第24話 010101勘010101

 僕を見た愛は、目の玉が落ちそうな顔をして驚いた。顔に絆創膏が貼られ、右腕は白い布で吊ってある。

 今日の朝一番に、近くの病院に行ってレントゲンを撮ってもらったところ、腕の骨にヒビが入っていた。

 他にも、脇腹と背中に湿布が貼ってあるが、愛には見えていない。駐車場でうつ伏せに倒され、先の尖った靴でさんざん蹴られたのだった。

「きっと、キングですよ」僕はクールに言った。ふがいなくやられてしまったかっこ悪さを隠そうとした。「海賊版のことは忘れろ、って言われたんですよ。キングがやらせたに決まっている。まったく、あいつらしい間抜けさだと思いませんか? もうそのことは全部カタがついているのに、一人でビビッてるんですよ。僕が警察に密告するんじゃないかと思ってる」

「でも、こんなことしなくても……」

 思い当たることがあった。おそらくジーマの常田が、僕が教えた通りにキングの事務所に行ったのだ。常田はセキュリティホールのありかを教えてくれと頼み、キングは自分のことが公になっているのを知った。警察が捜査を打ち切っていることなど知らないキングは、焦って僕を口止めしようと、東南アジア人たちを雇ったのだ。

「警察に行ったら?」と愛。

「これ以上、こんがらがるのはたくさんだ」

「それもそうね……」

「愛さんも、気をつけてくださいよ。キングは何をやり出すかわからない馬鹿だから」

「でも、その腕で……今日、できるの?」

 外務省への侵入は、愛にバトンタッチするしかなかった。僕はベッドの上で愛のノートパソコンを開き、電話回線の見張り役に回った。サーバーへの侵入ということでは、僕も愛も、腕前はそれほど変わらない。だが、僕の方がプログラマとしての知識があるぶんだけ上だった。昨日から手こずっている関門が、愛に破れるかどうか心配だった。

 だが、愛は、やりはじめて三十分ほどで問題の関門を破ってしまった。

 僕は信じられない思いで愛の後ろに張りつき、コンピュータの画面に見入った。愛は外務省のコア・システムに入り込み、ディレクトリを自由に移動し、いくつかのコマンドを試し、あちこちのファイルを覗き見していた。「早くやったほうがいい」僕は促した。システムの管理者に、いつ見つからないとも限らない。

 愛は、用意していた論理爆弾のプログラムをシステムの中に埋め込んだ。

 始めてから四十五分しか経っていない。

 何か妙だ。

 コンピュータを相手に長く仕事をしていると、そういう勘のようなものが働くようになる。フリーズしそうになる少し前に、何となく予感がする、というあの感じだ。(※12)コンピュータの反応が何か違うのを、直感的に感じるのだ。説明しろといわれてもできない。しいて言えば、論理爆弾を仕掛けている所を、誰かに後ろから見られているような、そんな感じがあった。ナンセンスかも知れない。今、コア・システムには、システム管理者はアクセスしていないと、はっきり表示されている。じゃあ、この無気味な感じは何なのだろう?

 ……静かすぎる。静かすぎる?

「切るよ、いい?」愛が振り向いた。

 僕が頷くと、愛は回線を切った。外務省のシステムには、データを消し去ってしまう論理爆弾が残された。成功だ。

 ウイークリーマンションから、ビル風の吹く路地に出たところで、愛は晴れ晴れとした顔を僕に向けた。

「島村に、いつ電話する?」

 今日でもいいのだが、話をどう持っていくかをまだ決めていなかった。それに、愛が簡単に関門を破ったことに、ひっかかりを感じていた。ただ単に、僕ができなかったことを愛が難なくやってしまったことに、嫉妬しているだけなのか?

「明日にしましょう」僕は言った。「ところで、聞いていいですか? さっき、どうやってあの関門を抜けたんですか?」

「ああ、あれ……昨日の夜、ちょっと調べたのよ……そのテのサイトで」

「そんなサイトに行って、よく無事でしたね。僕なんか、アクセスしただけで、ハードディクスをぱぁにされましたよ」

 ちょうど空井がうちに越してきて、いろいろな怪しい技を教えてもらっていた頃、僕はそういうアンダーグラウンドなサイトを探検して回っていた。裏のサイトに行けば、空井さえも知らない情報がいくらでも手に入ると思った。だが、そうは甘くなかった。そういうサイトには、一見さんを追い払う罠がいろいろ仕掛けてある。それを回避できる力を持った常連だけがアクセスできるようになっている。

「紹介してもらったの、その怪しいサイトに入れるように。……ペンちゃんに頼んで」愛は目をそらし、「ずっと前のことよ」とつけ加えた。

 僕は一瞬、愛とペンちゃんが何かあったのではないかと疑った。愛のコンピュータの中に、ペンちゃんから送られたいくつものミュージックファイルが残っていたからだった。

「いくら取られたんです?」僕は言った。金の関係だけであって欲しい。

「三万」

「あいつ、本当に金だけで生きてるんですね」僕は軽蔑して言った。「そうかぁ、それであんなにすんなり入れたんだ」

「ごめん、君を信用してなかったわけじゃないのよ」

「いいんですよ。どうせ怪我した手じゃどうにもならないんだし。とにかく仕掛けるものを仕掛けたんだから、言うことなしですよ」

 だが、僕の頭の芯には、まだ納得できない感じが残っていた。


(※12 パソコンの画面が固まって動かなくなる「フリーズ」は、今はめったにないが、当時は普通にあった。フリーズする前にパソコンの挙動がおかしくなることが多く、技術者の間では「疑わしいときは再起動(When in doubt, reboot)」と言われていた)

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