第26話 二人の鳥かご

「爆発させてもいいの?」

 ウイークリーマンションの部屋に、愛の苛立った声が響いた。

 論理爆弾のあり場所を教えるかわりに空井を今の仕事から外すよう、島村を相手に、愛は電話で交渉していた。

 話はうまく進んでいない。論理爆弾が作動すると外務省の全データが消えてしまうことを、再三繰り返しても、島村には効かないようだった。

 愛はやがて困惑したように眉をひそめ、携帯の送話口を手で押さえて僕に言った。

「変なのよ。のらりくらりして……本気にしてないのかしら?」

「僕が言ってみましょう」

 僕は携帯を左手で受け取った。

「もしもし、以前お会いした松岡です」

「……ああ、君か。それじゃあ、君もかんでるのか?」

 落ち着き払った口調が、やはり変だった。

「さっき彼女が言ったことは本当ですよ。論理爆弾をプログラムしたのは僕ですから、保証します。僕はプログラマーですから、仕掛けた爆弾はちゃんと動きます」

「それはそうだろう。わかってるよ」島村には、どこかからかうような調子があった。

 この余裕は何だ? 「それじゃあ、こっちが冗談を言ってるんじゃないっていう、証拠を見せましょうか? 明日の午後三時に、仕掛けた爆弾のひとつを爆発させます。だけど安心してください。これはそんなに大きいやつじゃない。島村さんのメールボックスの中身が消えるだけの、ささやかなものです。ただ、それで、僕たちがどれだけ本気か、わかるでしょう」

 こんな時のために、本番用と、予告用の、二つの論理爆弾を仕掛けておいたのだ。

「いや、本気なのはわかってますよ」と島村。

「わかってるなら、どうして真面目に取り合わないんです」

「真面目に取り合わないわけじゃない。僕はただ、どうして空井君を、今の仕事から外させたいのか、理由を聞きたいだけなんだ。どうしてなんだ?」

「頭がおかしくなりかけてるからですよ。それはもう分かってるでしょう」

「大げさだな。医者の診断は……」

「そんなことより、空井を、今すぐ仕事から外してください。それで、もう僕たちには一切関わらないでもらいたい。でないと、論理爆弾が作動しますよ。そうなると何が起こるか、さっき十分説明したはずです」

「それは無理だ。君たちには今の状況がよく……」

 僕は島村をさえぎった。「じゃあ、明日を楽しみに待っていてください。今晩は徹夜でメールのバックアップをとっておいた方がいいでしょうね。明日、結果を見てから、もう一度話しましょう」

「残念ながら、その論理爆弾とやらは、二つとも爆発しないよ」

 僕は言葉を失い、フローリングの床を見つめた。……なぜ知っている? 爆弾の個数までは言ってはいなかったはずだ。ゆっくりと唾を飲み込んだが、口の中は乾いていて飲み込むものは何もなかった。

「どういうことです?」

「まさか、君たちだったとは……驚いたな」 僕は黙っているしかなかった。

「爆弾を仕掛けたつもりだろうが、あそこはケージだよ。ウチのセキュリティチームも、それほど捨てたもんじゃないんだ」

「ケージ?」僕は、昨日爆弾を仕掛け終わった時の、妙な感じを思い出していた。こめかみが冷たくなり、顔から血の気が引いた。「まさか……」

 鳥かごを意味するケージは、ハッカーを捕まえる罠のひとつだ。本物のシステムとはべつに、見かけだけが本物と同じ偽のシステムを、別のコンピュータの中に作り、ハッカーをわざとそこに侵入させる。ハッカーは、それを本物と思い込んで、あちこち覗き回るわけだが、重要なデータは全て適当にでっちあげた偽物なので、見られた方は痛くも痒くもない。そうやってハッカーを動き回らせておいて、その間に管理者は回線をトレースし、ハッカーの居場所を突き止めることができる。

 そうだとしたら、僕たちは、ケージの中に爆弾を仕掛けたことになる。作動して消去されるデータは、本体のシステムとは切り離された小さなコンピュータに入っている偽のデータに過ぎない。つまり……爆弾は、何の意味もないことになる。

「いつ用意した?」僕は、声の震えを抑えて言った。ケージが見かけだけのシステムだからといっても、本物の構造をそっくりまねているからには、作るのに時間がかかる。

「君たち、二回に分けて侵入したよね?」

 分けて侵入したわけではない。一回目に関門を通過できなかったので、次の日に二回目をやっただけだ。

「いつ気がついた?」

「最初にバックドアを使った時に、足跡を残していっただろう?」

 ……そうか。空井でもない限り、足跡を完全に消すことはできないということか。

「じゃあ、そっちはたった一日でケージを作った?」

「セキュリティチームのお手柄です」

 ……それにしても、うまくケージの中に誘導されたものだ。バックドアを入った時点では本物のシステムに居たのだ。そこからいつ離れてケージに入ったのか、まるでわからない。

 そう思った時、気がついた。「……関門か? あっけなく通れたのは……」愛が簡単に破った関門が、ケージへの分岐だったのだ。わざと通過できるように、認証を甘くしていたのだ。

「とにかく、仕掛けたものは全く無駄です」島村が言った。「嘘だと思うなら、明日、やりたいようにやってみてください……もしもし? 聞いてますか?」

 僕は携帯を耳から離した。

「くそう、やられた」

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