第六十六話【崩れ落ちる六鬼将の一角】

 僕の下段からの抉り込むような突きに対し、フィガロの衝撃波が正面から炸裂。

 だが、構うことなく僕は前と同じように防御を捨てて、突き進んだっ!


「このまま最短コースでいくっ! もう一度、喰らわせてやるよ……っ!」


 バチバチと全身を黒紫色の波動で帯電させながら、そのまま走り抜ける。

 手応えはあった。今度も確実に僕の牙神は、フィガロの体を斬り裂いたのだ。

 だが、素早く別空間に身を隠されたため、致命傷にはならなかったのは、攻撃を仕掛けた僕自身がよく理解していた。


「……っ!? もう僕の策に対応し始めたのかよっ? さすが帝国最強の暗殺者だけのことはあるな!」


 走り抜けた先で振り返り、再び僕は牙神の構えを取った。

 傷が浅かったフィガロに対し、僕はまともに衝撃波を受けてしまっている。

 痛みで気を抜けば体がよじれそうだったが、強い意志で耐えた。


「だったら、更に……反応速度を上げるしかないみたいだな。もっと速く、より速く……」


 フィガロを倒すべく、さっき戦いの土壇場で僕が閃いたのは黒紫色の波動を電気のように帯電させ、動体視力を向上させると言うものだった。

 それをより強く帯電させようと、僕は体内から内気を絞り出し纏わせていく。

 そこまで用意を万端にして……ただ待った。

 あの男が次なる攻撃を仕掛けてくる瞬間を、決して見逃さないように。


 ――そして、その時は来た。


 確かな殺気が背後から現れたのを感じ取り、僕は体を捻って床を強く蹴り、後方へと牙神を繰り出して、疾走していく。

 その先には確かにフィガロの姿があり、今度もまた僕は奴を捉えたのだ。


「そこだっ!!」


「そう来るだろうと、思っていた……っ」


 攻撃のため姿を見せていたフィガロは、別空間に逃れようとせずに迫りくる村正の切っ先を右脇に挟んで受け止めたのだ。

 驚きで目を見開く僕だったが、刀身は黒紫色の波動を纏っているため、接触しただけでも大きな喪失効果がこの男を襲っているはず。

 今度、肉を切らせて反撃の取っ掛かりを見出したのは、この男の方だと僕が気付いた時には……っ。


「……相手の虚を衝き、仕留める。それは俺の十八番だぞ、タミヤっ」


「……っ!」


 フィガロの左拳が数回、僕の鳩尾に抉るように叩き込まれ、衝撃波が僕を襲う。

 先ほどからの蓄積されたダメージがいよいよ足にきた僕は、ガクリとバランスを崩して床に片膝をついてしまった。

 だが、それは更なる畳みかける攻撃を受ける前触れとなったのだ。


「……俺の殺しの矜持には反するが、足での攻撃の使用を解禁させてもらうっ」


 宣言通りに僕の顎を目掛けて、フィガロの強烈な蹴りが炸裂し、衝撃波が突き抜けていく。それだけでも意識が飛びかけたが、間髪入れずに二撃目の蹴りが頭の横に叩き込まれ、ふっ飛ばされて僕は大広間の壁に叩きつけられた。


「……う、うぐあぁああああっーー!!!」


 僕は口から血反吐を吐いて、体から力が抜けていき、黒紫色の帯電も消失。

 そこから前のめりに倒れると、僕はうつ伏せで床に這いつくばってしまった。

 感覚はあるが手足に力はあまり入らず、僕は自分が置かれた最悪の状況を知る。

 それでも何とか顔だけ上げてフィガロを見るが、奴はこちらへと歩いて近づいてきており、何も出来ない自分に歯噛みするしかなかった。


「……ようやく大人しくなったか」


 顔を上げる僕のすぐ前に立ち、こちらを見下ろしながらフィガロは言った。

 目の前のこの男も僕の最高奥義を受けて、楽に立っている訳ではなさそうだったが、僕に比べれば負傷の程度は軽いと言えるだろう。

 この男の殺気が一段と鋭くなり、死が近づいているのを自分でも実感していた。


「……敗北者を執拗に痛めつけるのは、俺の流儀じゃない。一撃で楽にしてやる」


 フィガロが、僕の頭上で右足を振り上げる。

 間違いなく、このまま踵で僕の頭を叩きつぶす気だ。

 しかしそれが分かっていても、僕は体を動かすなどして逃れることは叶わず、ただ見ているしかなかった。

 だが、最後に……藁にも縋る思いで、自身の流した血で濡れる床を僕は見た。


「あ、あぁ……血、血ぃ……」


 ひたすら血を求める、僕の内に眠る殺戮衝動。

 本来ならば、満月の光を浴びねば高まることはないが、舌で床の血を舐めとることで、無理やりに呼び起こそうと試みたのだ。

 そしてその苦肉の試みは、一応の成功をみることになった。


「お、おぉっ……おおぁああああぁぁ……っ!!!」


 視界が真っ赤に染まり、髪が伸びて白髪と化し、体中の痛みが嘘のように消えてなくなっていく。

 五感が研ぎ澄まされ、力が溢れ出す僕は、今まさに振り下ろされんとするフィガロの右足首を命中直前に、右手で掴んで止めてやった。

 そのことで冷静沈着のこの男が、珍しく動揺しているのが見て取れた。


「……それが、話に聞いていたお前の真の力かっ?」


「ああっ……味合わせてくれよっ、お前の血もさぁぁっ!!」


 僕はフィガロの足首を掴んだまま右手に力を込めると、ぐしゃりと肉が潰れる鈍い音がして鮮血が僕の顔にかかった。

 その際に彼が絶叫を上げたのが、聞こえたような気がした。

 しかし血の酩酊に目覚めた獣となった僕は、そんなことなど気にも留めずに、ただ一心不乱にその足首から血を啜り続けていたのだ。


「ふひゃぁはっ……そう、この味っ! 血が、欲しいんだ!! もっとだ、もっとっ! 僕にぃ……ふひぃひひやぁっ……血を吸わせろぉっ!!」


 僕はやがて床の上に押し倒したフィガロの腹に指を突っ込んで、内臓を引きずり出して、それを貪り始める。

 苦悶の表情を浮かべながらこの男は抵抗しているが、一度組み付いてしまえば、獣となった僕の膂力に敵う人間など存在しないのだ。


「……きさ、まっ……化け物、めっ」


 それでもフィガロは左手で僕の頭を鷲掴みにして、反撃を行おうとしている。

 だが、すでにその力は弱々しく、僕を引き離すことは叶わなかった。

 それにも関わらず、諦めることなく無駄な抵抗を続けるこの男を、僕はいい加減に鬱陶しく感じ始め、顔面に拳を叩き込もうと叩きつけ……たはずだった。


「かかった、な……これで俺の勝ち、だ……」


 僕の腕を掴んだフィガロは、空間の切れ目から覗かせている靄がかかった別空間へと、自分ごと僕の全身を引きずり込んでいったのだ。

 そこは一切の音がしない程に静寂で、やや靄がかかっているものの元の空間がよく見渡せる……そんな別空間にて僕らは揉み合っていた。


「……どうだ、満足に動けまい、タミヤ。この空間内では、俺以外はまるで水中にいるように、緩やかな動作になるからな」


「ぁああぁっ……!!」


 僕から、声にならない声が漏れる。

 フィガロの言った通り、まるで水の中でもがいている感覚に近かった。

 そんな環境下で僕はこの男に手で軽い力で押されただけで、ふわりと浮力のような力が働き、浮かび上がっていく。


 ――そして……っ。


「喰らえっ……俺からの反撃を!」


 フィガロの左拳から衝撃波が飛び、僕へと迫る。が、しかしっ!

 その攻撃を身を挺して遮る者がいた。しかもそれはいつの間にかこの別空間に入り込んでいたらしい、あの子竜だったのだ。


「っ!? お、お前はあぁ……」


 子竜は僕の肩に止まって頬を舌で舐めると、空間内のある一点に顔を向けた。

 そこには僕らがこの別空間に入ってきた切れ目があり、元の空間への出口が顔を覗かせていた。

 それと子竜を交互に見て、僕は急速に理性を取り戻し、その意を理解する。


「……しくじったか。この致命傷では、俺の命も長くはないだろう。だが、その前にお前だけは何としても仕留めてみせる」


「ああ、僕だって……もう足がフラフラだよ。このまま倒れて意識を失う前に、お前との決着をつけさせてもらうぞ、フィガロ」


 半分だけ獣の姿から元の人間に戻った僕は、地に足をつけて下段に構える。

 対するフィガロも、残った左拳を前方に突き出した構えを見せていた。

 唯一の見物人となった子竜が見守る中、そのまま僕らはしばらく対峙し続ける。

 傍目にはほんの数分だったかもしれないが、当事者にとっては気が遠くなるような長い時間のような気さえしていた。


 ――そんな中で、いよいよ僕らは動いた。


「……俺の残りの力を、すべて注ぎ込む。この一撃で、終わりだっ」


「ああ、僕だって覚悟は同じだ。いくぞっ、フィガロっ!」


 動いたのは、まったくの同時。

 僕の駆け抜ける牙神とフィガロの衝撃波を伴う殺しの技が、中心点で交差する。

 双方共にダメージは足に来ており、それらの攻撃は万全とは言い難かった。

 だが、それでも必殺の気迫だけは陰りを見せることなく、激突し合い……そして打ち勝ったのは、僕の方だった。


「喰らえ、フィガローーっ! 僕のっ……決死の一撃をっ!!」


「お、おおおおおぁぁあっ!!」


 己の技を掻き消されたフィガロが叫び、そして僕の髪は自身が放つ殺気に反応して逆立ち、村正の刀身は黒紫色の波動を帯びている。

 それがフィガロに炸裂と同時、辺り一面は黒い光と、黒煙で包まれていく。


「やは、り……この女は危険だった……。ネルガル、将軍、すま……ない」


 吹き飛ばされたフィガロの体は、黒紫色の光の中に飲み込まれていった。

 死力を尽くした僕らの死闘は、ついに決着がついたのだ。

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