第4話「真実」

 それからゼジルと王女の関係は少しずつ変わっていった。


「ああああ!!」

「オイ王女!ダメだ早く降りろ!!」


 飛び跳ねる馬の背中にしがみつくサラ。その後ろを別の馬に乗って追いかけるゼジル。


「助けて!」

「だから!あれほど馬には勝手に乗るなと言ったのに!!」

「だって早く乗りたかったの!それより、助けて落ちちゃう!!」

「くそったれ!」


 馬から飛び降り、その背に飛びかかったゼジルは暫し暴れ馬と格闘し、最後には彼女ごと振り落とされた。ゼジルは頭から砂漠に突っ込んだ。


「べ!!べっ!」


 鼻やら耳やらに入り込んだ砂を頭を振って払いながら身体を起こしたゼジルは、遠くでうずくまる王女の姿を目に映して青ざめた。


「サラ!!」


 どこか、頭でも打ったかと必死の形相で駆け寄った先で、サラは腹を抱えて笑っていた。


「お、お前.....」

「あははっあは!.....あ、あなた!砂漠にささってたわ!!」

「笑い事じゃねェよ!」


 砂嵐に追いかけられたこともあった。


「こんな岩場であれがしのげるの...?」

「あの程度なら大丈夫だ。岩に体を寄せて、ターバンで顔を覆って、そうだ」

「私が飛んでったらちゃんと追いかけてね」

「冗談言ってる余裕があるなら大丈夫だ。さあ.....来るぞ!」



 凍える夜に、焚き火の傍で身を寄せあって眠った。旅の最後の夜。


 空にはエメラルドとオパールのカーテンが遠い宇宙を透かして揺らめいていた。


「王女.....寒くないですか」

「こごえそうよ...」

「.....あー。もしあなたが、少しでも俺に触られることを許してくれるなら」


 ゼジルが言い終わる前に、サラは彼の外套がいとうにもぐった。ゼジルのあぐらの真ん中にちょこんと腰を据える。二人の瞳には同じ焚き火が揺れていた。



「ゼジル.....優しいあなたはなんというか」

「町外れのパントン?」


 ゼジルが冗談を言うとサラはくすくす笑った。

 サラは自分の耳元を掠めるゼジルの声に、以前のようにトゲトゲした岩山のようなイメージはもう抱かなかった。

かわりにこの外套と同じように自分を包み込む、低くて穏やかな砂漠の夜を連想した。


 ゼジルは頬に触れるサラの髪や、見下ろした先の白い頬につい唇を寄せそうになるのをぐっと堪えた。



「ゼジル」


 サラの問いかけに、ゼジルは沈黙で応じた。


「この旅で私は色んなことを知ったわ」


「砂漠がこんなに寒いことや、ラクダのコブがやわらかいこと、人がどんなふうに暮らして、生きていくのか......寄り添いあって眠る夜がどんなに幸福か」


 ゼジルは目を閉じた。


「あなたのことを知っているわ.....。伝説の盗賊ゼジル・ロゼウルフ・アリー。


 悪魔との取引で、

 心臓と引き替えにありとあらゆる盗む才能を手に入れた。


 かわりに、あなたは人を愛せない」



 ゼジルは冷たい砂の海にサラを押し倒した。

「教えてくれ」

 彼の声は、心は、震えていた。


「あんたを見ていると、あるはずもない心臓の音が聞こえる。激しく脈打って動いている気がする。出会った時から、ずっとそうだ」


 痛みに耐えるように顔を歪めるゼジルの唇を、サラはさっと奪った。春風のように優しく穏やかなキスだ。


 サラはゼジルの手を取って、大きな手のひらを自分の胸に押し当てた。


「教えるわ、ゼジル」


 サラは語った。

 自分の過去と、秘密を全て。






「――千年に一度。ポートファリア王国には魔女が生まれるの」


 その魔女は心臓のかわりに胸に宝石を宿している。


 宝石の心臓は魔女の身体から取り出されると、国に安寧と平和を与えると言われていた。

 恒久の平和と安寧を。


 ゼジルは眉をしかめた。

 少女の胸の下に、熱く鼓動するものを感じることができなかったためだ。

 サラの髪が彗星の色を帯びて煌めいた。



「.......私がそう。千年に一度の魔女なのよ」



 ゼジルは彼女の胸の奥で宝石の瞬く音を聞いた気がした。たった一瞬のことだ。同時に深く納得する。彼女がどうしてこんなに美しく見えるのか。



「ポートファリアには既にこの噂を聞きつけた者達が溢れ返っていた。

だから父は他の国に私を逃がしたの」

「.....どうして俺が選ばれた」


 サラは悲しげに目を伏せた。


「あなたは鼻が利くんでしょう。私の中にある宝石の香りを嗅ぎ取って必ず守りきるだろうって。無意識に、何も知らないまま最後まで」

「.....まんまと、してやられたわけか」

「恩賞はあるわ。隣国の王族は私の父の友人だから、私を逃がす手筈と一緒にそちらも整えてくれているはず」


 ゼジルはサラを抱き寄せた。


「.....こうして胸が騒ぐのは、俺がお前を愛しているからだと思いたかった」

「ありがとう、ゼジル」


 サラは瞳を持ち上げ、じっとゼジルを見つめた。


「私がこれからどうなるのか私にも分からないけれど、一つ決めたことがあるの」


 サラはこの旅の間中、ずっと探していた。


 誰のためにもならない、誰のためでもない

 サラが、サラのために残すもの。



「世界の記憶には残らない。私の魂が消えれば一緒に消えてしまうようなささやかなものだけど。.....旅がしたいの」


 これから先、たくさんの人の手を借りて生きていくことになるだろう。

 気に入った土地に長く住むこともできないはずだ。それに、いつ命を奪われるか分からない。


 それでもサラは旅をしたかった。


 自分の知らないものや

 見たこともない景色を見てみたい。


 ゼジルとそうしたように。



「俺が手を貸してやる」

 サラは微笑んで首を振った。


「あなたにはあなたの、私には私の生き方がある。

 でもゼジル.....もし私が死んだら、王族の宝はあなたにあげる」


「サラ」


「きっと私の亡骸と一緒にある。隠されるならそこしかないわ。

 必ずあなたが奪いに来て。

 あなたが奪って、絶対に見つからないところに隠してね」


 ゼジルは迷わず頷いた。

 頷いてから、サラが死んだ後の世界を想像して、噛み締めるように後悔した。

 サラはそんなゼジルの顔を見て笑う。


「ねえゼジル、あなたの顔、今、町外れのパントンみたいよ」




 夜は明け、二人の旅は幕を下ろした。

 隣国の王からの報酬を受け取り、元の日常に戻ったゼジルがサラの死を聞いたのは、それから十年も後のことだった。

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