第16話 なおらない機嫌

「よし、話はこれで終わり。また明日、よろしくね」

「はーい!」

 保田と那須田は笑顔で守の家をあとにした。

「みーちゃん?」

 守は、美優を探した。

 さっきは少し強く言い過ぎてしまったかもしれないと、

 美優を探すもののどの部屋にも美優はいなかった。

 美優がいつも持っている鞄もなかった。

 もしかして、外に出ているのだろうか。

 守はそう思った。


「しばらくリビングに入るの禁止、って言っちゃったもんなあ…悪かったな」


 守は、美優がすぐに帰ってくるものだと思っていた。

 美優が戻ってくるまで守は、コーヒーを飲みしばしくつろいでいた。

 しかし、二時間以上経っても美優は戻らなかった。

 そわそわし始めた守は、いても経ってもいられず美優を探した。

 しかし、どこを探しても見つからない。

「どこにいるんだよ…」


 守は、美優がいつも働いているカフェ・テリーヌに顔を出した。

「あら!いらっしゃい」

 桃が笑顔で迎え入れた。

「あの、みーちゃんは…」

「え?もう帰ったわよ?」

「ここに、もう一回来たりはしてませんか?」

「してないわよ?」

「どうかしたのか」

 春彦が厨房から顔を出した。

「いや…ちょっと喧嘩しちゃって」

「あらあら」

「強く言い過ぎちゃって。朝も冷たくしちゃったし」

「家には帰ってないのか?」

「一度帰ってきたんですが、仕事の打ち合わせをしている時に帰ってきて、仕事だからって…」

「追い出したのか」

「すみません…ちょっと言いすぎたなって思って、

 打ち合わせが終わってすぐにみーちゃんを探したんですけど、見つからなくて。

 もしかしたらここに来てるんじゃないかと思って」

「来てないわねえ」

「そうですか…」

 守は、美優のことが心配になった。

 確かに朝なかなか起きない美優に多少の不満は持っていたものの、

 あんなに強く言わなければよかったと、今更ながら後悔した。

「もし見つかったら、連絡ください」

「ああ、わかった」

 守は、カフェ・テリーヌを出て再び美優を探しに走り出した。




 美優を必死で探している守のもとに、携帯から電話がかかってきた。

 春彦からだった。

「守くん、今すぐ来てくれ!」

「どうしたんですか?」

 春彦の声から察するに、緊迫した空気が流れているのを感じた。

「みーちゃんが見つかったんだが…」

「えっ!?みーちゃんが!?」

 守はつい大きな声を出してしまった。

「ああ…守くんは今どこだ?」

「僕は今、駅にいるんですけど…」

 探し回った挙句、守は疲れながらも歩いていたが、

 雨がぽつぽつと降ってきたので慌てて近くにあった駅へと駆け込んだ。

 しかし、雨は一向に止まず今に至る。


「あの、みーちゃんは春彦さんのところに?」

「ああ」

「よかった…無事だったんですね」

「いや、無事ではない」

「え…?」

 守は、耳を疑った。

「カフェ・テリーヌに戻ってきたのはいいんだが…ずぶ濡れで倒れた」

「えっ…!?そ、そんな…」


 ずぶ濡れで、倒れた…?


 こんな酷い雨の中を歩いていたのかと、守は美優のことが心配になった。

「あの…今すぐそちらに向かいたいんですが、この雨で…」

「ああ、わかってる。おさまってから来るといい。

 みーちゃんはベッドに寝かせているから、安心しろ」

「はい。ありがとうございます。この雨が弱まりしだい、すぐ向かいます」

 守は電話を切り、降り続く雨を黙って見ていた。

 守はこの雨が、美優との仲を切り裂く障害にしか思えなかった。

 そう感じるのは、激しく冷たい雨が地面に叩きつけているからだろうか。


 守は、空を見上げた。

 灰色の雲から大粒の雨が地面を叩き、強くなりつつある風が地面に渦をまいていた。



「みーちゃん!みーちゃん!」

 守は、美優を揺さぶった。しかし、なんの反応もない。

 息苦しそうな美優の声だけが、守に届いた。

「俺らも、心配してたんだよ。みーちゃんの携帯に電話しても繋がらないし」

 春彦が言った。

「そしたらね、カフェ・テリーヌのドアがなにか固いものにぶつかったみたいな、

 どん!って音がしたのよ。何かなと思ってドアを少し開けてみたら…」

「みーちゃんだったんですね」

 美優は、荒れ狂う雨風の中でずぶ濡れになって倒れていたという。

「僕は…なんて酷いことを…」

 守は、美優に辛く当たってしまったことを後悔した。

 辛く当たることさえしなければー

 冷たい言い方をしなければこんなことにはならなかったはずだ。

「なんで喧嘩したの?」

「桃さん、僕…」

 守は、ゆっくりと今朝のことを話した。

 美優の寝起きが悪くて、朝いつも忙しくてして大変だということ。

 美優の寝起きが悪いことにずっと手を焼いていたこと。

 美優のためにも心を鬼にして冷たい態度を取ってしまったこと。

 それから、仕事の話があるからと美優を突き放してしまったことー


 話していくうちに、守の心は罪悪感でいっぱいになっていった。


「そう…でもそれは、仕方ないんじゃない?仕事の話なんでしょ?」

「はい。でも…しばらくリビングに入るの禁止、って言っちゃいましたし…」

「それはともかくとして、なんで二人の女の子を家にあげた?」

「それは…仕事の話をしたくて」

「ショックだったんじゃないのか、みーちゃんは」

「それは…」

 確かに、そうかもしれない。

 自分以外の女性を二人も家にあげるだなんて、いくら仕事の話とはいえ

 やりすぎたかもしれない。


「仕事の話なら、なんで職場でしないのよ?」

 それは最もだ。桃さんの言う通りだ、と守は思った。

「ですよね…でも、僕には部屋が二つくらいあって、

 デザインとか、仕事関係のものも持ち込んでるんです。

 だから、その…手っ取り早いかなと」

「家の方が?」

「はい、すいません、桃さん…」

「私に謝ってどうすんのよ。一番傷ついてるのは、みーちゃんなのよ?」

「ですよね…」

 守は、美優を見た。

 美優は熱を出していて水枕をしている。

「ごめん、みーちゃん」

 守は、美優の手を握りしめた。


「私達も、仕事終わりにみーちゃんにかなり怒っちゃったから、落ち込んでたかもね」

「そうだな。でもそれは仕方ないだろ」

「どういうことですか?」

 守が桃と春彦を見て尋ねた。

「ああ…、寝坊ばっかりするんじゃない。ちゃんとしなさいって言ったんだよ」

「ちょっときつく言い過ぎちゃったかなって…」

 桃は眉を下げた。

「ごめんね、みーちゃん」

 桃は美優の髪を撫でた。


 守は我に返り、息苦しそうな美優を見つめた。

 守は、美優に付きっきりで看病をした。

 美優が目を覚ましたが、守が手を握っていると知って、守の手を離した。

 そんな美優を見て切なくなった守だが、

 美優が早く元気になるようにと粥を作って食べさせたり、水枕を取り替えたりと、

 献身的に看病した。

「あ…熱、下がったね!よかった」

「……」

 熱は思いのほか、すぐに下がった。

 しかし美優の機嫌は直らず、守は頭を痛めていた。


「みーちゃん、ごめんね。朝も、帰ってきてからも冷たいことを言ってしまって」

 美優はだんまりを貫き通した。

「あの子達は、僕が手がけるファッションショーのモデルの子たちで、

 打ち合わせをしていたんだ。僕の部屋にはアトリエがあって、

 デザインのこととかいろいろ話さなきゃいけなくて。

 だからね?つい、あんなことを」

「もういいです、そんなこと」

「みーちゃん?」

 守は、美優が悲しげな顔で敬語で話したことに驚いた。

 何故敬語なんだ?

 守はそう思った。

「看病してくださったのには、とても感謝しています。

 でも、もうお仕事のことなんて聞きたくありません。もう私は大丈夫ですから。

 少し一人にしてください」

「みーちゃん?怒ってる?」

 美優は布団を被ってしまった。

「あの二人はね、ただの…」

「もういいです!聞きたくありません!」

 美優は急に起きあがり、守を寝室から追い出した。

「みーちゃん?みーちゃん…!」

 ドア越しに、美優の声が聞こえた。

 小さいけれど、はっきりと聞こえた。

「もう、一人にしてください」

 それから美優は、寝室から一歩も出てこなかった。










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