第七十六話【不死者の王と、生み出される死肉達】
「ぉおぁあああうううう……うぉおおおおおおぁあおおおっ……」
噴き上がる炎の中から声が響き始めた。それは一人だけの声ではなく、十数人……いや、まるで数十人もの声色が混じっているかのようだった。
それに加えて人の肉が焼けた嫌な臭いと、鼻をつくような腐臭も漂い始める。
「ネルガルぅ……ネル、ガルぅ、うおぉああおおおおおっ……」
ねちゃりと粘着質な音がした。まるで不定形のスライムが体を引きずって歩く音を生じさせたかのように、炎の中からかつては「彼」だった者が這い出してくる。
今もまだ中庭に残る、僕とラグスとネルガルが見つめる先にあったのは、無数の死体達が合わさるように融合した、巨大な死肉の塊だった。
その体の至る所からは幾つもの細く長い手足が生え、不気味に蠢きながら周囲に濁った体液を振りまいている。
「グ、グレセェン殿っ! な、何と言う姿にっ……」
主君の成れの果ての姿にラグスは動揺し、しかしすでに現実を直視するように距離を取り、曲刀を構えて戦闘体勢を維持している。
彼もグレセェンを救うことはもう出来ないと、頭では理解しているんだろう。
ならば……僕らがすべきことは、この場から確実に生き残ることだった。
僕は彼に急いで走り寄ると、後ろから声をかける。
「ラグスっ、今すぐ逃げるぞ。幸いグレセェンの殺意の矛先は、ネルガルだけに向いてる。あいつとネルガルが戦っている間に、ここから少しでも離れるんだ」
「くっ……主君を見捨てて、俺達だけで逃げろと言うのか。せめてネルガルだけでも道ずれに出来れば、グレセェン殿の無念も晴れるだろうにな……」
ラグスは顔に無念さを滲ませているが、残された僕らだけでは、その望みを叶えるのは難しいことだと言うのは、彼も分かっているようだった。
僕は今もグレセェンの成れの果てから目を離せずにいる、そんな彼の肩を掴むとこちらに振り向かせた。
「さあ、行くぞ。僕らまで死んだら、それこそ犬死にだ。お前の索敵能力には、期待してるんだからな」
「あ、ああ……すまない、タミヤ。確かにここで特攻を仕掛けて返り討ちに遭っても、俺の自己満足なだけだろう。分かった、ついて来てくれ。出来るだけ敵が少ない退路を通って、逃走を成功させるぞ」
さすが歴戦の東方騎馬民族の戦士だけあって、思考の切り替えは早かった。
ラグスは最後にもう一度だけグレセェンを一瞥したが、すぐに僕の先頭に立って案内役を買って出ると、その後は振り返ることはしなかった。
そんな中、背後では死肉の塊となったグレセェンが呪詛の言葉を吐きながら、ネルガルとの激闘が再開されていた。
「きぃさぁまあああっ……ネルガルぅっ! ゆるせ、ぬ! 私の手で、ころして、くれよう! 皇帝陛下の、かたきをぉおおああぁぁ……っ」
今まさに司令官舎の中庭を後にしようとしていた僕らの背後で、「ぼんっ!」と何かが射出されたような音が響く。それも続けざまに、何度も。
それは一体、何の音だったのか。疑問に思いつつも振り返らず、逃げることに全力を傾けていた僕らにも、すぐにその音の正体を理解することが出来た。
べちゃりと粘着質な着地音を鳴らして、僕らの前方にそれは降り立ったからだ。
「お、おい、タミヤ。こいつは、まさか……」
「ああ、らしいな。これはグレセェンの……っ。しかも一体だけじゃない」
そいつは不気味な顔が無数に連なったような体を持ち、死臭を漂わせていた。
姿はグレセェンと同様ながらも、そのサイズは高さ二メートル程と小柄な個体。
恐らくはあの男の本体から分離された、肉片の一部なのだろうが、そんな分身体が帝都中に降り注ぎ、あちらこちらで破壊活動を開始していたのだ。
「……危ないぞ、何してるんだっ! 早く避けろ、ラグスっ!!」
分身体から伸びた細長い手がラグスへと鞭のように振るわれ、咄嗟に彼の前に飛び出して庇った僕は、強烈な力で倒壊した官舎の外壁に叩きつけられてしまう。
口から吐血し、打撲傷を押さえながら立ち上がろうとする僕だが、肋骨にヒビが入ったのが分かった。恐らくは、内臓も痛めたことだろう。
ただの肉の一部とはいえ、その攻撃力と防御力は邪鬼などとは比較にならない。
しかもそんな脅威が、無数に帝都の至る所で暴れ出しているのだ。
「タミヤ、大丈夫かっ!? すまない、俺が一瞬とは言え、躊躇したばかりに」
「心配いらない、僕なら平気だ。この聖騎士甲冑が、多少の傷は癒してくれるからな。けど、これはかなりハードな状況みたいだぞ。こいつ、簡単には僕らを逃がしてくれそうになさそうだ」
分身体は無数の手足を蠢かせて僕らを獲物と認識し、逃がすまいと立ち塞がる。
不定形のスライムに近い外観とはいえ、移動速度も侮れそうになく、僕らは戦いながら逃げる機を窺うために、交戦の意思を固めた。
「……向こうは戦意抜群のようだな、やるしかないらしいぜ。主君の分身体とはいえ、俺達が生き延びるためだ、やむを得んな」
「ああ、二人がかりで、いくぞ。サポートは頼んだからな、ラグス!」
ラグスが前傾姿勢から曲刀を手に飛びかかり、僕は下段の構えから突撃した。
僕は伸びてきた手足を斬り払いながら、そのまま突き進み、ラグスは僕と息を合わせるように、分身体に向かって跳躍する。
そして頭頂部から下まで一気に両断しようとするが、死肉が凝縮されたその肉体に少し食い込んだだけで、最後まで斬り抜けることは叶わなかった。
だが、それでも僕らの試みは成功していたのだ。
「ナイスアシストだ、ラグス。最初から全開でいくっ、僕の最高奥義でこいつの肉体の強度がどれほどかを見極めてやるよっ!」
手足を斬り落とされ、ラグスに意識が向いた分身体の肉体へと、刀身に黒紫色の波動を纏わせた僕の村正の刃が横薙ぎに斬り込まれる。
そのまま黒紫色の光は分身体を包み込み、死体の塊は絶叫を上げながら、濁った体液を撒き散らして、悶え苦しみ出した。
だが、それでも分身体は尚も動き続け、活動を止めることはしなかった。
「くそっ……駄目か。元々はあのグレセェンだ。元の人間の強さが転生後に反映されると言うなら、こんな奴を滅ぼすには、生半可な攻撃じゃ無理ってことかっ」
僕らは地面を蹴って、後方に飛んで距離を取りながら、分身体の動向を窺う。
緊張が張り詰め、額からは玉のような汗まで滲み出し始めている。
対峙し、敵の動きを観察しているそんな中にあって、僕は分身体の手足が徐々に根元から生え変わり始めているものの、その再生速度は早くないことに気付く。
「おい、ラグス。あいつの手足を見ろ。まだ再生し切ってない感じだ。ひょっとしたら、今なら逃げられるかもしれないんじゃないか?」
「なるほど、一か八かだな。それじゃあ、追いつかれないように、全力で疾走するぜ、タミヤ」
僕らは少しだけ逡巡した末に、逃げを打つことを決めた。
分身体の横隣りを恐る恐る通り抜けていったが、攻撃を受けることはなく、ラグスの案内でいよいよ僕らは司令官舎の敷地外から出て、帝都の街並みに飛び出す。
幸いにもさっきの個体が追ってくる気配はないが、別の個体の数々が人々を襲っており、阿鼻叫喚の地獄絵図になりつつあった。
しかし今はこの混乱が、僕らが逃げ延びるための追い風となっているのだ。
「こっちだな、帝都の外まで可能な限り最適なルートだ。俺に任せてついて来い」
だが、ラグスが僕を誘導しようとする中、僕はその途中で足を止めた。
そして帝都の中心部に位置する、第一皇居があったレイク湖の方向を見やる。
怪訝そうな顔でラグスが振り返るが、今僕が考えていたのはある賭けだった。
そう、それは……この混乱に乗じれば、帝都の地下に会いに来てくれと言っていた女神ユーリティアの頼みごとを叶えられるのではないか、と。
「もしかしたら……今なら、女神ユーリティアと接触出来るかもしれない」
「お、おいっ。いきなり何を言い出すんだ、タミヤ。女神に会いに行くだって? 気は確かか?」
戸惑いを見せるラグスを余所に、僕の意思はすでに決まりつつあった。
帝都の地下へと続く階段があること自体は、女神から天啓を受ける以前からクシエルから聞いて知っていた。
そしてその階段は、レイク湖上の小島のどこかにあると言うことも。
「……悪い、行き先の変更だ、ラグス。これからレイク湖の小島に向かいたい。そこへ行けば……何かが分かるかもしれないんだ」
「……っ。身の危険を冒してでも、か? 分かったよ。そこまで言い切るなら、乗りかかった船だ。俺もとことん付き合ってやるぜ」
僕の真剣な様子に折れたのか、突然の予定変更にもラグスは乗ってくれた。
周囲ではすでに暴れ回る分身体と中央騎士達の激しい戦闘で、あの美しかった街並みの景観が急速に壊れていっている。
そんな戦いの渦中にあって僕らは顔を見合わせ頷くと、再び走り出したのだ。
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