第22話 魔力操作について

 エヴォリュース国サイス市への移動を開始して数日。

 この間、当然ながら野営も行なっている。

 就寝時は馬車の結界を作動させれば済む話ではある。

 しかし、なにぶん狭い馬車内、いくらふたり寝転がれる程度のスペースはあれど、だからといって問題ない……とは言わぬが花だろう。

 本格的に「冒険者」となってくればそうも言っていられないだろうが、その頃には人数も増えている——はずだ。

 とりあえず今は、これも勉強だと見張りと休息を取る役を交代でこなしつつ旅路を過ごしている。

 

 とはいえ、さすがにそんな道中ばかりでは、精神的にも肉体的にも疲れがたまる。なので私たちは、昨日の昼過ぎには町に立ち寄り、数日ぶりの宿のベッドで英気を養った。

 そして翌日の今、食料や食材を買い足すためにふたりで店を巡っているところ、なのだが——


あや

「ひゃ、ひゃい!?」


 私の呼びかけに、あやの裏返った声が返ってくる。

 そう。

 彼女の様子がどうにも変なのだ。

 今の返事もそうだし、馬車の御者台で座っていても、会話していてもこうして歩いていても、ずっと微妙に距離を空けられている。


 はて、こうなる要因がなにかあっただろうかと考えてみるものの、とんと思い当たる節もない。

 仕方ないので率直に尋ねることにする。


「少々避けられているように感じるのだが、私が何かしただろうか」


 するとあやは、両手のひらを胸の前でぶんぶんと振り慌てて答える。

「い、いえ!何にも!リュウさ——リュウは悪くない……です!」

 ふーむ。

 呼び名や敬語を使わないことにまだ不慣れとはいえ、言葉遣いまでがいつも以上にちぐはぐである。

 これで何でもないと言われても、はいそうですかと納得しろというのは無理な話だ。


 どうやら、あや自身もその不自然さは自覚していたようである。

 しばらくふたり無言で歩みを進めた時、彼女の方から話しかけてきた。

「えー、と、ですね……」

「?」


「その……名前を呼ばれるのが、ちょっと意識しちゃうというか、恥ずかしくって……」


「名前? あやの名前は最初から呼んでいたと思うんだが」

「っ! いえ、その……っですね!」

「『です』は要らないぞ」

「んっあ……うん……笑わないで——ね?」

「ああ」

「この前、私の名前をどう書くかっていうお話ししたでしょ?」

「ああ。『いろどり』のさいと書いて『あや』だったな」

「ぅ、うぅ……そ、それから、ね? リュウ——の私の名前の呼び方が、日本で呼ばれてた時みたいな感じになったというか、その……」


「——あぁ、ちゃんと『私』を呼んでくれてるんだなぁ、て感じられて……嬉しいというか……恥ずかしくて……うぅ」


 どんどんしりすぼみに声のトーンを下げつつ、あやはなんとか答えを絞り出した。

 俯きつつ、かなり小さな声ではあったものの、私はなんとかそれを聞き取ることができた。

 ……ふむ? それが理由?

「確かに名の由来を聞いたから、多少のニュアンスの違いはあるかもしれんが……しかし、もともとはずっとそう呼ばれていただろうに。そんなに気になるようなことか?」

「確かにそう——なんだけど……」

 もごもごと言葉には出さず口を動かしながら、ちらちらと私を伺うあやを眺めつつ、私は首を傾げ素直な感想を口にする。


「おかしなことを気にするんだな、あやは」


 私としては、本当に何とは無しに口をついて出た言葉——だったのだが。

 あやは、私を伺っていたその目を大きく見開いたかと思うと、ぽかんとしたような呆れの表情から、驚き、そして怒りへの百面相を披露し……


「リュウの……ばかっ!」


 そういってひとり、ずんずんと前に歩いて行ってしまったのだった。


「…………はて? 私は悪くない、と言われたはずなのだが……」


 ——結局、それから間もなくして、あやの方から、多少のぎこちなさを残しながらも元通りの距離感に戻ってきてくれたのでこの件は有耶無耶になった。

「ごめんなさい!」

 向き直るなり勢いよく頭を下げられたのには面食らったが、機嫌がなおったのならばそれは喜ばしいことである。

 ……結構重要な何かを先延ばしにしてしまっているような気もするが。



 ————。

 ともあれ、買い物を済ませ町を出て、再び馬車に揺られること数刻。

あや

「っ、……どうしたの? リュウ」

あやの装備は、城で用意されたものか?」

「う、うん。そうだよ。最初は鎧もなんかすごいの出されて着けてたんだけど、動きやすい方が良くて軽いのにしてもらったんだ。騎士の人たちの剣も慣れたら避ける方が楽だったし。……冒険者みたいだ、勇者様にはふさわしくないってあまりいい顔はされなかったけど。で、剣はね——」

 そういってあやは、御者台の後ろに置いていた剣を取り上げる。

 私はあやに馬の手綱を渡し、代わりにその剣を受け取った。


「……それなりに強力な破損抵抗の魔術付与エンチャントが施されているな。あと、風の斬撃が飛ばせるのか」

「見ただけで分かるんだ。でもそれなりって……王家に代々伝わる、決して刃こぼれすることも切れ味が落ちることもない秘宝中の秘宝、国宝だって言ってたんだけどなぁ。……勝手に持ってきちゃったけど、いいのかな」


 受け取った剣は、スタンダードな両刃の西洋剣、ロングソードだ。

 付与された破損抵抗の魔術は確かにそこそこ上位のもので、同様の魔術で魔化された斧やハンマーと打ち合っても刃こぼれすることはなさそうである。

 強力な身体強化によって力負けしないあやにとっては、最適ともいえる魔術付与だろう。

 風の斬撃も、飛ばすには使用者の魔力を消費するが、あやの魔力量ならそれほど気にすることもなく強力な補助として有効だ。

 確かにこれらの魔術付与が施されたこの剣ならば、現在世界に出回っている武器のレベルを考えると国宝とされるのも不思議ではない。


「別に返さんでも構わんだろう。むしろ迷惑料にもならん。だがしかし、これは……」


 と、ふと隣を見ると、あやについては気にしていたようで私の言葉に苦笑している。


「派手すぎるな」

「だよね……」


 意見が合致する。

 まさにその通り、なのである。

 さすがにつかの部分は魔獣の皮が編み込まれ滑り止めもしっかりしているが、それ以外の部分——柄頭つかがしらには緑色の大きな宝石があしらわれ、それを支える爪や鍔の部分は金色に輝いている。

 風の斬撃を飛ばすために魔力を通すと、その刀身はまさに「勇者の剣」と喧伝するにうってつけなきらびやかで白い光を纏う。

 鞘など、もう言うまでもなく金銀細工と宝石で眩しいほどの華々しさであり、さらにとどめとばかりに王家の紋章まで彫り込まれている。


 つまりそれは——人目のある場所で到底使える代物ではない、ということだ。

 そして、あやには別の武器を用意する必要がある、ということにもなる。

 

 ちょうど今は町からは程よく遠ざかり、周囲には人の気配もない。

 あやに馬車を停めてもらった私は、彼女にひとつの提案をする。


あや、君の武器を見繕いたい。そのために、一度軽く立ち会ってくれないか」


 ————。

 馬車から少し距離を置き、私とあやは向かい合う。

 あやには現状いちばん使い慣れている王家の剣をそのまま使ってもらう。


「全力でかかってこい。手加減は考えなくていい。魔術を混ぜてもいいぞ」


 そうあやに声をかけつつ、私は収納空間から剣を抜く。

「ぁ……日本刀?」

 あやの視線が私の剣に吸い寄せられる。

 私の取り出した武器。

 細身で反りを持ち、片刃の刀身。

 柄には、魔獣の皮の上から柄糸まで巻いてある。

 あやの言葉通り、外観は日本刀ほぼそのままだ。

「見た目はな。しかしこの剣は日本刀のように鍛えて造ったものではなく、ある素材から削り出したものだ。刃文もないだろう? 作り方も違うし、見た目も足りないから、日本刀とは呼べないんだ」

「——まぁ、この世界でそんなにこだわる必要もないのかもしれんが、私はとりあえず『カタナ』と呼んでいる」

「ん〜……なるほど?」

 私の言葉を聞いたあやは、納得したようなしていないような、そんな生返事で首を傾げている。

 考えてみれば当然だ。日本人ならば日本刀の形は知っている。しかし、その鍛え方や刃文のことまで知っている元女子高生というのはあまりいないだろう。


「まぁ、それは今は置いておくとして——始めようか」

 声をかけ、私はカタナを構える。

 あやも応じて構える。

 ……が、その動作には、戸惑いがありありと現れていた。


「ああ、そうか。まだ私がどの程度『動ける』のか、あやは見たことがなかったな」


「……はい」

 城では結局、威圧と戦闘には関係のない魔法を使っただけで「戦い」にはならなかった。

 あやとて、この世界では十二分に非常識といえる能力を持つ身である。

 死線をくぐるとまではいかなくとも、野盗はもちろん、近衛騎士の剣でさえ楽に避けられることも経験し自覚もしている。

 手加減なしで来いといわれても、助けられた味方、しかも「魔法使い」だと思っている相手だ。本気で斬りかかるのに気がひけるのは仕方のないことだろう。


「よし。では先に一度、私から行くぞ」

 構えを解かないまま、私はあやする。

「——っ、はい」

 あやが私の声に応え構えるのを見届けた、次の瞬間。


「ぇ」


 あやには、私の姿が消え失せたようにしか見えなかっただろう。

 そしてその刹那、私はあやの背後から、彼女の首筋のすぐ隣にカタナの刀身を突き出していた。


 ——相対していた私が消えた瞬間、背後から、自身の首をいつでも薙ぐことができる位置にカタナの刀身を突きつけられている。 

 それは、自身が抵抗どころか意識すらする暇もなく首を刈り取られた、頚椎けいついを貫かれた、つまりは——殺された——と同義である。

 あやは衝撃のあまり、声を出すことはおろか呼吸さえもできていない。


 ——静から動。脱力からの発動。零からの最速。

 魔力を一切外に漏らさず体内のみで活性化。

 相手の動きと呼吸を把握し、自身の身体の動きの「起こり」を完全に廃する。

 これらを瞬時に、同時に行うことで、対峙し、相手の視界に入っていてさえ不意打ちを実現する。

 もちろん、魔力による並ならぬ身体強化あってこそのものではあるが、武道において「無拍子」といわれるものを組み合わせた動きだ。


 私は、あやの首筋からゆっくりと刀身を引き離す。

 と、その瞬間、固まっていたあやが解き放たれたように勢いよく振り返る。

 驚きとともに恐れの感情が入り混じる表情を貼り付けた顔には冷や汗が浮かび、顔色は死人の如く蒼白だ。


 しかし、それでも。

 彼女はすかさず数歩下がり間を取りつつ剣を構えた。

 構える剣先は小さく震えているが、彼女の気力は萎えていなかった。


「今のはあくまで魔力での身体強化と体術の組み合わせだ。転移ではないぞ」

「うそ……」

 あやは信じられない、という声を漏らすが、私は言葉を付け足す。

「そう得体の知れないものを見た、という顔をしてくれるな。あやにも、今の動きを出来るようになってもらわなきゃならないんだからな」

「…………」

 今度こそ返す言葉もなく、無言になってしまうあや


 確かに、衝撃を受けたばかりの今は目指す山の頂が全く見えず、私の言葉が信じられないかもしれない。

 しかし、あやにとっては決して手の届かないところなどではなく、むしろさほど遠くない未来にたどり着けると私は確信している。

 だからこそ、私はあえて最初に見せつけたのだ。


あや

「……はい」

「君が君の覚悟を押し通すには、圧倒的と言える強さが必要だと言ったはずだ。そして君はそれを望んだ。ならば……わかるな?」


「自分を信じろ。道筋は私が示す。出来ないと思うな。必ず出来ると思え。言っただろう? 想像力が大事だと」


「それに、あやなら出来るようになると、君にはその力があると、私が断言しよう。だからまずは、あやを信じる私を信じろ……というのはどうだ?」


「私はあやを信じている。これまでのこと、そして今、圧倒的な力の差を見せられても折れずにすぐさま私に対峙できたあやの心の強さを、私は信じている」


 私の言葉に、あやの剣の震えが止まる。

「……ありがとう、リュウ。信じるよ」


「リュウを信じる。そして、リュウが出来るといってくれた自分を信じる」


「いい目だ。『これ』に関しては厳しくいくから、覚悟しておけ」

「お手柔らかに」

 そういって、口の端を上げるあや

 やせ我慢かもしれないが、それでこそあやだと私は嬉しくなる。

「とりあえず、今は手加減なしでかかってきてくれて大丈夫だというのは分かっただろう?」

「はい」

「では、来なさい」

「——行きます!」


 ————。

 ——。


 あやが草むらに仰向けに寝転がっている。

 その胸は大きく速く上下し、相当に息が荒いのが見て取れる。


 私は、彼女の攻撃のほとんどをいなすことで外させた。

 斬りかかってくるあやの剣の横腹に自身のカタナの鎬地しのぎじをあて、軌道を変える。

 それをあやが立ち上がれなくなるまで繰り返したのである。

 あやにしてみれば、空振りを繰り返すよりも苦しい手合わせだっただろう。

 いなされる度に体幹がぶれ、無理やり体勢を立て直さなければならないのだから。


 それでも収穫は大きかった。

 剣を振るう度、より鋭く、より避けにくく。切り下ろしと横薙ぎだけだった剣筋が、切り上げや突きなども交えた工夫あるものに変化していったのだ。

 斬撃の風魔術も使い、それが発動を感知され当たらないと知るとフェイントに組み込むという真似までしてみせた。


 膂力に任せた断ち切るだけの剣が、創意工夫し、身体全体を使い、斬るための剣術に進化していったのだ。

 それも、驚くべき、いや、恐るべき速度で。


「どう、して……当たら、ない……の……」

 ぜぇはぁと息もままならない状態ながらも、あやが問う。

 剣術自体は、城で騎士にも習ったのだろう。

 しかし、やはり積み重ねと実践がなければ身にはつかない。

 そして、残念ながらあやには彼女に見合う相手がいなかった。

 それだけのことだ。


 あやは実感できていないだろうが、そうした、地力が高すぎるがゆえに疎かになっていた欠点、ただの知識にしか過ぎなかった剣術が、すでに実践、実戦の剣術として急激に矯正されつつあるのだ。

 みるみる冴えを増していくあやの剣は、そういざなう側にしてもしんに驚嘆するものだった。


「悲観することはないぞ、あや。君の上達速度は目を見張るものがある。その工夫と発想力があれば、Aランクの冒険者が相手でもすぐに打ち合えるようになる」

「その、すぐに、までが……命取りになる、のが、この世界で、しょ?」

「いい心がけだ。大丈夫。今は心配せずに格下ではなく対等以上の者と場数を踏むのが最優先だ。つまり、私との立ち会いをこなすことだ。あやならそれでどんどん身につくし、それまでは私が必ずしっかりとサポートする」

「……全然勝て、る気が、しない——んだけど……」

「はは。そんな簡単に追いつかれては私の立つ瀬がない。簡単には譲らんさ」

「うぅ〜……頑張、る……」



 ————。

 あやがシャワー——土魔法で衝立ついたてを作り水魔法で水を、という簡易ではあるが魔力が潤沢な者ならではの贅沢——を済ませた後、私たちは馬車を進めつつ話を再開する。


「剣については、先ほど話していた通り進めれば問題ない。そしてもうひとつ、これも重要だ。というより、こちらが本命だ。なぜなら——」


「どれだけ『剣術』にひいでようと、それだけで『圧倒的』にはたどり着けない。同じ剣の高みまでたどり着く者は必ずいる。だから、プラスアルファの部分を磨く。それが、魔力操作だ」


「魔力をなんらかの形で行使する者は、大気中の魔素を魔力に変換し、身体という容器に溜める」

あやの場合、この変換効率と容量が飛び抜けている訳だが、今はその高性能なエンジンを、発進から停止まで5速入れっぱなしで無理やり走らせている、という状態だ」

 と、そこであやが申し訳なさそうに軽く手をあげる。

「え〜と? ……ごめん、その……よく分からない、かな」

「ん? あ〜、それもそうか。あやの歳では車にたとえても分からん——というより、ミッションMT車に例えるのも間違いだな。すまない」


 苦笑しつつ、私は例えを変える。

「では、こう考えよう」

あやは茶碗をひとつ洗おうとしている」

「必要なのはほんの数滴なのに、洗剤は大きなサラダボウルになみなみと入っていて、傾けただけでどばっとこぼれてしまう。——これでどうだ?」

「要はものすごく無駄遣いしてるってことね」

「ああ、そうだ。ものすごく——を明確なイメージとして分かって欲しかった」

「あはは。うん。よく分かったよ」

「ふ。なら良かった。でだ。そのままでは、あまりにもったいないだろう?」

「うん」

「だから、洗剤をきちんと容器に入れ、ノズルをつけて使いやすくしよう——という訳だ」


「必要な魔力を、必要な瞬間に、必要な量だけ、必要な場所に集中して使えるようにする。そうすることで、効率も効果も何倍にも跳ね上げることができる」


 あやが頷き、そして当然の疑問を発する。

「イメージはわかった。けど、実際どうすればいいの? 魔力を集めるっていうのなんとなくは分かるんだけど、一箇所に完全に集中させるとなると……」


「そうだな。まずは魔力操作とはどういうものかだが——」

「単純な身体強化自体は、体全体に魔力を回し活性化させるだけでもそれなりの効果がある。だから使える人間も多い。実際、魔力さえ持っていれば多かれ少なかれ無意識に身体能力が強化される」

 あやが頷く。


「そうやって漫然と使っているだけでは効率も悪く効果も低いんだが、ほぼ全ての者はそれ以上があるとは考えてもいない。これも『そういうものだ』という固定観念ができてしまっているからだ。だから、いかに魔力を身体に充填できるか、魔力の総容量のみが重視され才能とされている」


「そんな状況だから、あやのような大きな魔力があれば現状でも十分なアドバンテージはある。だが、魔力が大きいからこそ、今話したことを習得すれば絶大な効果が見込める」

「加えてあやには無詠唱魔術もある。基礎としての剣術や体術、そして魔力操作。それらを使いこなした上で効率よく身体強化と魔術を重ねれば、ついて来られる者はいない。たとえAランクの冒険者相手であっても物の数ではない、というほどにな」

 私はあやの瞳を覗き込むように真剣に見つめながら、言う。


「——それこそ、『圧倒的』な力になる」


 あやがごくりと唾を飲む。

「といっても、実のところ、そんなに難しく考える必要はない。あやも今言っていたように、例えば遠くのものを見ようとすると、ある程度は眼に魔力が多く集まる。これは身体強化を行う者なら誰でも『なんとなく』無意識に行なっていることだ」


 私の言葉に、あらら、という感であやの肩から力が抜けたのが分かった。

 気負いすぎてもあまり良い結果は出ないので、このくらいが良い。


「ただこの時、まず身体強化を発動し、その上で眼に魔力を集めるという動作を行なっているのが今の状態だ」

「全体の魔力を10、そのうち視力に使われてる魔力が1だとする。そして、遠くを見る時だけは視力に使われる魔力が無意識のうちに2になる。だがこのかんも身体強化はずっと発動している状態だから、全体の魔力の消費量は10のままだ」


「それを視力だけに10を回せるように、あるいは2の魔力のみ使い、あとはカットしてしまえるようになろう、ということだ」

「そうなれば、強化した箇所の効果が何倍にもなるし、逆に最小の魔力でこれまでと同様の効果を得られる。そのためにやらなければならないのが——」


 私はあやの目の前で指を1本立てる。


「第一段階」

「意識して魔力を必要なところだけに集中させ、ほかにはまわさない。それを『意識して』しっかり出来るようにする魔力操作の会得」


 さらにもう1本。


「第二段階」

「といってもこれで終わりだが、魔力操作を完全に物にした上で、今度はそれを『無意識に』使いこなせるようになる」


「で、その方法だが——」

 あやの目の前にできたVサインを拳に戻しつつ、

「これを使うといい」

 私は小ぶりのナイフを1本、またVサインを出しつつ、二本の指の間に挟むように取り出す。

「これを? 全然魔力とか特別な感じはしないんだけど……」

 収納空間を掌に展開し手品のように見せたのだが、残念ながらあやはナイフの方に気を取られ芳しい反応はなかった。

 ちょっと悔しい。


「私のカタナと同じ素材のナイフだ。この素材は、魔力を吸い、内に溜め込む性質を持っている」


「魔力を吸って、溜め込む?」

「ああ。つまり——あや、小さくていいから、【火】か【灯】の魔術を出してくれないか」

 そうあやに頼むと、彼女はすぐに指先から浮かび上がるように光をともした。

 日中でも十分眩く球状に輝くそれを、私は鞘から抜いたナイフで薙ぐ。

「あ。消えた」

 あやが意識せず出した声の通り、ナイフの刃が触れた途端、光は消え去った。

 正確には——魔術を魔力に分解し、吸い込んだのだ。

「こんな感じだ。魔術に使われていた魔力は、ナイフの内部に取り込まれている。取り込んだ魔力は外には一切漏れ出ないから魔力は感じない、という訳だ」


「…………ひとつ聞いていい? リュウ」

 恐る恐る、といった感を出しつつ、あやが訊ねてくる。

「ああ。なんだ?」


「これ、どのくらいの魔術まで取り込めるの?」


「そうだな……人間が使うレベルの『魔術』ならほぼ大丈夫じゃないか? とはいっても、直接取り込める状態、刃が魔力に当たる状態じゃないとダメだから、全てとは言えないが」

「っ! えーと、それでもそれって……」


「ほぼ完全な『魔術殺し』だな」

「っ!」

「それに、純粋に斬るための道具としてもあやが使っている剣より優秀だぞ? 少なくともあやの全力以上の魔力を込め、かつ、それに耐えられる剣でなければ刃こぼれさせることもできないだろう。破損抵抗ではなく、不壊に近い」

 あやが言葉を失っているうちに、彼女が聞きたかったであろうことを先に答える。


「…………う〜わ〜。国宝の立場が……」

 少しの間の後、聞くんじゃなかった——とでも言いたそうに声を出すあや

 それでも、その声色には、「やっぱりか」と呆れるような、あるいは半ばそうだろうな、と考えていたような雰囲気も含まれている気がする。……それを諦観、とは思いたくはないが。

 いずれにしろ、それが多少なりとも私を理解してきてくれている証左ではないか? などと考えるのは都合よすぎるだろうか。

 まぁ、ともあれ。

「しかしだ。このナイフは、それがたとえ所有者であろうとも、触れたものから発する魔力を無条件に吸いあげる。そしてその容量は、人間が持てる魔力よりもはるかに大きい。となると、だ」


「このナイフを持つと、どうなるか」


 考えれば誰でもわかることだ。

 ひくり、とあやの表情が微妙に引きつる。


「鞘にはそれを止める効果を施してあるが、不用意に抜けば、おそらくものの数秒で体内の魔力が枯渇して満足に立つことも難しくなるだろう。魔力量が少なければ、あっという間に意識を失う」


「……え〜と、リュウ? なんでそんなものを私に?」

 たらり、とこめかみに汗を浮かべそうな表情であやが訊ねてくる。


「そんなものとは失礼な。ふむ……最初は、このナイフを抜いても魔力を吸い取られないよう、ナイフを持つ手以外に魔力を逃す練習だな。それができたら、ナイフを当てた箇所以外に魔力を逃せるように」


「そこまでクリアできたら、今度は逆に魔力を一箇所のみに集中させる。そして、身体のどこにでもすぐに集中させられるようになるまで繰り返し練習だ」


「魔力を必要な場所に集中させて身体強化、魔術を発動できるようになれば第一段階達成だ」


「それができるようになれば、細いラインを通すイメージで、ナイフに溜めた魔力を逆に吸い上げて使うことも可能になる」


「最終的には、ナイフを握っていても無意識で魔力操作ができるように、ナイフを使っての戦闘が行えるように、だな。いってみれば、そのナイフと同じような構造に自身の身体を鍛えなおすようなものだ」


「魔力を内に閉じ込め、無駄に外に漏らさなない。身体の表層は絶縁体のごとく。そして常に身体の中を魔力が循環し、いかなる時でもすぐに集中できる状態に、と」


「ここに至れば、第二段階もクリアだ」


「長い道のりだね……」

 不安そうにあやが呟くが、私はそれほど心配していない。

あやならそんなに時間はかからないと思うぞ? ……そうだな。頑張って出来るようになったら賞品を出そうか」

「賞品?」

「ああ。第一段階をクリアできたらそのナイフを、第二段階をクリアできたらメインになる武器を進呈しよう。カタナでも剣でも、あやの使いやすいものを選んでくれていい。もちろん、素材はこのナイフと同じものだ」

「使いこなせれば、これ以上に便利なものはないぞ? 壊れない、相手の魔術を無効化できる、無効化し吸い上げた魔力を逆に利用できる、しかも万一相手の手に渡っても使えないどころか弱体化、無効化できる」


「それは本当にすごいと思うんだけど……もらっちゃっていいの? それに、使いこなせるかな?」

「ふふ。もう受け取った後の算段とは頼もしい言葉だな」

 無意識で言ったのだろうが、私の返しにあやが少し顔を赤らめる。

 私はその仕草に口の端をあげながら言葉を続ける。

「むしろその意気だ。もちろん、喜んでプレゼントする。それに、そのナイフで魔力の扱いを習得できれば、魔力操作は万全だ。獲物の大きさは関係ない。もっとも、容量はかなり増えるがな」

「そのカタナくらい?」

「だな。試しに持ってみるか? 容量が大きいぶん、そのナイフの30倍以上の速さで魔力を持っていかれるぞ? 常人なら、触れた瞬間に意識を失うんじゃないか」

「なにそれこわい」

「ふっ。それだけ軽口が叩ければ十分だ。期待しているぞ、あや

 私の言葉に、あやが笑顔を浮かべる。

「うん……そうだね。はーい。先生、私頑張ります!」

 明るく元気な声につられ、私も笑顔になる。


「ああ。頑張れ、あや

「うん、ありがとう。リュウ」


 ——なお、すっかり話が講義と化してしまい失念していたが、あやには彼女の身体強化に耐えられる程度に破損抵抗の魔術付与エンチャントを施したロングソードを渡すこととなった。

 もちろん、見た目は極めて普通の、地味なものを。





 〜おまけ〜

「先生、質問があります」

 気持ちが和らいだのか、軽い口調であやが訊ねてくる。

「——どうぞ、あや君」

 私も苦笑しつつ、先を促すよう言葉を返す。


「身体が動いても、思考が追いつかなくなったりしないのかな……? さっきのリュウの動きも全然見えなかったし……」


 まだ具体的なイメージが浮かんでいないだろうこともあり、不安、というよりも不思議に感じているようだ。

 だが、重要な疑問でもある。


「いい質問だ。もともと脳は、たとえ一瞬といえど『こうしてこう』と未来を予測しながら身体の動きを作り出している」

「脳というのは結構優秀でな。魔力も作用するのかもしれないが、身体が『そう動ける』のなら、それに対応して『そう動かせる』ようになる。でなければ、生き物はここまで進化していないだろうしな」

「それに、先ほどの私の動きは、魔力操作に武道の体術の動きも組み合わせている。今はまだあまり気にしなくてもいい」


「あと、そうだな。あやは意識していないだろうが、先ほどの私たちの動きも、最後の方はすでにCランク以下の冒険者には何をしているかも分からない、Bランクでもついて来られないくらいの速さになっていたぞ?」


「そうなんだ……慣れるってことでいいのかな」

「だな。何か気になったら今のようにその都度聞いてくれ」

「はーい、先生」


 ——————。

 ————。

 ——。

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