第64話 攫われた花嫁

「その結婚、断固反対」


 厳かに執り行われていた麗奈と勉の結婚式を中断したのは、

 三十代とおぼしき黒いスーツを着たオールバックの男だった。

 誰もが見惚れるほどの中性的で美しい顔立ちに、その場にいた者全員が釘付けになった。

 男は麗奈が手にしていた少量の酒が入った器を見るなり、麗奈の目の前へ歩み寄り跪いた。

「こんなの、呑む必要ねえよ」

 男は麗奈の手にある器を奪い取り、放り投げた。

 畳に転げ落ちた器からは少量の酒が零れ、水たまりになっていた。

「何てことを…!」

 そう叫ぶ勉を無視し、男は麗奈に手を差し出した。

「迎えに来るって、言っただろ?」

 麗奈は黙って男を見上げた。

「こいつの花嫁になるか俺の花嫁になるかは、麗奈ちゃん次第だ」

 麗奈は周りの視線が気になるのか、俯いてしまった。

「俺の花嫁になるというのなら、俺の手を握れ」

 麗奈が顔を上げた。

「…どうする?麗奈ちゃん」

「僕の花嫁に何をする気ですか?勝手に近づかないでいただきたい。

 大体、あなたは誰なんです?」

 男を拒否するように、勉は麗奈の左手を握った。

「麗奈ちゃん」

 男は勉の言葉を無視して、麗奈を黙って見つめていた。

 麗奈の右手が手を伸ばしたのは、男の大きな手だった。

 麗奈の手が男の手を握った瞬間、男はぎゅっと麗奈の手を引っ張り立ち上がらせた。


 男は、勉を見下ろして不敵な笑みを浮かべた。


「私を…さらって」

 その言葉を聞いた男は、麗奈を抱き抱えた。いわゆる、お姫様抱っこだ。

「最初からそのつもり」

 男は静かに微笑むと、勉を見て言った。

「川橋さん、花嫁はもらっていきますよ。…もともとは俺の花嫁だけど。

 言っておきますが、返す気ないんで。じゃ」

 男は風のごとく走り出した。

 勉は男と麗奈を必死で追ったが、二人の姿は影も形もなかった。



 麗奈を抱き抱えた男は、黒塗りの車に飛び乗った。

「田木、飛ばせ」

「承知致しました、お坊ちゃま」

「お坊ちゃま?」

 麗奈は首を傾げて、隣に座る男を見た。

「田木、余計なことを言うな。職務を遂行しろ」

「かしこまりました」

 田木がそう言うと、車はどんどんスピードを上げていく。

「わわっ、速い…!」

「しっかりつかまってろ」

 麗奈は男のスーツの裾を掴んだ。

「ねえ、トモくん。お坊ちゃまってどういうこと?」

「その言葉は忘れろ」

 スーツの男はいつも麗奈を助けていた黒ずくめの青年、智和だった。

「智和お坊ちゃまはですね」

 田木がそう言うと智和はごほん、と咳払いをした。

「田木」

「申し訳ございません」

 田木はそう言って急ハンドルを切った。

 麗奈は思わず智和の腕にしがみついた。

「おい、そんなに急ハンドルを切るな」

「申し訳ございません。なにぶん、急いでおりますので」

「うう…」

 麗奈が呻き声を上げた。

「麗奈ちゃん…?どうした?」

 智和は麗奈の顔を覗き込んだ。

 青白い顔をした麗奈の背中を、智和は優しく擦った。

「酔っちゃった…」

「そうか、ごめんな…。田木、荒い運転は避けろ」

「総長。私もそうしたいのはやまやまなのですが、追っ手が迫っておりますので」

「追っ手?…ああ、あの車か」

 智和は、バックミラーを見た。

 かなりのスピードで追いかけてくる水色の車が、

 智和の乗る車の後ろにぴたりとついて離れない。

 その車は、間違いなく勉のものだった。

「随分と麗奈ちゃんに執心だな」

「ええ、かなりのくせ者ですね。恐らくあの方はストーカー予備軍かと」

「その可能性は高いな。それと、田木。

 予備軍じゃなくて、あいつはストーカーになりつつあるぞ」

「ええ、ストーカーになるのに時間はかからないでしょうね」

 麗奈は不安そうな顔をしながら、田木の言葉を聞いていた。

「束縛が酷いんです」

 麗奈がやっとのことで口を開いた。

「大丈夫か?無理して話さなくていい」

「でも…」

「今はゆっくり休め」

 麗奈は静かに頷き、目を閉じた。

 安心したかのように智和に腕を絡めて寄り添う麗奈を見て、

 田木は二人の姿を微笑ましく見ていた。

「良かったですね、お坊ちゃま。長年の想いが結ばれて」

「まあな。…つーか、長年とか大袈裟。そんなに長くねえよ」

「私は嬉しいです。お坊ちゃまは麗奈様とお会いにならなくなってからというもの、

 魂が抜けて…」

「抜けてはいねえよ」

 智和はすかさず突っ込んだ。

「失礼致しました。…仲の良いお二人を見ていると、私は心がほっこり致します」

「田木、その話はここまで。麗奈ちゃんが気分を悪くしないように、あいつを撒けるか?」

「お坊ちゃま、お任せ下さい。どんなにしつこい者であろうと、撒いてみせますよ。

 私めに、不可能などありませんから」

「ふっ…さすがは俺の運転担当だ」

 智和が目を細めると、智和の乗った車は更にスピードを上げて勉の車から遠ざかった。


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