第13話 これから -1-
――あたたかい。
お布団の暖かさって、どうしてこんなに心地いいんだろう。
あともうちょっとだけ……まどろみから抜け出るのが惜しくて、身体を丸めるようにお布団に潜り込む。
両の手でぎゅっと握った枕に頭を乗せなおし……ん? と、そこで、その「枕」の感触の違和感に気付く。
それは、あたたかいけれどふかふかじゃなくて。
しがみつくように握った私の手を、優しく握り返してくれてて。
――だんだんと、昨夜のことが頭の中に思い浮かんでくる。
確か、リュウさんと話し合いしてて、そしたら今までのことを思い出して悲しくなって、やつ当たりみたいに一方的にリュウさんに喋りまくって、それで――。
そこから……どうしたっけ?
ぎゅって抱きしめられて、我慢できなくて、子供みたいに泣きじゃくって――。
覚えてるのはそこまでだった。
……あ~、やっちゃったなぁ。
恥ずかしい。
けどでも、やっちゃったことは仕方ない、うん。リュウさんには迷惑かけちゃったけど、ちゃんと謝って許してもらおう。
そ れ よ り も。
逃げちゃだめだ。
問題は、今、私が「つかまえている」腕が誰のか――ていうか、そんなの分かり切ってるんだけど。だけど!
おそるおそる、潜り込んでいた布団からぎりぎり周りが見えるくらいに顔を出す。
そこには……
ベッドの横で、椅子に腰掛けたリュウさんが、いた。
いや、そりゃそうなんだけど。
まるまる一晩、こんな無理な体勢させておいてわがままな考えだとは思いつつ、眠ってくれてたならまだなんとか……なんて勝手に考えていたんだけど。
視線に気づき、私とばっちり目が合ったリュウさんは、その顔に笑みを浮かべながらこう言ったのだった。
「おはよう、アヤ」
あ、あぁあぁぁ!
顔に身体中の血液が集まってくるのが分かる。
どどどどうしよう?
何も考えられず、逃げるように布団に潜り込む。
「お、お、おは、おはようございます……」
かろうじて絞り出した挨拶。
少しの静寂。
「アヤ」
「…………はい」
「目が覚めたのなら、顔を洗って、食事にしよう」
「……はい」
「…………アヤ」
「……はい?」
「その、だな。私もいちど部屋から出た方がいいと思うのだが――」
「……はい…………?」
「あ~、悪いが、そのためにも……」
「…………?」
「手を、放してくれないか?」
「――っ! ご、ごめんなさい!」
…………私が布団から出られたのは、リュウさんが部屋から出てたっぷり10分は恥ずかしさに転げまわってからだった。
――でも、そういえば。
こんなにぐっすり眠ったの、こっちにきてから初めてかも。
――――――。
「その、先ほどは、大変失礼しました……」
顔を真っ赤にしながら、妙にかしこまった言葉遣いでアヤが謝る。
「気にしなくていい。とりあえず、朝食を済ませてしまおうか」
私は苦笑し、部屋に運び込んだ食事に手を付ける。
アヤも、この微妙な空気をひきずるよりも気分の切り替えを選んでくれたらしい。すぅ~~、はぁ~~~~、とひとつ大きく深呼吸し、
「いただきます」
と手を合わせパンに手を伸ばすのだった。
――と、こんな感じで無難に? スタートした今日ではあったが、話し合うべきことはまだまだ残っているのが現実だ。
食器類を宿の女将さんに礼を述べつつ返却した後、昨日と同じようにアヤと向かい合って座る。
「さて。昨日の続きになる」
私の言葉に、アヤの顔にも真剣さが戻る。
昨日の今日でこんなことを聞くのは気が引けるが、私は訊ねる。
「アヤは……復讐したいか?」
いきなりの重い話に、アヤの肩がピクリと震える。
「日本で生きていたアヤは、あの者らに殺されたも同然だ。いや、それよりも非道いことをされたと言っても決して言い過ぎではない。もしもアヤが望むならば――アヤはどうしたい?」
彼女の目を見つめながら訊ねた私に、アヤはほんの少しだけ目を伏せ、少しの間考える。
――しかし、再び顔を上げ視線を私に合わせたアヤは、しっかりとした声で答えた。
「確かに、あんな人たち、とは思います。けれど……復讐したいかって言われると、正直、よく分かりません。もっとも、会って目の前にしたら思いっきりビンタくらいはしてやりたいですけど」
第一声こそこのように冗談めかすように薄く笑顔を浮かべながらそう言ったアヤだったが、す――と表情を引き締める。
「でも……もうリュウさんがあの人たちを懲らしめてくれましたから、自分から会って何かしたいとは思いませんし、わざわざ自分から会いに行こうとも思いません」
その目から、口調から、アヤの気持ちが伝わってくる。
恨み、復讐に逃げず、「これから」に真剣に取り組もうとする彼女の強さと真剣さが。
「そうか。……では、こちらの世界で生きていくという選択を後悔はしないか?」
「それも――正直、分かりません。でも、どちらにしろゼロからのスタートになるなら、この世界の方が面倒ごとが少ないのかなって」
「確かに戸籍制度などないから、日本みたいに手続きごとに困るなんてことはない。日本はいろんな時に住民票やら学歴やらが必要になるからな。そういった面では、確かに楽だ」
「反面、日本では権利としてうたわれてる基本的人権とか福祉なんてものもほぼ存在しない。国や貴族がやるのは領土の維持とある程度の治安維持がせいぜいで、ひとりひとりの権利や生活を守るなんてレベルには到底達していない。――それでも、領地を争って戦争しているよりはるかにましだが」
「治安維持に関しては、罪に対する罰を苛烈にして抑止しようとはしている。捕まえた罪人に対しては犯した罪以上といってもいい重い罰を与えるから、ハムラビ法典よりも厳しいな」
「だから、王都やある程度人が集まって生活してる町は治安も比較的ましになる。が、いかんせん手が足りない。貧富の差も大きい上に、いざとなれば町の外に逃げるという手もある。だから、結局治安の向上と悪化はいたちごっこだ」
「当然、町の外や誰の目も届かない場所では自分たちでなんとかしろ、自分の身は自分で守れ――となる。そして、えてして生まれた場所に留まる者が多くなる。『冒険』しなければ、現状得ている安全からは逸脱しないからな」
「だからこそ、外に出て富を掴もうとする者、より力を得ようとする者――自分から『冒険』する者にはチャンスが多い。力さえあれば、その力を示し金と名声、そして地位を手に入れることも決して夢ではない。文字通り命がけの危険と引き換えに、ではあるが」
「――力ある者にとって生きやすい世界、というのがより正確だな」
私の言葉を、アヤは真剣に聞いている。
自身にとって有利になること、不利になること。
それをしっかりと判断できるよう、ともすれば冗長に感じるかもしれない説明を一言も聞き漏らすものかと耳を傾けている。
「で、だ。アヤはどうする?冒険したいか?それとも、街中で暮らしたいか?」
「う~ん。どうでしょう。でも、今の私には、人の伝手がまったくないんですよね。お金もそんなに持ってる訳じゃないし。なので、しばらくは冒険者としてお金を稼いで、それからしっかり考えるのもいいかな、て。……だめでしょうか?」
――それは、とても好ましい返答だった。
このような状況で自暴自棄にならず、短慮にもならず、判断のための情報をより多く得ようとするのは本人の持って生まれた素質だろうか。
「もちろんそれで構わない。アヤが自由に選べばいい。では、それで行く――として、アヤ。もうひとつ訊ねる」
「はい」
「この国、あるいはこの王都に居たいか?」
「それは――できれば居たくない、かな……。町にいて会うってことはないと思いますけど、お城が見えるとあの人たちのこと思い出してしまって……」
「だろうな。では、とりあえず、離れた町へ行くか、いっそのこと国を移動するとしよう。そこで腰を落ち着けるか、何をして暮らしていくのか、それはその時考えるってことでいいんじゃないか? いずれにしろ、冒険者として資金を稼ぐなら、少し辺境に外れた方が実入りもいい」
「はい……って、リュウさん」
「なんだ?」
「一緒に来てくれるんですか?」
アヤの問いに、むしろ私が驚かされる。
確かに、自身の力が常人と比べると現時点でも相当に秀でているのは自覚しているだろう。
しかし、この状況で、私に頼ろうとしないその心根の強さと清廉さは大したものだ。尊敬に値する。
これならアヤが自分の力でこの世界での立ち位置を確立するのは早いだろう。
まただからこそ、力になってやりたい――と思う。
「――それはそうだろう。出来るかぎりフォローするといっただろう? 勝手に連れ出しておいてじゃあさよなら、なんて無責任な真似はしたくないからな。それとも、アヤは迷惑か?」
「そんなこと無いです! ここからいきなりひとりじゃ、その『とりあえず』もどうすればいいか分かんないですし……一緒に来て下さると、その、助かります」
「それは良かった。では――」
「よろしく、アヤ」
「よろしくお願いします、リュウさん」
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