルは尋ねる。


「どうでしたか?」

「どう……と言われても……至って普通の英雄譚だと思いますが……」


 読んでもやっぱりピンとこないアカツキに対し、レイチェルはため息をつくと、足を組み替え、本を手に取る。足を組み替える仕草にドキリとしたのは、アカツキに年ごろの女性との交流がなかったせいだろう。


 そんなアカツキの内心を知ってか知らずか、レイチェルは解説を始めた。


「いいですか? この物語は、女神に選ばれた勇者と聖女が苦難を乗り越え、災いの元凶を倒し、やがて結ばれるという話です」

「はぁ……そうですね」


 読書の時間をそれなりに取ったのに、たった一言で概要を説明してしまったレイチェル。才女ではあるが、「だったら初めから説明しろや!」と思わないでもないアカツキ。


「問題なのは、この勇者や聖女には、いい人がいなかったのかということです。女神に選ばれるのはまあいいとして、彼らには故郷での生活があったはずです」


 言われてみればとアカツキはフィオナのことを思い出していた。朝は起こしに来て、一緒にご飯を食べる。昼は別々に行動するが、夜には帰ってきて、また一緒にご飯を食べて、寝るまでその日の出来事を語らう。そんな毎日を繰り返していたことを。


「ところが、民衆が支持しているのは、勇者と聖女が旅の間に絆を深め、やがて愛に発展していく物語なのです。全てが終わって二人は結ばれ、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」

「……」

「ね? よくある物語ということは、それだけ望まれている物語だということです」

「何が言いたいんです?」


 よくわからない感情が、自身の内に渦巻くアカツキ。口調もやや強めになっていた。


「この物語が、事実なのか創作なのかは分かりません。ですが、貴方は『女』というものを分かっていない」

「どういうことなんだい? レイチェル。言っちゃなんだけど、アカツキくんとフィオナちゃんは見ているだけで恥ずかしくなるような関係性だよ?」


 話の流れが分からなくなったのか、エヴァンスが口を挟んできた。


「会頭……いえ、今はお父さんでいいわ。家族として聞いてちょうだい」

「……分かった」


 何やら真剣な表情のレイチェルに圧されたのか、エヴァンスは素直に従う。


「なんの力も持たなかった田舎の少女が、いきなり世界を救世するために、女神に力を与えられ、勇者と旅に出る。待ち受ける数々の難関。力を合わせ、それに立ち向かい、そして乗り越える。その際に感じる一体感、そして達成感。何よりも、女神の力を授かったという特別な四人。共有される思い。そしてそんな特別な存在を囲い込もうとする国……どうです? こんなところに資格試験も通らないような、田舎の薬師が入り込む余地があると思いますか?」


 一気にまくしたてたレイチェルの言葉だったが、アカツキの心には妙に染み渡った。何よりフィオナを見るルシードの目線が、イヤらしいものだったこともあり、アカツキは猛烈に焦燥感に襲われる。

 しかし、エヴァンスが反論。


「だが、すでに婚約を交わしているんだよ? そんな不実なことするかな?」


 約束を交わしているから大丈夫だろうというエヴァンスの反論に、レイチェルは真っ向から否定する。


「お父さん、甘いわ」

「え?」

「勇者という肩書、女神に選ばれた使徒という特別な存在、なにより結びつくことが国に強制されると思うわ。そこに、個人の感情なんて関係ない。ただ、利害によって婚姻という手段が取られると思う。婚約者? 田舎に住んでる男なんて暗殺するか、村ごと滅ぼすかすれば、後は勇者しかいないわけだし? 適当に罪を擦り付けて縛り首とか、見せしめに火刑なんかすれば、自分に害が及ぶわけにはいかないから、かばう人もいないと思う。重婚を認めれば、王家の子女を降嫁すれば、それだけで王家との結びつきは強くなって、諸外国との外交は有利になるわ。それよりもなによりも―――」


 ちょっと話はずれたが、あまりにもリアルな話にアカツキもエヴァンスも、口が挟めない。そしてなにより、レイチェルの話の続きが気になった。


「―――強い男に女は惹かれるものよ。世界にただ一人の勇者。そんな存在に愛される自分。田舎に残してきた婚約者? ハッ、へそで茶が沸くわ。五大災害種の討伐に成功する男よ。街の外に出れば、常に危険が待ち受ける今の世の中で、強さは何より女を惹きつけるわ。ましてそれが、爵位持ちの実家でたいそうな男前で、何より実績があるときたら……」


 ちらりとアカツキを見たレイチェルは、もう一度「ハッ」と鼻で笑った。


「あなた程度の男、婚約破棄してでも勇者に付いて行くでしょうね」

「「……」」


 思わず聞き入ってしまったアカツキとエヴァンスは、ガクリとうなだれた。アカツキは大いにありそうなそんな未来に。エヴァンスはあまりにもリアルに考えている娘の思考に。そして口の悪さに。


 そんな男たちの気持ちを知ってか知らずか、レイチェルは前のめりにアカツキへと詰める。


「だから! チャンスをみすみす見逃してはダメです!」


 両拳をグッと握り、アカツキの眼前へと顔を近づけるレイチェル。プルンと揺れる胸元が気になるが、レイチェルの視線の強さ、そしてエヴァンスの手前とあって、目を逸らせない。しかし、レイチェルの言うことも尤もだったので、続く言葉が気になったアカツキ。


「試験に落ちたのはもう仕方ありません。しかし、冒険者になるとか?」


 ここに来るまでにした世間話を、エヴァンスはレイチェルにしたのだろう。知っていても不思議はなかったが―――


「でしたら! 初心者冒険者セットというものがウチの商会にはあるのですが!」


 ―――長々しい話は、どうやらここに結びつけるための前フリだったようだ。「我が娘ながら逞しい……」と嘆いているのか喜んでいるのかわからないエヴァンスのセリフが、妙に印象的なアカツキだった。


 だが、女は強さ、実績、肩書きに弱いという話は妙に印象に残った。

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