第5章 愛の奪還作戦

第63話 大知の覚悟

 拓真は、店の前に停っている黒塗りの車を見て溜息をついた。

 見覚えのある車だった。

「どうしたんすか、若」

 健が拓真に言った。

「あの車」

「げっ、もしかしてあの車って…」

 健は拓真と顔を見合わせた。

「組長の車っすよ」

 健と拓真の背後にいた大知は、壁にもたれたまま言った。

「大知…お前最近、ここを抜け出してどこへ行ってるんだ?

 仕事の方が疎かになるのはいくらなんでも見過ごせない」

「若、そのことなんすけど…俺、今日限りでここを辞めさせていただきたいです」

「は?何を言ってんだよ。勝手なことは許さんぞ」

 壁にもたれかかる大知に、拓真は詰め寄った。

「若…辞めるのには理由があるんすよ。聞いてくれますか?」

「ああ、話せ」

 大知の真剣な顔を見るのは久しぶりだな、と拓真は思った。

 二人を見守る健の傍には、いつの間にか麗蘭が立っていた。

「俺、組に戻ります」

「は?何言ってんだよ、大知…。お前、足を洗ったんだよな?」

「洗いました、綺麗さっぱりと」

「じゃあ、何で」

「…若。好きな女のためなら、どんなことだってするでしょう?」

 大知は背の高い拓真を見上げて言った。

「大知、お前…」

「俺、やっぱ麗奈ちゃんを諦めきれねえ。

 だから、麗奈ちゃんをあいつから奪いに行く。…そういうことっす」

 麗蘭は大知に駆け寄ろうとしたが、健が麗蘭の腕をやんわりと掴んで阻止した。

「こら、そこ!健!麗蘭に勝手に触れんな!」

 拓真は健を指さした。

「うっわ、やっべえ。また若の嫉妬心に火がついちまった。

 ったく…このくらいで嫉妬とか、まじ勘弁」

「たーけーるー?5秒以内に麗蘭の腕を離せ。3…2…」

 健は慌てて麗蘭から手を離した。

「5秒とか言っといて3から数えるとか、反則っすよ若…」

 健の独り言は、見事に無視された。



「あの〜俺の話…」

 蚊帳の外の大知に気づき、拓真は悪い、と呟いた。

「麗奈ちゃんを取り返すんだな?なら、正々堂々としてればいい。

 なぜ組に戻る?足を洗ったお前が、なぜ…」

「麗奈ちゃんを取り返すには…時間がないんすよ、若」

「時間が無い…?どういうことだ?」

 大知は寂しそうに笑った。

 こんなに辛そうな大知を見るのは初めてだ、と拓真は思った。

「麗奈ちゃんは明日…人妻になる」

「はあ?人妻…!?」

 健が大声で叫んだ。

「ああ。麗奈ちゃんは婚約者と明日、式を挙げる」

「まじかよ…」

 健は拳を握りしめた。

 麗奈は婚約者である川橋勉と結婚するのだ。

 大知は、絶対に麗奈を渡したくないという思いが更に強くなっていた。

「だからそれなりの権力がないと…かっこつかないと思ったんすよ、若」

「権力なんていらない。僕がなんとかしてやる」

「若の手を煩わせるようなことは…」

「いいから。お前は俺の大切な部下であり、友人だ」

「若…」

 拓真は店を出て店の前に停る黒塗りの車へと近づき、窓をこんこんと叩いた。

 するとドアが開き、一人のスーツを着た目つきの鋭い男が、拓真に頭を下げた。

「拓真さん、ご無沙汰しております。大知兄さんを迎えに来ました」

「そのことだが、僕が親父に掛け合う。大知にはもう近づくなと伝えてくれ」

「若、もういいっすよ」

 拓真が振り返ると、大知が後ろに立っていた。

「若の気持ちは、涙が出るほど嬉しいっす。でも…これは決定事項なんすよ」

「大知…?決定事項とは何だ?」

「俺は…若の代わりに組を継ぐ…」

「やめろ…!」

 拓真は大知の肩を掴んだ。

「正気か?お前…正気なのか?そんな簡単に出入りできるところじゃないんだぞ!?

 あんな血なまぐさい…愚かな争いを繰り返すあの場所に、お前はまた戻るのか!?」

「若…俺だって好きで行くわけじゃないっす。

 でも、若のため、麗奈ちゃんのためなら…どんなに俺の血が流れても、悔いはありません」


 その時、ばしっ、という音が辺りに響いた。


「大知兄さんに何てことを…!」

 スーツを着たその男は大知を殴った拓真を押さえつけようとしたが、

 大知がそれを許さなかった。

「やめろ」

「ですが…!」

「やめろと言っている。若に手を出したら、いくら可愛い弟分でも容赦しないぞ」

「す、すいません…」

 男は大人しく引き下がった。

 その様子を見た拓真は、大知ならやっていけると確信した。

「いつの間にそんなに成長した?」

「さあ?」

 とぼける大知に、拓真は一発みぞおちに拳を突きつけた。

「ぐっ…けほっ…」

 大知は涙目になりながら、微笑んだ。

「馬鹿野郎!何でもかんでも一人で抱え込んで決めやがって!少しは僕を頼れ!」

 拓真は大知を抱きしめていた。

「若…」

 大知の声は、弱々しかった。

「いいか、大知。ここまでして麗奈ちゃんを守れなかったら、ボコボコにするから覚えとけ。

 それと、何かあったら真っ先に僕に連絡しろ。いつでも相談に乗るからな」

「あざっす、若…」

 大知は泣いていた。

「いつでも戻ってこい。待ってるからな、健と麗蘭で。

 抜けたいと思った時は、僕が全力を注ぐ。それと、命は大切にしろ」

 大知の耳元で呟かれたその言葉は、スーツの男には聞こえていなかった。

「あざっす、あざっす…若…」

 拓真は大知からすっと身を離し、大知の胸めがけて拳を突きつけた。

 が、大知は拓真の拳を見事に片手の手のひらで受け止めた。

「これなら大丈夫だな。僕にも劣らない」

「若には勝てないっす」

 泣きじゃくりながらそう言う大知に拓真は、「弱気なことを言うな」と背中を叩いた。

「麗奈ちゃんを守るんだろ?取り返すんだろ?」

「はい…若」

「麗奈ちゃんを奪って来い。自信持て」

「はいっ…」

「お前なら出来る、大丈夫だ。…頑張れ、大知」

「あざっす、若…。俺は、若に負けないくらいの良い男になって戻ってきます!」

 拓真が頷くと、大知は深く頷いて黒塗りの車に乗った。

 黒塗りの車は、あっという間に小さくなっていった。


「大知、頑張れ」


 拓真の後ろにいつの間にか立っていた健は、何度もその言葉を呟いていた。


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