第21話 想像力 -imagination-

 かっぽかっぽ——と馬の蹄の音が呑気なリズムを奏でる。

 常歩なみあしで二頭横並びの彼らに引かれる馬車は、幌付き四輪のワゴンタイプだ。

 貴族が使うような豪奢な外観ではないが、長旅にも耐えうるしっかりした造りになっている。


 よくよく観察すると車軸周りは木製ではなく、馬車の下面、死角になっているところには螺旋状に巻かれた金属——圧縮コイルばね——と、それに通すように取り付けられた跳ね戻りを減衰させる筒——ダンパー——を見つけることができる。

 とはいっても、仮に目敏めざとくそれらの機構を見つけた者がいたとしても、それが何で、どんな役割を担っているのかなどすぐに理解はできないに違いないのだが。

 幌も、薄い見た目にも関わらず素材が幾層にも重ねられており、その耐火耐水性、遮音性、防刃性をも有する強靭度と耐久性能を知れば商人が糸目をつけず金を出すであろう代物だ。

 さらに、非常時には御者台の下に埋め込まれた魔石に合図の魔力を通すことで、馬も含めた馬車まるごとを包み守る結界が発動するなどといったい誰が思いつこうか。


 そんな、外観からは想像もつかないオーバーテクノロジーが詰め込まれた馬車の御者台に、1組の男女が座っている。


 男の名をリュウ、女の名をアヤ、という。



 ————。

 ギルドで依頼を受けた私とアヤは、その日は王都で食材を買い込んだりとエヴォリュース国のサイス市へ向かう準備を整えた。

 そして翌日。

 馬を二頭購入し王都を出発、しばらくしたところで私がこの馬車を収納空間から取り出し、馬上の人から馬車上の人へと相成った訳である。

 ちなみに御者台、ふたりの尻の下も背もたれも、ソファ——とまではいかないがクッション性に優れた椅子並みの座り心地なのはいうまでもない。

 アヤは、以前に乗った王家の馬車でさえ比較にならないほど凝らされた機構と乗り心地にとても驚いていた。

 しかし私にしてみれば、「暇つぶしに作ってみたものをとっておいた」に過ぎない。なので素直にそう答えたのだが、アヤ曰く「力が抜けてしまう」私の返答はどうも彼女を嘆息させてしまったようである。

 というのが先ほどまでのことだ。


 しかし、さて。

 私にしてみれば、実のところサイスへは転移も可能ではあるのだ。

 それをなぜわざわざ手間も時間もかかる馬車での移動にしたのか。

 荷物にしても、収納空間を使えば全く手間もかからないに関わらずだ。


 その理由は単純にして明快、アヤに旅に慣れてもらう、ひいてはこの世界に慣れてもらうためである。

 いつまでアヤと行動を共にするかは不明だが、いずれにしろアヤにもこの世界で自立して生きていけるようになってもらわなければならない。


 そのためには転移で移動してしまっては意味がない。

 またじつのところ……私自身も久しぶりの同伴者ができたことで、しばらくの間はこの世界で「人間の冒険」を楽しみたいと欲が出てしまったというのも否めなかったりするのだが。


 そんなこんなで馬車に揺られること、しばらく。

 すでに王都も遠ざかりつつあり、長閑のどかな草原がふたりの視界の大部分を占めている。


 ちょうどそんなおり、ふぅ——とふたりの息が重なったところで私は話を切り出した。


 せっかくの牧歌的な風景のなか少々無粋な話題ではあるのだが、これからの旅路で「コト」が起こってしまう前に話しておくべき内容であり仕方なし、と踏ん切りをつけたのだ。


「アヤ」

「はい、なんですか? リュウさん」


「アヤには前に『覚悟を決めろ』といったことがあるが……殺さない覚悟、というのもありかもしれん」


 私にとっては頭の中で組み立てがあっての話なのだが、アヤにとってはいきなりである。

 戸惑いつつも、しかしそれでもさとい彼女はとっさに考えを巡らせ言葉を返す。


「えっと、殺す覚悟、殺される覚悟——というお話でしたよね」

「そうだ」

「それで、殺さない覚悟、というのは?」

「そうだな。アヤはこの世界で、冒険者として生きる覚悟をした訳だろう?」

「はい」


「そもそも、冒険者というのは『冒険』をする、未知を既知に変えるのが本来の役割であり、醍醐味でもある。……まぁ、依頼があり、その依頼の達成が要求される以上一概には言えないが、魔物——あるいは人——を殺すのは、冒険者の仕事としては二次的な結果に過ぎない」


「冒険者として、殺し、殺される覚悟は確かに必要だ」

「しかし、少なくとも『人』については、殺さずに済む状況を作ることができるのなら、『殺さない』を選ぶこともありではないか、と思ってな」

「…………」

「例えば今、私たちは町と町の間を移動している。賊にとっては、私たちはそれなりにいいカモに見えるだろう」

「っ!」

「ああ、いや、すまない。例えの話だ。今は周辺に危険な気配もないし、そんなに緊張する必要はない。まだ王都からそんなに離れていないしな」

 私の言葉に瞬時に緊張をみなぎらせたアヤにフォローを入れつつ、私は話を続ける。


「さて、その賊についてなんだが……賊にもいろいろある」

「とりあえず今は賊に身を落とす理由や経緯は考えず、賊は悪。そして我々にとってどんな存在か。それだけを前提で話す」

「はい。お願いします」


「まず、食い詰めた平民の賊。これは魔力を持たない。そういう輩が賊になったところで脅威度は低い。それこそ、冒険者登録している者が護衛についていれば、ほぼ脅威にならない。それにこういった者は、平民しかいない村落で争って略奪することがほとんどで、移動中の馬車を襲うようなことはまずない。冒険者の護衛に返り討ちにあうのが分かってるからな。だから、我々が遭遇する可能性は低い」


「次に、微量な魔力を持った者や、低ランクの冒険者が『冒険者』であることを諦めた者が賊になった場合。これは村落からの略奪に加え、馬車を襲うこともある。が、脅威度はやはり低い。一人前と言われるDランクのパーティーを護衛に雇っていれば余裕をもって対処可能だ。たとえ護衛のパーティーがEランク程度でも、同人数以上で連携すればなんとかなるレベルだ。馬車に手を出してくる賊はこの手合いがいちばん多い」


「そして、数は多くないものの厄介なのが、冒険者でいえばDランク、あるいはそれ以上のランクに匹敵する者や冒険者が賊になった場合だ。これは魔力もそれなりに持っていて、Dランクの護衛パーティーにとっても強敵となる。それに、このクラスになると、護衛対象自体が魔力を持ち戦える貴族の馬車でも襲うことがある」

「貴族の馬車を襲うなど本来は馬鹿げた所業だ。護衛の質も良く返り討ちの危険が高いし、高ランクの討伐隊が差し向けられ復讐にあう可能性もあるからな。——だが、その分得られるものも多い。ハイリスクハイリターン、という訳だ」


「——さて、アヤ」

「はい」


「アヤが自身の魔力の扱いに慣れ存分に使いこなすことだできるようになれば、相手がたとえAランクの冒険者であろうと苦戦することなどほぼないだろう。身体強化、魔術、あるいは両方でも、アヤ以上の才を持つ者はまずいないからだ」


「だから賊など言わずもがなで、殺さず無力化することも十分に可能になる。つまり、人間を殺さない、という選択が可能になる。もちろん人が相手となるのが賊だけとは言わないが、『そういう依頼』を受けない限り、機会としてはいちばん多いだろう」


 アヤは私の言葉を真剣に聞いている。

 この話を聞いて、どの道を選ぶのか、選んだ道をただの可能性の話ではなく、現実にできるかどうかはアヤ次第だ。


「しかし、そこを目指すなら、アヤはこの世界を学び、今よりももっともっと力をつけないといけない。それこそ、圧倒的、という程に」


「現時点でも、一対一という条件ならアヤはBランク以上の冒険者とも戦える力がある。経験不足という不利を差し置いてもだ。しかし、パーティー戦、あるいは『手段を選ばない相手』が敵となった場合はまったく話が違ってくる」


「例えばだ。アヤが護衛依頼を受けたとしよう。その護衛対象の中に賊の内通者がいて、不意をうたれ人質を取られた。アヤはどうする?」

「…………」

 当然、アヤは答えられない。

 言葉を返そうにも返す答えが浮かばないからだ。


「まぁ、そういうことだ。今のままでは不殺を押し通すにも、自分を、あるいは誰かを守るにも、経験と力が足りない」

「はい……」

 アヤは、しゅん——と肩を落とす。

「落ち込む必要はない、アヤ。今はそれが当然なんだ。むしろ人質など見捨てると即答なんてされたら、私自身の見る目のなさに自信を失くしてしまうところだ」


「アヤは、これから、経験し、学び、危機をはね返すことのできる思考と力を身につけるんだ」


「アヤがいた世界でのテロ対策と同じだよ。テロに屈し要求をのむのは最低の下策というのは誰もが知る常識だっただろう? しかしだからといって、その状況でいきなり自分に決断を強いられても、即断するなど到底無理だ。そうするための経験、覚悟、責任、どれもが足りないんだから」


「はい……そう、ですね」

 力なく頷くアヤに私も頷いて応える。

「続けるぞ。いま例えた状況だと、まず、人質を盾にされたからといって無抵抗、相手のいいなりになるのは悪手でしかない。人質も、そしてそれを守ろうとする者も、最悪の結末を迎えることになるのは明らかだ」


「まずは、その『最悪』を想像できなければ、依頼失敗どころか、自分も含め尊厳を踏みにじられた末に無残な死が待つだけだ」


「自分が『そうなる』ことを想像出来ない人間は、現実に『そうなる』。前に言ったのはこういうことだ」


「そして、何が何でもその最悪を回避する方法を探す。その方法が見つけ、決断しなければならない」

「どうする? 駆け引き? 人質の命を賭けた博打? それもありだ。というよりも、基本的にはそれしかない。テロに対するベストなタイミングでの強行突入と同じだな」


「だが、アヤ」

 言葉を一度切り、アヤの名を呼ぶ。

 アヤが頭を上げ、私とアヤの視線が交わる。


「それは魔術のない世界での話だ。アヤなら、そんな博打を打つ必要などない。すぐに、もっと上手く解決できるようになる」

「例えば、【痲痺パラライズ】の魔術を無詠唱で使うことができれば、相手の動きを封じ安全に事態を打開できる」

「無詠唱自体この世界の魔術使いで使える者はほぼ居ないし、アヤの魔力に【抵抗レジスト】できるような者もまず居ない」

「アヤなら、それができるようになる。アヤにはまだ『魔術はこうるべきもの』という思い込みがほとんどないからな」


「そうやっていろんな時や場所、場面に応じて出せる手札を増やし、いかなる事態にも対応できるすべを学ぶんだ。そうすれば、必ずアヤだからこそできる生き方、戦い方、守り方を見出せる」


「アヤなら、きっと『殺さない覚悟』をし、それを押し通すことができる力を得られる」

 私の言葉を聞き、アヤの目に強い光が灯る。

「……ただ、これも覚えておいてほしい。『殺さない覚悟』をすることは、『殺す覚悟』をするよりもずっと難しいことだと」

「——はいっ」

 あえて付け足した脅しともいえる言葉にも怯む様子は微塵もなく、応える声には強い決意がこもっている。


 ——甘いのかもしれない。

 自身の欲のためならば、他人の命など歯牙にもかけない人間が多くいるのはあの王族を見れば明らかだ。

 賊など、その最たるものだろう。

 遠くない未来、厳しい現実にぶつかるかもしれない。


 だが、理想を思い描くことは誰にだって許されるはずだ。

 アヤはまだ若く、歩を前に進めるための力を持っているのだから。

 そもそも、全てを救う必要など、ない。できない。

 アヤは「勇者」などという利用されるための存在ではないのだ。

 目の前の、自分が救いたいと感じる者を救うことができれば十分だ。

 ならば、だから。

 私は——


「頑張れ、アヤ。——とは言っても、くれぐれも頑張り過ぎないようにだぞ? 焦らずに、だ。私がサポートする」


「はい! よろしくお願いします、リュウさん」


「任せろ」





 ————。

 馬車を進めていると、小川が流れているのを見つけた。

 馬への水やり、また昼食にもちょうどいい時間だということで馬車を停めてからしばらく。


「そういえばリュウさんって、話すときに『魔法』と『魔術』を使い分けてますよね?」


 サンドイッチに果実水という簡単な食事が終わり、ひと休みしてからさあ出発しようかというところでアヤがそう訊ねてきた。


「ん? ああ、そうだな。よく気づいたな」

「ええと、はい。といっても、こっちの人たちってほとんど『魔法』としか言いませんから、最初にあれ? と思って聞いてたらそうみたいだなぁって」

「なるほど。ふむ。では、また少々講釈を垂れる時間となるがいいか?」

「はい。ぜひお願いします」

「はは、うけたまわった。では、馬車を進めながら話そうか」


「——では、まず」

 こほん、と前置きし、私は話し始める。

 馬車は先と同じく、のんびりと歩みを進めている。


「今この世界に生きる者たちが『魔法』と呼んでいるもののほとんどは、実は『魔術』だ。『魔法』とは本来魔術よりも高次のものであり、魔術は魔法から一部の効果のみを引き出しているに過ぎない」


「アヤが教わった魔術はなんだ?」

「はい。火、水、土、風の魔法——魔術です」

「四属性を満遍なくだと驚かれたんじゃないか?」

「——ええ、まあ」

 アヤにしては曖昧な返答だ。

「ああ、もしかして、『さすがは勇者様』とでも言われたか」

「ぁ…………はい」

 アヤは小さな声で答える。

「すまない、アヤ。つまらないことを思い出させてしまった」

「いえ……」

「いいか、アヤ。勇者なんてものは、勝手に召喚した者を都合よくだまし祭り上げるためのただの言葉だ」

「はい……」

「アヤの力も勇者だから与えられたものなんかじゃないということは前に話しただろう?そんなものは無い、と」

「そうですね…………ふふ……女神様? なにそれおいしいの? でしたよね」

「はは、そう、それだ」

「アヤの力は、間違いなくアヤ自身のものだ」

「はい」

「アヤはアヤだ。自信を持っていい」

「はいっ」


 ——やはり、強いだ。

 声に力強さが戻るのを聞き、思う。内心ではそう簡単に切り替えることなど出来てはいないだろう。それでも、自身で前に向いて歩こうと切り替えられる心の強さは本当に素晴らしい。

「ありがとうございます、リュウさん」

 そう言ってにこりと笑うアヤ。

 思わず私までつられて笑顔になる。

「どういたしまして。——と、話が逸れてしまったな。さて——」


「その『魔術』だが、基本的に世界のことわりに沿った現象だ。火の魔術なら炎を、地の魔法なら土の壁を、といったふうに。あくまでこの世界に存在する現象や物質の延長で、世界の理の内に収まる」

「確かにそうですね」


「対して『魔法』は、世界の理を越える。……そうだな、アヤも知っているものなら、召喚魔法がそうだ。この世界を脱して別の世界に至る。あるいは戻ってくる。完全に世界の理を逸脱しているだろう?」


 アヤは真剣に話を聞きつつ考えており、私は補足するように話を付け足していく。


「この世界内で収まるものでも、例えば【転移】は魔法になる。——日本にいるとき、やったことないか? 紙にaという点とbという点を打ち、この2点の最短距離は? てやつを」


 私の問いに、アヤは「あぁ」といった表情を浮かべる。

「そう。紙という平面の上で最短を考えれば『直線で結ぶ』が正しいんだが、答えは?」

 と訊ねてみると、アヤはすぐに答えてくれた。


「『紙を折り曲げてaとbをくっつける』ですよね」


「ご名答」

「ずるいですよね」

 アヤのストレートな物言いに、私は思わず苦笑する。


「ああ、ずるい。しかし、そのふたつの地点間の移動をあくまで直線で、できる限り速く移動しようとするのが『魔術』、『ずる』をやってしまうのが『魔法』と考えればなんとなく理解できないか?」


「なんとなくは……けど、そんなので良いんですか?」

「ま、実際にはそんなに単純じゃないが、おおよそそんなものだと思えば良い。……ふむ。じゃあもうひとつ。これなんかどうだ?」

 そういって、私は1枚のカードを取り出しアヤに見せる。

「ギルドカード、ですか?」

「そうだ。カードの登録自体は魔術具で行う。魔力と血液を登録して非常に高度なセキュリティを確保しているから、カード自体も一種の魔術具といっていい。ただこれはカードに情報を付与、定着させる程度の、あくまで『魔術』だ」


「対して、このカードに登録された情報を統合し一括管理しているギルドのシステムは、魔法具と呼べるものだ。無形のものとはいえ、情報を瞬時にこの世界に存在する各ギルドへ転送し共有する。これは明らかに魔術の範囲を超えている『ずる』だろう?」

「確かに」

 頷くアヤ。


「ま、とりあえずはこのくらい把握していれば十分だ。そもそも、『魔法』と『魔術』の違い——この考え方自体、この世界では意識さえされていないし、今話した意味での『魔法』を使える者はほとんどいないからな」

「……」


 アヤは何かを言いたそうにしているが、口に出すのを迷っているようだ。

 おそらくは、——その「魔法」を軽々と使う私は何者なのだ——と訊ねたいに違いない。


 ……無理に隠したいものでもないのだが、知ればアヤは私を恐れるだろう。

 せめてアヤが独り立ちできる力をつけるまでは——と、私は気づかないふりをして話を進める。

 

「では次に、魔術の話だ」

「まず、地水火風の魔術に分けられているが、これは、世界の理を大まかに分けてこの四属性に分類した方が分かりやすいから——と便宜的にそうなっただけだ」


 私の言葉にアヤは驚く。

「え? 属性って後付けなんですか? じゃあ、属性によって使える人と使えない人がいるのって不自然じゃ無いですか?」

「ふむ。得手不得手というか、相性はあるんだ。自分にとって『使いやすい魔術』というのは確かにある」


「そして、それが今の魔術の『常識』を作ってしまった」


 アヤの頭上に「?」が浮かんでいるようだ。

 その疑問を解決するために、私は説明を続ける。

 

「——この世界は、魔素を魔力として使うことの出来る者、魔力を魔術という現象として行使出来る者が大昔から存在していた。彼ら、彼女らは、それを分かりやすい地水火風の4つに当てはめた」


「なぜか。それは、この世界の者個々は、扱える魔力量が少ないからだ。魔力量に長けているエルフ族でもアヤには及ばない。だから、分かりやすい『概念』にしてしまうことで、自分に相性のいい、使いやすい『魔術』に集中し、それぞれが属性の研究を進め効率や威力を上げてきた」


「少ない魔力でより効率と威力を上げるために、分かりやすく4つの属性の魔術として概念化し、それぞれがどんどん専門化していった。ある属性の魔術を研究する者は、その属性の魔術だけが得意になっていった」


「結果、概念が固定観念化してしまった。つまり——『魔術とはこうでなければならない』と」


「本来は相性、得手不得手程度だったものが、少ない魔力を効率よく使うために『適性』にすげ替えられてしまったんだ。そしていつの間にか、適性がない魔術を使うのは無意味だ、と切り捨てるのが当たり前になった」


「極端にいってしまえば、私はこの魔術が得意だから、他の魔術は出来ないに違いない、と思い込むようになってしまった訳だ。実際、得意な魔術を使う方が魔力消費も抑えられ効果も高い。だから、魔力量が少ない者にとってはある意味、魔術を上手く使うための正解、正攻法だとも言える」


 アヤは、なるほど、と感心するように話に聞き入っている。


「だが、アヤの場合は魔力量が多い。多少なりの相性は確かにあるが、それを押し通してどの属性の魔術もかなりのレベルで使いこなすことができる」


「そして……実はこちらの方が重要なんだが、アヤにはまだ『魔術とはこういうもの』という固定観念が形成されていない」


「え〜、と?」

 首を傾げるアヤに言葉を付け足す。

「今の私の話を聞いていても『へぇ〜〜』と思うくらいだったろう?」

「? ——はい」

「そういうことだ」

「?」

 またもや首を傾げるアヤ。

 確かにこれだけでは分からないだろうと私は言葉を繋いでいく。


「この世界で魔術に精通した者ほど、今の私の話を聞けば憤慨するだろうな。何を馬鹿なことを! と」

「思い込みというのは怖いものだ。結果として、それが『常識』になってしまっているんだから」


 なんとなく、だが分かってもらえただろうか。

 アヤは「ふむん?」と微妙な表情で頷いきながらも考え込んでいる。


 ——案ずるより産むが易し、か。


「そうだな。頭を切り替えよう」

さいわい、アヤには、その固定観念——この世界の『魔術の常識』がなく、加えて十分な魔力がある」


「アヤ。試しに、炎の魔術を撃ってくれ。魔力はさほど込めずに簡単なやつでいい。発動すれば十分だ」

「? はい。……【炎よ、我の求めに従い敵を蹂躙し焼き尽くせ。火球ファイアボール】」


 アヤが発動した魔術により、火球が水平に飛んでいく。

 数十メートルほど進んだところで、火球はふっと力を失ったかのように消え失せる。

 意識せずにこれだけの射程と魔力密度、並みの魔術使いならどれだけの精神集中を必要とすることか——。

 ともあれ、話を進めよう。


「ありがとう、アヤ。では、尋ねよう」

「——なんですか?」


「呪文って恥ずかしくないですか? アヤさん」


 瞬間、アヤの顔が真っ赤に染まる。

「んなっ! そ、そんなこと聞かないでくださいよ! 恥ずかしいに決まってるじゃないですかぁ! ていうかなんで敬語!? 絶対わかってて聞いたよね!?」


 予想以上の反応ごちそうさま、もとい、ごめんなさい。

 ……やはりそうか。いや、うん。そりゃそうだ。

 日本ならば、まるっきり中二病の台詞そのものなんだから。

 赤い顔のままこちらを睨むアヤが可愛らしいが、いじめるのもほどほどにしよう——明日から。多分。


「はは、すまん。じゃあ次だ。今撃った魔術の姿を頭の中で思い出しつつ、最後の一節、魔術名だけを口に出して唱えてくれ。もちろん、『魔術を発動するつもりで』だ」


 ぶつぶつと何やらつぶやいていたアヤだったが、私の言葉に気を取り直す。


「はい。では、行きます。っと…………【火球ファイアボール】——!!」


 結果は、先ほどと同じ。

 魔術が完全に発動した。


 ある意味、今のやりとりで考える暇がなかったことも幸いしたのだろう。

 疑いなく、素直に私の言葉を実行に移したことで一発クリア、である。

 アヤ本人も「え?」という表情だ。

 これは、混乱のうちに押し切ってしまうのが得策だ。


「よくできました。では、次は一切詠唱なしだ。『出来るから』やってみなさい」


「あ、はい。…………っ!」


 三度みたびの火球が飛ぶ。

「出た……」

 アヤも呆然と呟いている。

 アヤには意地悪をしたが、怪我の功名とでもいうべきか。


 いちばんの難関であろうと考えていた初めての無詠唱魔術の発動が、こうも簡単に行くとは。

 それが「当たり前に出来ること」なんだと、そう考えられるようになるのが最も難しいのだ。

 いや、難しいはず、だったのだ。

 これさえ身につけば、あとはもう乾いた大地が水が吸収するが如くだろう。


「すごいな、アヤ。ここまで、一発でうまく行くとは、正直私も考えていなかった」

「私もなにがなにやらです。でも、『そう』なんですね。うまく言えませんけど……」


 言いながら目が合うと、ふたり揃って苦笑してしまった。


「正直、呪文なんてものがなぜ発生したのか私にも分からん。もしかすると、『その方がカッコいいし威力も上がる』なんて研究者がいたのかもしれないな。後の者にとってはいい迷惑だが」

「……本当に」

 疲れた顔でアヤが同意する。


「ただ、魔術名を口に出すのはそれなりに有効だ。確実に魔術を発動させる『引き金トリガー』になるからな。それに、パーティーを組んで仲間がいれば合図にもなる」


「あ、確かにそれはそうかも」

 これにもアヤは同意する。

 今の魔術でも三発目より二発目の方がやりやすかったのかもしれない。


「——結局、魔力を魔術として発動させるのは想像力なんだ。どれだけ明確に『想像』できるか。十分な魔力量があり、固定観念に縛られていないアヤだから、今のようなやり方ができた」


「なんだか、こんなに簡単にいっちゃっていいんでしょうか」

「ふふ。本来はそれほど簡単じゃないんだが……まぁ、思い込みっていうのは良くも悪くも偉大だってことだ」


「アヤ」

 私はアヤの名を呼び、真摯に彼女の瞳を見つめる。

「はい」

 アヤが応え、正面から私の視線を受け止める。


「自分が『そうなれる』と信じれば、実際に『そうなれる』。すごい世界だと思わないか?」


「そう、ですね——はい。本当に……私もそう思います!」


 ——今度は、ふたり揃って素直な気持ちで笑うことができたのだった。





 ————。

 かっぽかっぽ。

 呑気なBGMである。


 覚悟について、魔術と魔法について。

 立て続けに難しい話ばかり、疲れたので今日はもう面倒な話は無し! とふたり揃ってのんびりと馬車の旅を楽しんでいる。


 沈黙の時間も苦にはならないのだが、会話しているときに少し気になっていたことを、この機会に「お願い」することにした。


「アヤ」

「はい。何ですか?」

「私のことは、リュウと呼び捨てにしてくれないか?」

「え」

 アヤが固まってしまった。

 む。緩んだ空気の中で唐突すぎたか。

「いや、そんなに大したことじゃないんだが」

「…………」

 そういえばさっきもこうだったな……私ももう少し前フリというのを学んだ方がいいのかもしれない——と反省しつつ事情を説明する。


「これから、ふたりで戦う場面も出てくる。そんな時には、素早い意思疎通が必要だ。敬称や敬語はどうしても言葉数が多くなる」

「……なる、ほど?」

「だから、名前を呼ぶときはリュウで構わないし、敬語を使う必要もない」

「ええと……」


「まぁすぐにはピンとこないだろうし、切り替えるのが難しいのもわかる。気をつけて、気を遣わないようにしてくれ」


 我ながら妙な物言いだなとは思うが、まぁ、よしとしよう。

 そう考えアヤを見る。

 アヤは俯きながらしばらく考え——


「わかり——わかった……ふふ、それにしても変な言い方——だね。リュウ……」


 辿々しくも、はにかんだような笑顔を浮かべつつ、そう言ってくれたのだった。

 私も思わず頬が緩むのを感じる。


「そういえば——」

「なんですか? リュウさ……リュウ」


「アヤ、アヤの名はどう書くんだ?」


 ——————。

 ————。

 ——。

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