第2話 お幸せに

「―――ごめんなさい。その申し出を受けることはできないわ」

「えっ?」


 何を言われたのか一瞬わからなかったアカツキ。もう一度思い返してみる。


「ゴメンナサイ」

「ソノモウシデヲウケルコトハデキナイワ」


 アカツキの脳は理解を拒む。恐る恐る顔を上げれば、そこには申し訳なさそうな顔をするフィオナ。そして、何やら不愉快な笑顔を向けてくるフィオナの仲間たち。やがてアカツキを見ていられなくなったのか、身を守るように左手で自分の肩を抱く。


「どう、して……」


 かろうじて絞り出した言葉はわずかに4文字。言葉を聞いた瞬間に喉から水分が一気に失われたようで、喉がかすれてその後の言葉がうまく出てこない。視界に広がる世界から色が消えていくような、現実ではありえない感覚にさいなまれながらも、アカツキは言葉を探す。フィオナに届く言葉を。


 周りが固まってしまった中、動きだしアカツキとフィオナの間に割って入った者がいた。


 ―――勇者ルシード


 女神の神託を受け、救世の旅に出ることになった男である。身長は高く、やや長めのくすんだ金髪を軽くまとめ後ろに流している。礼服を包む体は一見細身だが、分かるものには分かる鍛え抜かれた筋肉が備わっていた。しかし……


「俺の女に何しちゃってくれてんの?」


 軽薄なしゃべり方とそれにふさわしいだらしない表情によってすべて台無しになっていた。


 アカツキとてこの軽薄な勇者の口から出た言葉を、無視することなどできなかった。


「俺の女……だと?」

「あたりきよぉ~。お前、フィオナの婚約者だろぉ? 今更ノコノコ出て来られても困るんだよなぁ」


 掌を上に向け「やれやれ」のポーズをとるルシード。表情が完全に相手をバカにしているので、腹立たしいったらなかった。


「どういう、事だ……? フィオナ、答えてくれ」


 今日は、自分とフィオナの門出となるはずの日だった。そう思っていたアカツキ。しかし現実はプロポーズは拒否された挙句、婚約者は別の男の女だと言われる。

 状況に混乱し、目線をどこにやればいいのか迷ったアカツキは、本当に何の気なしに見たフィオナの左手が、自分の思い出と違うことに気付いた。気付いてしまった。


「……指輪、どうした?」


 リーネット王国、というよりも大陸全土では婚約の際に贈る「プロミスリング」を左手薬指に、そして結婚する時に贈る「マリアージュリング」を右手の薬指にはめるという風習がある。何故薬指なのかと言えば、拳を握り一本だけ指を立てる。右手と左手の立てた指同士を合わせたときに、一番離れにくいのが薬指だからという理由だ。

 アカツキが贈ったプロミスリングは、フィオナの左手の薬指にはまっているはずだが、そこにはまっていたのはごてごてした宝石が付いた品のない指輪であり、彼が小遣いで買ったシンプルな指輪の姿はない。


 それについて答えたのはフィオナではなくルシード。フィオナは未だにアカツキのほうを見ないで、自分を守るように肩を抱き下を向いている。


「あぁ、あのみすぼらしい指輪のことか。あれなら外させた」

「な、んだと?」

「だってよ~。コトに及ぼうって時に他の男から贈られた指輪なんてされてちゃ、興ざめだろ?」

「コト?」

「おいおい、いい年してわかんねぇのかよ。セックスだよ、セックス」

「な!?」

「ちょ、ちょっと! 何言ってるの!? こんなところで!」


 察しの悪いアカツキに、どストレートな答えをぶつけるルシード。さすがにそれは看過できなかったのか、フィオナは大きな声で窘める。


「ウソ……だよな」


 表情を失くし振り絞るようなアカツキの声に、傍から見ればいちゃついてるようにしか見えなかったフィオナは、浅く息をつきアカツキのほうを見た。顔は至ってマジメな雰囲気を纏っている。

 アカツキはそれを見て、今度こそ察した。


 ―――勇者の戯言ではない、と。


「……ウソじゃないわ。もうずいぶん前からルシードとは……」


 抱かれていた、と言わないのはせめてもの気遣いなのか。だがそんな気遣いは何の慰めにもならない。


 フィオナの無自覚な追撃は続く。


「だからね、アカツキ。あなたとの婚約はなしにしてほしいの。何より女神さまに加護をもらったあたしたちに釣り合うのって、正直普通の人ではムリ。だって誰もついてこれないから」


 片膝立ちだったアカツキはすでに両膝立ちになったまま、両腕を力なくだらりとおろしたままだ。大切に持ってきたマリアージュリングもすでに床に転がっている。目じりからは涙があふれていた。

 そんなアカツキの様子に気付いているのか、気付いていないのか。アカツキが見たこともないような恍惚とした表情で、演説を続けるフィオナ。


 オーディエンスには各国の王族や貴族も混ざっているのだが、このショーじみたアカツキにとっては悪夢の演劇に、興味、悲哀、嘲りといった感情を瞳に宿したまま、黙っていく先を見つめている。


 と、ここでまた勇者がしゃしゃり出てくる。何をするのかと思えば、止めとばかりにフィオナの唇を奪った。

 一瞬驚きに目を見開くフィオナだったが、すぐに瞼を伏せルシードのキスを受け入れる。アカツキはそれを見て拳を握りしめる。強すぎて血が出るも、そちらを気にするそぶりはない。やがて見ていられなくなったのか、俯き唇を噛みしめる。口の端からはわずかに血が滴る。


 静まり返ったホールに粘着質な唾液を交換する音が妙に響き渡る。結構な時間そうしていたようだが、実際にはわずか一分に満たないであろう。

 そして顔を離すときに互いの唇同士を伝う艶めかしく光る架け橋が、何よりもそれが現実だと証明していた。唇を合わせるだけでは決して架かることのない橋。深く情を交わした証である。

「こんなところでやめてよ……」と言いながらもまんざらでもない様子の声が、アカツキの耳に入ってくる。心は受け入れられなくても、状況はもう誰が見ても明らかだ。


「と、こういうわけだ。幼馴染君。潔く引いてくれるだろ?」


 軽薄な顔を得意げにして、アカツキのほうに問いかけるルシード。俯いたままのアカツキからは返事がない。ある程度リアクションを見て満足していたルシードだったが、アカツキの口から答えが聞けないのは残念だと思った。


 これ以上はそうそうないだろうという、公開処刑にも似た茶番を見ていた各人も、さすがに顔をしかめる。ここで舞台は幕引きだろうと思った矢先、更に舞台は反転した。とある人物が乱入してきたのだ。


「アカツキ様!」


 そう、第一王女レムリアである。






「……姫様?」

「しっかりしてください!」


 呆然とつぶやくアカツキの胸ぐらを掴み、揺さぶるレムリア。がくがく揺さぶられるアカツキだが「あー」だの「うー」だの今一つ要領を得ない。「こうなれば実力行使で……」などと物騒なことを考え始めたレムリアに、ぶしつけな目を向けるものがいた。

 唐突に舞台に上がってきた、極上の美少女を見てルシードは昂ぶる。周りは「だれだ? あの娘は?」と周りと情報交換を始めるのだが、リーネットの関係者以外に知っている者は誰もいなかった。結構昔からいないことになっていた上に、元々夜会に参加するつもりがなかったのだから、下調べをしたところで出てくるはずもない。


「ねえ、そこのお嬢さん」

「なんですかっ!?」


 無視すればいいのにそこはいいところの娘さん。律儀に応答を交わす。


「俺のこと、分かるよねぇ」

「勇者ルシードですわよねっ! それが!?」


 全く目を合わさずに、アカツキにビンタをし始めたレムリア。「おっ」「うっ」と若干アカツキの口から出てくる声質が変わってくる。状況に変化は出たが、いい方になのか悪い方になのか、方向性は今ひとつつかめない。


「アンタはそいつの知り合いなの?」


 ルシードの一言に、アカツキに対するアレコレが止まる。アカツキの頬はすでにパンパンである。「あー……」とやや声色が変わってしまっている。


 そこへ入ってきたのが国王グレン。もちろん宰相シャーリーを引き連れている。


「その子は第一王女のレムリアだよ、勇者殿」


 王が寄ってきたので何事かと身構えたルシードだったが、まさかの幽閉されていたとされる長女である。そこに反応したのは、ルシードの仲間であり『魔導の巫女』第4王女シャロン。


「……本当なの? お父様」


 公式な場では『陛下』と呼ぶのが普通なのだが、奔放に育ったためかそういうマナーに疎いシャロン。だが、女神の加護を持っているということもあって、対等な立場であることを許すグレン。


「本当だ。お前は、会ったことがなかったかな?」

「あるけど……その時は仮面をかぶっていたわ」


 そこそこの身分の者なら、「リーネットの第一王女が病気になって、塔に隔離されている」という噂くらいなら耳にしている。「何の病気か?」などは厳重に情報が秘されていたので表には出てこなかったが、無事に治って表に出てきているなど初耳である。


「まあ……お前が勇者殿に付いていった後にいろいろあってな。無事に完治したのだよ」

「へえ……」


 豪奢な銀髪を丁寧に編み込まれ、うっすらとしか化粧をしていないのに目鼻立ちがはっきりしている。仮面越しに見たアイスブルーの瞳は冷たく見えたが、アカツキを励ますその様子は、あれが何だったのかと思えるほどの熱を持っていた。


 と、ここでまた勇者ルシードはでしゃばる。いいことを思いついたという悪い顔をしている。


「王様。全て終わったら望む褒美を与えるって言ってたよな?」

「……うむ」


 公衆の面前で、礼儀もくそもない口調に対し、やや逡巡があったものの返事を返すグレン王。こういうところにも『勇者』という肩書が効能を発揮するのだ。


「その子が欲しい」

「……なんだと?」


 衝撃の一言に当事者のレムリアはもちろん従者たち、オマケにグレン王まであっけにとられる。


「なぜですっ。私たちだけでは不満ですかっ?」


 食って掛かったのは、アカツキの元婚約者フィオナ。と付くからには彼女だけではないのだろうが、周りにはおおよその見当はついた。『魔導の巫女シャロン』と、先ほどからまったく口を開かない『神剣の巫女ロクサーヌ』もおそらくはお手付きだろうと。


「あぁ。ぶっちゃけ足りねえ。だが、せっかくなんでももらえるんだ。普通に手に入らないものを望んだって罰は当たらねえだろ? なぁ、王様? 褒美をくれるんだよな?」

「……うむ」


 不満そうな顔を隠せない3人の従者に対し、言質を取られた形のグレンは渋い顔をしている。はっきり言って、いい顔をしている者など誰もいなかった。


 ちなみに、レムリアに何かを言う権利などはない。王族である以上、政治的な思惑で好きでもない相手に嫁ぐことであろうことは、王族の教育を受けて理解してはいる。……納得はできなかったが。なので黙って成り行きを見守るのみである。『傷モノ』である自覚があるため、おのれの望みが叶う可能性が、今となってはかなり高くなっていたのだが、ルシードがレムリアを望んだことによってその望みは限りなく薄くなってしまっていた。


 一方でなんでもなんて言ったことを後悔したグレンだったが、ただで持っていかせる気はない。


「ただし、全てが終わったらだ。初めに言った通り『瘴気災害の元を浄化してほしい』『五大災害種を討伐してほしい』この二つを達成できればその望み、叶えてやろう」

「……その言葉、忘れんじゃねえぞ」


 現在の段階で『五大災害種の討伐』は終了している。なので残りは1つだけなのだが、それが出来ずにわざわざ勇者に頼っているので、グレンも強く出ることはできない。

 よほど自信があるのか、ルシードは噛みつくことなくその場を後にする。巫女たちも後を追おうとするが、いつの間にか復活したのか、アカツキがフィオナに問いかける。


「なぁ、フィオナ」

「……何?」


 優しげに問いかけるアカツキに対し、やや苛立ちを込めた返事を返すフィオナ。わざわざ足を止めるのも、後ろめたさがあるためなのかはわからないが、機会を得たことで、女々しくももう一度縋るアカツキ。


「本当にもう、ダメなのか……?」

「っ! ……しつこいわね。私はすでに身も心もルシードに捧げているわ。それに……」


 次の一言は、アカツキに残された情を粉々に砕くには、十分な破壊力を持ちすぎていた。


「―――――――――――――」


 言葉と同時に愛おしげにお腹をさするフィオナ。覚悟はしていたが想像以上のダメージを心に受けるアカツキ。さすがに今の一言で心は折れてしまった。だが、どうしても言っておきたいことがあった。なので全力を振り絞り口を動かす。


「そうか……じゃあ最後に一言だけ」

「……何?」


 罵詈雑言を浴びせることもできただろう。だがアカツキはそれを良しとしなかった。初めて恋心を抱いた相手。幼馴染という特別な関係だ。届かなくなってしまった想いをどうにかするのは後にして、最後は笑って別れたかった。


「お幸せに」

「ッ……」


 一呼吸おいて何か言葉をかけるわけでもなく、フィオナは仲間の元へと去っていった。お互い顔も姿も見ずに別れは終わった。


 ずっと膝立ちだったので、両膝が痛いアカツキ。未だおのれの胸ぐらを掴んだままのレムリアの手を優しく引きはがし、立ち上がる。


「アカツキ様……大丈夫ですか?」


 全然大丈夫ではないが、ここはカッコつけたかった。


「大丈夫ですよ、姫様。とりあえずもうここに用はないので失礼しますね」

「あっ……」


 こうしてアカツキもプロポーズと初恋が一度に終わって用がなくなったホールからさみしい背中を見せながら去っていった。


 もてなす主役がいなくなってしまったホールは、何とも微妙な空気が漂ったまま、ついぞ閉会するまで払拭されることはなかった。

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