第15話 トカゲの尻尾はワニの尻尾
深夜零時を過ぎていたが、愛は三度目の呼び出しで電話に出た。
「もしもし?」愛の声は緊張していた。僕が名乗ると声は和らいだ。「……ああ、どうしたの?」
「警察が、空井を捕まえに来ました。警察に知らせたの、愛さんなんですか?」
「え?」愛はしばらく黙った。「……いつ来たの?」
「一時間くらい前に……警視庁の捜査官と、ジーマエンタテイメントのセキュリティの人が来ましたよ」
「それで空井君は?」
「残念ながら、逃げました」僕は皮肉を込めた。「どうしてそうするならそうすると、言ってくれなかったんです? 今日の昼間、警察に知らせるのは止めるって、言ったじゃないですか」
「……」
「昼間会って、僕の目の前で涙まで見せて、その夜にコレっていうのは、ないでしょう?」僕は怒りを抑えられなかった。
「……だって」
「早まったことをしてくれたおかげで、空井は、これからずっと逃げ回ることになるんですよ。キングの方はピンピンしてるっていうのに………」
そう言って、何かがおかしい、と思った。
なぜキングが無事なのだ? 愛の計画の最終目的は、キングを逮捕させることだったはずだ。
僕は冷たく言った。「愛さん……キングが逮捕されてないのはなぜです?」
愛は答えない。
背筋がひやりとするのを感じて、僕は語気を強めた。「一体、何やってるんだ」
すすり泣きが聞こえた。
「また、それですか」
「ちがうの……」
僕は無視して続けた。「とにかく、愛さんが密告したことを、空井には言いますから、悪く思わないでくださいね」……当然だ。悪いのはそっちなんだから。あんたなんかとの約束より……「今は空井の身の方が、ずっと大事ですから」
「まって……ちがうの……」
僕は、皮肉を込めてため息をついた。「……それじゃあまた」
「まって、そうじゃないの。島村がやったの。全部、島村がやったの」
意味がまるで分からない。が、僕は耳から離しかけていた携帯を止めた。また言い逃れか?
愛は黙っていた。
「……もしもし、聞いてますけど?」
「私だって、もう、気が狂いそうなのよ」
「それが島村と、どう関係あるんです?」
「信じてもらえないかもしれないけど、島村っていうのは、外務省に関係してるの」
「ええ……だいたい分かってましたよ」
「知ってたの?」
「だいたいはね。空井がトレースしたら、そこにたどり着きましたから」
「そう……そうよね、彼ならわかるわよね」
「それで? その島村が何をやったんです?」
「罠にかけたのよ。空井君にどうしても仕事をやらせるために。海賊版のことでキングと空井君を検挙して、後から交換条件を出して空井君だけを不起訴にすることになってたの。不起訴にするかわりに、仕事を無理にでもやらせようとしてるのよ。私を引きずり込んだのと同じやり方、それがあいつらのやり方なのよ」
僕は本当かどうか考えてみた。検挙、不起訴という、愛らしくない言葉が出てくるところを見ると、おそらく、島村と話し合ったことのように思える。
「……信じて」と愛。
「どうして黙ってたんです?」
「だって、私には自衛隊のファイルのことがあるから……それに、そのうちに何とかできると思ってたの。まさか今日実行するなんて知らなかったから」
「じゃあ昼間は、なんであんな嘘を言ったんですか? キングと空井の仲を切るために、自分で警察に密告するなんて」
「あれは……あれも嘘ってわけじゃない。前に思いついたことなの。だって、空井君にあれ以上深入りして欲しくなかったから。でもそれを島村に話したのがいけなかったのよね。ヒントをあげることになっちゃったのよ。……彼、どこにいるの?」
僕は少し考えて、その質問を無視した。
「それじゃあ、空井は捕まったとしても、その仕事っていうのを受ければ、無罪になるってことなんですね?」
「そう」
「その仕事って、何です?」
愛は長い間黙っていたが、やがて、
「情報収集……、少なくとも私はそう聞かされている」
……外務省の情報収集……つまり、「スパイ、ですか?」
「でも、悪いことをするわけじゃないでしょ? 結局は日本のためになることだし、実際には、部屋の中でコンピュータを使うだけだから、危なくもないし」
僕は愛がわからなくなっていた。いったい、島村の味方なのか敵なのか……。
「ね、空井君、どこにいるの?」切羽詰まった調子で愛が言った。
「この電話じゃちょっと言えません。万一盗聴されてることもあるし」……愛さんを信じ切るわけにもいかないし、と僕は心の中で言った。「街中に警察がうようよいて、空井を探しているかもしれないですからね」
「それは大丈夫」愛は言い切った。「警察は動かないわ。島村は外務省の人間だから、管轄がちがうから警察を勝手に動かすことはできない、って言ってた。だから、空井君を捕まえに行った人たちも、本物の警察じゃないはずよ」
「でも、本物でしたよ。身分証明も見たし」
「うそ」
「ジーマのセキュリティ担当者も一緒でしたよ」
「本当に?」
愛は黙り込んだ。
「ジーマの人間が一緒だったということは、事が公になってるということでしょう? つまり、外務省と空井が内々の取り引きをしても、それだけじゃ済まなくなる。海賊版で損害を受けたジーマは黙ってないはずでしょう?」
「……そうよね……ねえ、何がどうなってるの?」愛は不安げな声を出した。「まさか、私まで騙されてるってこと?」
僕は、愛をどこまで信じていいのか分からなくなっていた。愛は外務省の島村と、極端に言えば、裏取り引きをしたのだ。自衛隊のファイルと交換に、空井を売ったとも言える。愛が白状したことは、どこまで本当なのか? うちに来たのは本物の警察だったし、島村の作戦からすれば、ジーマの人間がいたのはおかしなことだ。愛は、まだ全てを話していないのか? それとも、電話の最後に言ったように、愛自身も島村に騙されているのか?
その夜、空井から連絡はなかった。こちらから一度だけ、空井の携帯にかけてみたが繋がらなかった。僕はろくに眠れず、次の日、朝五時から起きていた。会社は休む気だった。とりあえずコーヒーをいれ、トーストをかじっていると、電話が鳴った。
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