第六十五話【最後に笑うのは】

 僕は駆け足で城下街の街並みを走り抜けていったが、遠くに見える目的地のグスタブルグ城から濛々と黒煙が吹き出していた。

 つまり先陣を切っていたグレセェン達は、すでに城内に突入しているのだ。

 僕らの戦いは、早くも最終局面に差し掛かっていると言うことだろう。


「急がないとな。いくらグレセェンでも、あのフィガロの能力で暗殺のように攻撃されたら……いや、あんな奴よりも、僕にはウルリナ達のことが心配だ」


 城を目指して走る途中、僕は襲い掛かってきた邪鬼達はほとんど無視し、脇目も振らずに城までの道のりを駆け抜けていった。

 あまりに無我夢中で走っているためか、フィガロから受けたダメージなど少しも気にならず、ただひたすらに手足を動かし、そしてついに僕は辿り着いたのだ。

 内乱が燻る東部領を治めるグゥネス伯がいるはずの、グスタブルグ城前へと。


「はあっ、はあっ……ようやく、ここまで辿り着けたか。……よし、待ってろよ、ウルリナ、皆」


 僕は呼吸を整えながら破壊された城門を潜って、城の中へと足を踏み入れる。

 すると、入った途端にまず感じ取れたのは、咽返るような死の匂い。

 それもそのはずで、城内には邪鬼やグレセェンの側近である騎士らの死体が血の海に沈んで、あちらこちらに転がっていたのだから。


「きゅぅぅううん」


 その時、僕の右肩に止まった、竜鱗の鎧が姿を変えた子竜が鳴き声を上げる。

 そして肩を離れて飛び立つと、どこかへと羽ばたきながら向かっていった。

 何かを嗅ぎ取ったのだと思った僕は、その後をついていく。

 そのまま廊下を通り、階段を上がり、城内を進んでいった先に僕らを待っていたのは窓から城下街を一望出来る最上階にある、獅子が描かれた豪華な扉の前だった。


「なるほどな、ここが城主の間ってことか。ここに、皆が……グゥネス伯が。よしっ!」


 案内を終えた子竜が僕の肩にまた飛び乗ると、僕は覚悟を決めて扉を押し開いて中へと入っていく。

 重い音を響かせて開け放たれた扉の向こうにいたのは、刀を片手に初老の身なりが良い男性と対峙するグレセェンと、その側近の騎士達。

 そしてウルリナとユンナとガナンの三人と、辺境騎士達の姿もそこにはあった。


「無様な姿だな、グゥネス伯よ。かつては武勇に長けた貴様も今は老いぼれて見る影もない。自慢の息子を失ってから、政を放棄して快楽に溺れ出した時点で遅かれ早かれ、こうなる運命だったのだ。そうは思わんか?」


「ふひっ……ひひひははは……」


 グレセェンに睨みつけられている、初老の男性が笑う。

 恐らくあの男がグゥネス伯なのだろうが、その目は正気を宿しておらず、どこか虚ろで、表情に浮かべているのは狂気の笑みだった。

 僕の目にはどう見ても狂人のように見え、意思の疎通も難しいのではと思ったが、そんな心配を余所に突如、彼は言葉を発したのだ。


「私は……私はぁ……っ! 神を、見たのだっ! そして神は仰せになったっ! 力を以って、貴様ら反乱分子を平らげよ、となぁ!」


「神、だと?」


 刀を向けたグレセェンを前に、グゥネス伯は唾を飛ばして笑い出す。

 ……が、その時だった。

 突然、高笑いする彼の全身から草木の蔓みたいなものが這い出てくると、あっという間に皮膚を覆い尽くし、その体がみるみる肥大化していったのだ。

 だが、その場にいた全員が身構えて、僕も攻撃を仕掛けようかと考えていた時、僕の背後から肩を掴む者がいた。


「おい、タミヤ。グゥネス伯のことなら、放っておけ。どうせグレセェン殿には、敵いはしない。それより俺達は……もう一人の敵を倒すんだ」


「お、お前っ! あの時のっ!」


 僕の背後からいきなり現れたのは、何とあの東方騎馬民族のラグスだった。

 そして彼は僕の肩を掴んだまま城主の間から出ていき、そこで僕らは向き合った。

 どういうことか説明を求める僕に、彼は手短に言い放つ。


「倒し損ねた帝国六鬼将のフィガロが、ここに来てるんだろ? しかもあの男は厄介な爆弾を持ってるそうじゃないか。そんな物騒な代物を、こんな所で使われる訳にはいかない。その前に俺達で阻止するんだ」


「……それを知ってるってことは、ずっと僕を見張ってたんだな? それもこの戦争が始まった、最初の時から」


 ラグスは否定することなく、あっさりとそれを認めた。

 グレセェンから僕の動向を監視するように、命令を受けていたと。

 だが、この男は有無を言わせない強引さで僕の腕を引っ張っていき、自分達が優先すべきはフィガロを止めることだと力説し、僕もそれに納得した。


「確かにウルリナ達まで爆発に巻き込まれて全滅するのだけは、僕だって絶対に避けたい未来だ。それでお前には、姿を消して移動出来るフィガロの居場所を突き止められる当てはあるのか?」


「ああ、見つける方法ならあるさ。俺の天の才器を使えば、難しくはない」


 自ら天の才器者であることを明かしたラグスは何を思ったのか、腰の鞘から一目で業物と分かる曲刀を抜き放ち、自身の手首を掻っ切ってみせた。

 事態を飲み込めず目を疑った僕だったが、彼の次の行動は僕を更に仰天させた。


「何の真似だって顔をしてるな、タミヤ。だが、俺の天の才器の発動には必要な儀式なんだ。いいから、そのまま見ていろ」


 ラグスは手首から流れ落ちる血を、自分の両目に浴びせかけた。

 そして血の目潰しで視界を失った彼は、何事もないように歩き始めたのだ。

 それもまるで今も目が見えているかのように、頼りない足取りではなく……いや、彼の額をよくよく見れば、いつの間にか第三の目らしきものが開いている。


「よし、視界は良好なようだ。何もかもが視える……特に見えない物がな。こっちだ、ついて来い、タミヤ」


「あ、ああ。いいけど、本当に大丈夫なんだろうな?」


 両目が塞がった代わりに第三の目で見ているらしい、ラグスの後を僕は追う。

 その途中、振動音が鳴り響いて建物全体が揺れ動き、天井からパラパラと細かい物が落ちてきていたが、構わず僕らは進んでいった。

 そしてラグスは、やがてある部屋に到着して立ち止まる。

 僕らが終点として辿り着いた先、そこは城内一階の大広間だった。


「おい、もう姿を現したらどうだ、帝国六鬼将のフィガロ。お前がそこにいるのはすでにバレているぜ。この東方騎馬民族の族長、牙王ラグスが相手になってやる」


 しばしの静寂。だが、しばらくしてラグスが言った通りに、空間からフィガロが徐々に姿を現し始めていく。

 僕が斬り落としてやったあの男の右拳があった部分を見ると、痛々しく今も血が滲んでいるが、包帯で止血されていた。


「……驚いたな。俺の位置を見破るとは、その額の目の力か?」


「まあな、これが俺の天の才器だ。能力の詳細は、お前が勝手に想像でもしていろ」


 即座にラグスが前傾姿勢で曲刀を構え、僕も村正を片手に下段に構える。

 そんな二体一の状況に自分の不利を感じ取ったのか、フィガロは懐からユンナが驚愕していたあの氷状の物質に覆われた爆弾を取り出して、足元に置いた。

 だが、それは表面の氷が溶けて、今にも爆発しそうな程に膨張を始めているのだ。

 それを見て、僕らは自分達が最悪の状況に追い込まれていることを知る。


「お、おいっ! その爆弾、もう起動し始めてるんじゃないのかっ!?」


「……ああ、そうだ。こいつは十分後に大爆発を起こす。俺達の戦いの勝敗がどうであれ、この城にいる連中はまもなく消し飛ぶ。俺の仕事はこれで完了だが、最後に……お前達の悪足掻きには付き合ってやるつもりだ」


 僕の中から、急速に焦りが湧き上がって来るのを感じた。

 だが、それもフィガロにとっては、作戦の内だったのだろう。

 逸る気持ちで生じた、一瞬の隙。そこに付け込まれ、僕はあの男からの衝撃波をまともに右胸に受けてしまったのだ。

 それでも体を仰け反らせつつ、どうにか踏み止まったそんな僕の横隣りを、ラグスが走り抜けていく。


「それがどうしたっ!? まずはお前を倒してからだ! それからこの窮地を切り抜けてる方法を、考えればいい!」


 ラグスの曲刀をフィガロは左の手甲で受け止め、そのまま別空間に逃れていく。

 だが、ラグスには姿を消しているフィガロがどこを移動しているのか、手に取るように視えているらしく、ある一点に視線を移した。


「そこだなっ、飛び越えのフィガロっ!!」


 ラグスが斬りつけた先で、鮮血が飛ぶ。

 命中したのかと思ったのも束の間、フィガロはその曲刀を左手で掴んでおり、今度は密着状態から拳を失った右腕でラグスの鳩尾に一撃を見舞った。

 衝撃波が体を突き抜け、ラグスはよろよろと後退るがフィガロは彼の胸倉を掴み、その体を持ち上げた。


「……それしきで俺を攻略出来ると思ったか、東方騎馬民族のラグス。手負いだからと、ずいぶん甘く見られたものだな」


「きさ……まっ……!!」


 ラグスは苦し気に声を絞り出したが、フィガロは容赦なく右腕で彼の腹部に何度も何度も攻撃を繰り返す。

 そして六撃目にしてついに、彼は口からごぽりと血を吐いて力なく首を前に垂れて、意識を手放してしまったようだった。

 そんな彼を無表情のまま大広間の隅に放り投げたフィガロは、ふんと鼻を鳴らしながら今度は僕の方に向き直る。


「……では、さっきの雪辱戦といくか、タミヤ。ネルガル将軍以外に、俺をここまで追い込んだのはお前だけだ。俺もこの勝負は、白黒はっきりつけておきたい」


「ああ、そうだな。僕も、この戦いでお前を超えなきゃいけないと思ってる。このまま中央との敵対を続けるなら、あの帝国屈指のネルガル将軍との戦いは避けては通れない道だからな」


 互いに対峙する僕らの姿が、瞬間的に幾重にもぶれて見える。

 いや、そういう錯覚をさせる程の両者の気配が、感覚にそう訴えているのだ。

 途轍もなく強烈な殺気がフィガロのその全身から放たれており、対する僕も村正を下段に構えて、さっきと同様に黒紫色の波動を全身にバチバチと纏わせている。


「……来い、タミヤ」


「ああっ! 言われるまでもなく、いかせてもらうさっ!!」


 僕が床を蹴って疾走するのと、フィガロが左拳を僕へと突き出し、衝撃波が飛んだのはまったくの同時であった。双方共に、僅かにでも油断すれば飲まれる。

 僕の渾身の牙神とフィガロの衝撃波が、またも激突し、優劣を競い合ったのだ。

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