第5話 血まみれでいるということ

 アカツキは、リリューから一時間ほどのところにある、小高い山へ来ていた。特に名前はついていない。ロレントの爺さんから頼まれた、痛み止めの材料の採取をしに来たのだ。


「おっ、あったあった。ピベラ草」


 足りないのはこのピベラ草のみなので、採取が済めばもう帰ってもいいのだが、必要になるたびに山に入るのも面倒だということで、加工や乾燥させて保存できそうなものは籠に入れていく。もちろん、次に生えてくるように調整するのも忘れない。


「うむ。こんなもんだろ」


 背中に背負うタイプの網籠にぎりぎり擦り切れるくらいに、材料が入っているのを確認すると「どっこいしょ」と爺臭い掛け声とともに、再び籠を背負い直し山を下りていこうとするアカツキ。


 薬師には自分で採取するタイプと、知り合いの商人から買い入れるタイプがいる。体力に自信がない街住みの薬師だと、商人を頼るスタイルを取っている者が多いのだが、リリューのような農村に住んでいると、商店を構えている商人がいるわけではないので、アカツキは当然前者に当てはまることになる。


 だが、町や村の外にはさばいて食べられる『獣』と、瘴気に汚染され格が一段階上がった『魔物』がうろついている。どちらも生き物を見れば食料と見なし襲い掛かってくるので、何の力も持たない村人や街人が、何の対処もなく外に出ることは推奨されていない。それでも出るのならば自己責任を問われるのが、この世界の常識である。


 基本、村に戦える者などいない。冒険者を辞めた者が流れてきたり、その村出身の騎士や兵士が年齢やけがを理由に里帰りしたりしない限り、農村は農業を行う人たちがほとんどである。リリューも例外はない。


 ―――アカツキ以外は


「おうおう。今日は熊鍋かな? フランシスさん喜んでくれるかね」


 アカツキは熊と遭遇していた。






「がおおおぉぉぉぉ!!!」


 二本足で立ち、爪をぎらつかせ口の端からよだれを垂らし、吠えて威嚇する熊。わりと長めに威嚇をし続けるが、アカツキのほうに反応はない。


「がお?」


 おかしいなと思い始める熊。いつもだと「ひぃぃぃぃ!」「に、逃げろぉ!」と背中を向けて走り出す人間が、今日に限っては視線を全く外さず、ただただ熊のほうを見続けている。威嚇もあまり効果がなさそうだと熊は内心「あれっ?」と思っている。もちろん対外的には「がおぉぉ……」としか言ってないのでアカツキにそんなことはわかるわけはない。

 見つめあう1人と1匹。だが、先に気付いたのは熊のほうだった。伊達に野生はやっていない。アカツキが熊を見る目をどこかで見た気がしたのだ。そして気付く。伊達に野生は……


 ―――あれは、食い物を見る目だ


 熊がそれに気付いた瞬間、アカツキが「ニィィィ」と笑った。熊はそんな気がした。






「今日は豪勢だな」


 カイルさんもさすがに喜んでくれるだろうと、いつも目の敵にされている、恋人になりたい幼馴染のお父さんの顔を思い浮かべる。同時に何をしてもしかめっ面をしそうな親父さんを思い浮かべ苦笑いする。


 ズルズル……


 先ほどニヤリと笑ったアカツキは、たった一歩で熊との距離を詰め、必殺の抜き手を熊の首めがけて放った。若干ビビりが入っていた熊はその一瞬に反応できず、首を献上。絶命した熊を血抜きもせずに引きずるアカツキ。


 だが、考えてみてほしい。首というのは心臓に次ぐ血流量である。そんなところをぶち抜けば当然、熊の返り血を山ほど浴びることになる。ここは山であり、水源もないことはないが、今アカツキがいるところからは、ほぼ真反対の位置にある。なので、村で体を拭こうというアカツキの判断は、別に間違ってはいない。間違ってはいないが、それを見た他人がどう思うのかは推して知るべしである。






「ちぃえやああああああっ!!!」

「うおおっ!」


 山を下り、リリューへ続く街道へ出た瞬間、突然襲い掛かられたアカツキ。間の抜けた雄たけびを上げながら、己を捌こうとする凶刃を横っ飛びで回避。ゴロゴロと転がり、スタイリッシュに膝立ちになる。


「何しやがんだ、てめぇ!」

「うるせえ! 山賊風情が!」

「誰が山賊だ! 誰が!」

「山でそんな血塗れになる奴が、山賊以外にいるか!」

「ここにいんだろが!」


 としょうもないやり取りをしている後ろから、さらに2人やってくる。弓を持つ女性と杖を持つ女性。さらに向こうには馬車が一台。とすると……


「アンタら護衛の冒険者か……ってラリーさん?」

「あぁ!? なんで俺の名前……ってアカツキか?」


 アカツキが発した文明的な言葉をきっかけに、冷静さを取り戻す2人。そして、


「「……はぁぁぁぁ」」


 アカツキとラリーと呼ばれた男性は、同時にへたり込んだ。






「はっはっは。ごめんよ、アカツキくん。今日はリリューに行商に行くところだったんだよ」

「いや……それはまあ、ありがたいんですけどね、エヴァンスさん」

「すまん! アカツキ! この埋め合わせはいつか必ず」

「もういいよ。ラリーさんも。俺だってこのナリだし、見られたらどうなるかってのは想定してなかったから」


 アカツキは、血まみれのまま冒険者たちと共に歩き始めた。引きずっていた熊は、馬車の中にあった毛布に包み、荷台に乗せてもらっている。なのでアカツキは薬の材料が入った籠を背負って歩いている。


 アカツキにエヴァンスと呼ばれた男性は、王都に商会を構える商人である。まあ、王都にいくつもある商会の1つで、吹けば飛ぶような小商会ではあるが、各地の離村を回ってくれる貴重な商人であるため、地方では人気があるのだ。


「やっぱアカツキはやり手だね。王都で冒険者やればいいのに」

「そうだねぇ。魔物じゃないけど熊を一撃で仕留められるんだったら、結構いい線いけるよぉ」

「……分かってるくせに」

「「ふふふ」」


 冒険者を勧めてくるのは、ラリーとパーティを組む『エリノーラ』。弓を持った女性のほうであり、のんびりした口調で話すのが先ほど杖を持っていた女性、『アイヴィー』という。彼女たちはアカツキに冒険者になることを勧めてくるが、それと同時に断られることも知っている。いわゆる”恋バナ”というやつだ。対象は推して知るべし。


 妙に気恥ずかしくなったアカツキは、ラリーに話を振った。


「ジェイコブさんは?」

「コブは二日酔いだ」

「またかよ……」

「仕方ねえよ。アイツのライフワークだからな。飲酒は」

「いざって時、大丈夫なの?」

「だめかもねぇ」

「無様をさらすんじゃないかな」

「よく今までやってこれたな……」


 この場にはいないがもう1人、『ジェイコブ』というスカウト職の男がいるのだが、どうも飲みすぎでダウンしているようだ。


「まぁ、スカウトの技術が必要なわけでもなし。アイツがいなくても問題ないだろってことで、宿に置いてきたんだ」

「……分け前は?」

「あるわけないだろ」

「……知ってた」


 心の中で合掌し、ジェイコブの明日を祈った。

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