第62話 清らかな初夜と紳士の思惑

二人で過ごす初めての夜は、清らかなものだった。

彰人にひどい言葉を投げつけられた麗奈の目からは、涙がぼろぼろと零れて止まらなかった。

麗奈の涙を指で何度も勉は拭った。

「お嬢様。今宵はずっと、貴女の傍にいます」

「今宵だけですか…?」

麗奈が不安そうに言うので、勉は、

「いいえ、ずっと貴女を離しませんよ」と麗奈の髪を撫でた。

麗奈の許可を得て、勉は麗奈の部屋に入った。


ベッドに腰掛ける麗奈に促され、勉は麗奈の隣に座った。

「驚いたでしょう?お父様の言葉」

先に口を開いたのは、麗奈だった。

「ええ。お嬢様が養子だったとは…思いもよりませんでした」

勉は麗奈を見つめた。確かに麗奈と亜里紗を見比べると、性格も雰囲気もまるで違う。

最初麗奈に会った時は、本当に姉妹なのかと疑ってしまったくらいだ。

養子だというのなら、姉の亜里紗に良く思われていないことも、

彰人が麗奈をまるで物であるかのような酷い扱いをしていることも、頷ける。

「彰人様の言い方は、あまりにも酷い」

「いいんです、慣れていますから」

「慣れるだなんて…」

「お父様の期待に応えられない私が悪いんです」

麗奈の左手をそっと握った勉は、握った手に力を込めた。

「お嬢様…僕がいます。一人では、ありません」

麗奈は黙って頷いた。

「お嬢様…そろそろ寝ましょう。翌日に支障が出ぬように」

勉はゆっくりと麗奈の右肩を押し、左手は麗奈の手と絡めながらベッドに倒れ込んだ。

麗奈の頬が上気していく。

「や、やだ…勉さん」

「申し上げたではありませんか。僕は今宵、貴女と添い寝すると」

勉は麗奈としばし見つめ合い、二人はベッドに潜り込んだ。

近すぎる勉との距離に戸惑いを隠せなかった麗奈だが、勉の温もりを求め、

勉に絡められた手に更にぎゅっと力を込めた。

「眠れませんか?」

勉は麗奈と向かい合って言った。

「どきどきして眠れません」

「それは困りましたね」

「困っているのは私の方です」

「困り顔も可愛いですよ」

「勉さんのせいで眠れません」

「拗ねているところも可愛い…」

「勉さんったら…」

互いに見つめ合う二人は、笑みを零した。

「何もしないと、約束してくださいますか?」

「ええ、約束します」

「良かった…」

「お嬢様、おやすみなさいませ」

勉は麗奈の髪を撫でながら言った。

「はい…おやすみ、なさい…」

麗奈は静かに目を閉じた。

「…お嬢様の無防備な姿が、僕にとっての最高の褒賞です。

僕に気を許してくださっている、何よりの証拠ですからね。

何もしないのは恐らく今宵だけ、ですよ」

寝静まった麗奈の部屋でぎらりと目を光らせながら、勉は麗奈の額に唇を這わせた。



麗奈は屋敷の庭で、風にそよぐ花を見ていた。

花に手を伸ばそうとすると、背後から影が忍び寄った。

「お嬢様、触れてはいけません」

麗奈の背後から声が聞こえたと同時に、

すっと勉の両手が花に触れようとした麗奈の両手を掴んで離さない。

「なぜ薔薇に触れようとするのです?」

「だって…綺麗だから」

「確かに薔薇は美しい。ですが、薔薇には棘があるのですよ?

お嬢様の細く綺麗な指が傷付きでもしたら大変です。無闇に触るのは控えてください」

「だって…」

「駄目です」

勉の言葉に、麗奈はしょんぼりと俯いてしまった。

「もう少しで、ここともおさらばなのですよ?長年私を見守ってくれたお花達を忘れぬよう、

少しでも…」

「お嬢様、その点はご安心を。僕の実家にも庭はあります。この庭ほど広くはありませんが」

「ご実家に?」

「ええ。きっと気に入ってくださると思います」

「そんなに素敵なお庭なんですか?見てみたい…」

「もう少しの辛抱です。もう少しで、貴女をいばらの園から連れ出すことができる。

そうなればお嬢様は僕のものとなり、崎本家の人間ではなくなる。

もう少しで、僕と貴女は夫婦になるのです。夫婦に…なるのです」

勉の両手はいつの間にか麗奈の両肩へ移動し、

勉は麗奈が動かぬように両肩に腕をしっかりと巻き付けた。

「まだ実感が湧きません、私」

「そのうち、慣れますよ。貴女が僕の妻となってくださること、嬉しく思います」

「それは私の台詞です。勉さんが私の旦那様だなんて…」

「素敵な家庭を、築きましょう」

「はい…」

勉と麗奈は真っ青な空を仰いだ。

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