第七十五話【甘かった見通し】

 グレセェンの居合をまともに受けた、ネルガルの胴体が二つに両断されていく。

 だが、すぐに彼の姿は消えた。僕は周囲を見回してみたが、どこにもいない。


「あ、あいつ! ……一体、どこに……っ?」


 僕とラグスはきょろきょろとこの中庭でネルガルの姿を目で探し続けたが、グレセェンだけは一人、迷うことなく上空を見上げていた。

 それを見た僕らも彼に倣って、顔を空に向けてみたのだが……、そこにいた者の姿に僕は思わず、驚きでしばし言葉を失ってしまう。

 なぜならば、そこにいたのは……最早、人の姿にあらず、異形の怪物。


 ――空に浮かび上がる、全身に炎を纏った巨大な獣竜種の骨格だったのだ。


 その肉を持たない獣竜種は恐ろしい迫力で、空から僕らを見下ろしている。

 いや、正確にはそれは実体を伴っていない、彼の闘気が形作った闘姿とでも言うべき異形の幻だったのだが。しかし熱気自体は、本物の灼熱と言って差し支えない。


「確か……『憤怒の炎神』とか言った、お前の奥義だっか? 直接、見たのは初めてだが、私の居合抜刀を躱し切るとは噂に違わないようだな、ネルガル」


 グレセェンは空に浮かぶネルガルと、地と空で対峙しながら言ってのける。

 完璧なタイミングで奥義を放ちながら避けられたにも関わらず、動揺は見せていない所を見ると、まだあの男にも何か切り札があるのかもしれない。

 そしてネルガルもまた闘姿の中心で不敵な笑みを浮かべ、それを聞いていた。


「何も分かってねぇようだな、グレセェン。これを見て理解出来ねぇか? お前らは、もう追い込まれているってことによ」


 ネルガルの言葉に僕は辺りを確認してみるが、今まで僕らを囲んでいた邪鬼や中央騎士達は距離を取って近づこうとはしてこない。

 勝利を確信しているか、もしくは巻き添えを避けようとしているかのようだ。

 そんな中、闘姿を纏うネルガルが重低音を響かせながら中庭に着地すると、グレセェンに向かって一歩一歩近づいていく。


「終わりなんだよ、グレセェン。お前らは、もうよ」


 獣竜種の闘姿の中心部でネルガルは、右腕を振り上げその幻の火炎を鷲掴む。

 そしてそれを引っ掴んだまま、グレセェンに振り下ろし、勢いよく叩きつけた。

 その瞬間っ、中庭の地面が大きく吹き飛び、グレセェンは刀でそれを受け止めていたのが最後に見えたが、天へと噴き上がる業火が彼を飲み込んでいく。


「グ、グレセェン殿っ!!」


 ラグスが噴き上げる炎の中にグレセェンの無事を求めて駆け寄ろうとするが、凄まじいまでの熱量の炎がそれを妨げている。

 中央騎士達が攻撃の手を緩めていたのは、この凄まじい攻撃に巻き込まれないためで間違いなかった。

 僕はその光景とネルガルを見て歯軋りすると、考えが甘かったことを悟る。


「くそっ、僕らが予想していた以上に、ネルガルは化け物だったってことかよ。あいつは……今まで全然、本気を出しちゃいなかったんだっ」


 噴き上げる炎の中からは、依然とグレセェンは姿を現さない。

 そしてラグスは今の攻撃でただでは済まなかっただろう主君に対して、何も出来ない自分に苛立っているのか、炎を前にして怒鳴り声を上げている。

 そうした中、ネルガルは今度は僕の方に向きを変え、それを見た僕は足が震えて、敗北の二文字が脳裏を過った。


「俺には好き好んで、女を痛めつける趣味はねぇけどよ。お前はクシエルの女だ。捕らえて、あの裏切り者を誘き出す餌にでも使うことにするぜ、タミヤ」


「く、くっそぉっ!! こ、こんな所で……終わって堪るかっ! 僕が簡単にお前に屈するなんて思うなよ、ネルガル!!」


 僕はもう自分でも冷静な精神状態ではなくなっているのが、分かった。

 破れかぶれに村正の刀身と全身に黒紫色の波動を纏い、最高奥義である牙神・冥淵を発動させると、ネルガルに特攻を仕掛けていったのだ。

 僕の姿が歪み、傍目には村正の刀身が複数本見えていることだろう。

 突進した先で跳躍し、ネルガルの頭上を飛び越すと、大上段から村正を黒紫色の波動と共に振り抜いた。


「くだらねぇぜ、タミヤ。お前の死力を振り絞った、切り札がその程度かよ?」


 しかし僕のその反撃には、まったく効果などなかった。

 ネルガルが纏う獣竜種の闘姿の右腕が、僕が全力を注いだ最高奥義を軽々と弾き、防いでしまったのだ。

 そしてすかさず残った左手で僕を鷲掴みにすると、力が込められていく。


「うわぁっ、あああぁあああっーーー!!!」


 僕の全身が炎に包まれ、聖騎士甲冑が、肌が燃えていった。

 想像を絶する火傷の苦痛に、僕は次第に意識がなくなり始めていく。

 だが、そんな時……視界にキラリと何かが光ったのが見えたと思うと、斬撃音と共に僕を掴んでいた獣竜種の左腕が斬り落とされ、塵となり消失したのだ。

 支えるものがなくなり、中庭に投げ出された僕が見たのは……何と、体中に火傷を負いながらも、さっきの噴き上がる炎の中から現れたグレセェンの姿だった。


「グレセェン殿、ご無事なのですか!? は、早く究極の神水エリクサーを!」


 駆け寄るラグスだったが、グレセェンは苛立たし気にその手を振り払う。

 そして取り出した究極の神水エリクサーを一飲みすると、狂人のような焦点の合わない目で、ネルガルの方を向いて言い放った。


「私は……お前には、負けんぞ、ネル、ガル……。なぜならば……私には女神の加護があるのだ、からなぁ……今、それを見せてやろう」


 言い終えた瞬間、みるみるとグレセェンの体が膨れ上がっていく。

 彼が着ていた朱色の甲冑は砕け散り、まるで空気を入れられた風船のように。

 それはほんの数秒の出来事だったが、彼はさも愉快そうに笑っていた。

 急速に原型を留めない姿になりながらも、歓喜の表情で天を仰ぎ見ていたのだ。


 ――そして体が内部から引き裂かれて、爆ぜ割れる。


 あまりに理解を超えたその光景に、僕もラグスも、中央騎士達すらもが息を飲んで、成り行きを見守るしかなかった。

 そしてやがて元は彼の肉体だった肉塊から無数の触手が伸びたかと思うと、手直にあった邪鬼や中央騎士達の死体を次々と取り込み始めたのだ。


「……てめぇ。魔種ヴォルフベット、になりやがったのかよっ。とうとうそこまで落ちぶれやがるとはなぁ、グレセェン!」


 誰もが恐怖で動けずにいる中、真っ先に行動を起こしたのはネルガルだった。

 死体の肉を取り込み、蠢きながら、別の巨大な生物へと姿を変えていくグレセェンに向けて、さっきと同じく闘姿の炎を掴むと、彼目掛けて頭上から投げ放った。


 ――途端、爆風と爆炎が天高く噴き上がり、グレセェンを飲み込んだ。


 巨大な形を為さんとしていた、グレセェンの新たな肉体がぐずぐずと燃えて崩れ落ちていくのが見えた。

 だが、これで終わりでないことは、僕もネルガルだって分かっていただろう。

 なぜならグレセェンはグゥネス伯と同様に、不死身体質の魔人タイプの魔種ヴォルフベットに転生したのであろうから。


「全員、あれの姿を見ないようにして退避しな! ここに残るのは、俺一人だけでいい。この馬鹿野郎の成れの果ては、この俺が直々に止めを刺してやるぜ!」


 ネルガルが中庭に集まっている、味方の中央騎士達に命令を告げた。

 そんな状況下で僕も全身火傷の激痛に耐えながら、究極の神水エリクサーを一口に飲み干す。

 もうここから先の戦いでは、味方はラグスだけ。

 孤立無援の中で戦い抜かねばならないと、分かっていたからだ。

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