教室の堆積物

阿尾鈴悟

教室の堆積物

 緻密な人間関係ができあがる。朝、教室に入った瞬間、なんとなくで、行くべき居場所が何処かが分かってしまう。中央に陣取る、人数の多い運動部? 壁際に集まった、人気の高い文化部? 私はすでに乗っ取られた自分の席に鞄だけ置かせて貰い、教室後方の空いている席で突っ伏した。時には読書や宿題なんかもしたりするけど、もっぱら寝たフリで時間を潰す。そうすれば、教室に居ながら、ほとんどの人の目に留まらなくなれる。鍵のかかっていない屋上や人通りの少ない階段でもあれば別だけど、そんな場所、フィクションの世界にしか存在しない。だから、静かに、ナリを潜めて、余計なことから遠ざかる。

 担任の中原先生が入ってくると、見ずとも教室が一変したと良く分かる。椅子を引く音、上履きの擦れる音、距離が増して大きくなる会話の音。教室に溢れる音の種類が明らかに変化して、ホームルームには無い予鈴の代わりを紡ぎ始める。私はその音を聞きながら、もう少しだけ机の天板を見つめ続ける。

「佐紀」

 物音が落ち着き始め、まもなくホームルームが始まるというタイミング。そこで親友の佑美が私の名前を呼んで起こしてくれる。さも寝ていたかのように体を起こす演技も、ずいぶん、板に付いたものだ。

「おはよう。ありがとう」

 困ったように佑美が私の顔を見る。きっと、寝ていないなんて、とうの昔に気付かれている。それでも佑美は呆れず起こしてくれた。

 解放された自分の座席に着くと、すぐさま前の席からプリントが流れてくる。その日、朝の内に配らなければいけない、前日の小テストの結果なんかを、中原先生が返しているのだ。その日が始まるチャイム──つまり、ホームルームの開始を告げるチャイムが鳴って、中原先生は出欠を取る。欠席の連絡なんて、ほとんどが朝の内に届いているから、残された名前と教室の顔を照らし合わせ、足りない部分を、暫定的に遅刻と定める。最後に、ほとんど昨日と同じ今日の小さな差異を伝達したら、挨拶の一つも行われないまま、クラスメイトたちが所定の場所へと散っていく。そうして、その日、一日が始まる。

 それが、私のいつもの朝。自分を守るだけの、一日の始まり。

 けど。

 けど、最初の頃は、もう少し違った気がする。皆が皆、笑っているとまではいかないにしろ、今と比べれば、明らかに過ごしやすい空間だった。友人と話す人がいて、読書をする人がいて、隠れてゲームをする人がいて、必死に宿題をする人がいて。教室にいる一人一人が自分の居場所を持っていて、好きにやりたいことを出来ていた。ただ楽しいだけの教室だった。

 いつから、こんなことになったんだろう。部活が始まってから? 大会もない文化系の部活に所属する私を、一部の運動部がからかい始めてから? ほかの運動部も困ったように嗤い始めてから? 先生が相談にも乗ってくれなくなってから? 佑美とも疎遠になってから? いや、ほかにも理由があるかもしれない。何が変わって、何が変わっていないのか。あの頃を当たり前だと思って過ごした今では、もう、比べようもないけれど、皆、いつの間にか余計な物を抱えていた気がする。いつか、それを捨てたとき、元の教室に戻れるのかな。だから、それまでは、おやすみなさい。

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