第六十話【暴かれる飛び越えの秘密】

「あ、貴方はー……フィガロっ!? 飛び越えのっ!」


 そう言葉を発したユンナに視線を向けながら、フィガロは殺気を放つ。

 全身を静かなオーラが漂い、その眼光は僕らを射竦めさせるには十分だった。


「……また会ったな、白髪の女。まさか切り札として『呪核弾』を持っているとは思わなかった。あそこまで追い詰めた標的を逃がしたのは、お前が初めてだ」


「それはどうもです、フィガロさん。けど、見て分かりませんかー? 今、私達は彼らと取り込み中なんです。そこに横槍を入れるというのなら、双方を相手取る覚悟はした方がいいんじゃないですか?」


 ユンナの言った通りに、東方騎馬民族達も馬上から弓に矢をつがえて、フィガロへと狙いを定めている。

 彼らの支配地を侵したこの男も、この場に歓迎されていないと言うことだろう。

 が、しかしフィガロは動じる様子はなく、ゆっくりとした動作で拳を前方に向けると、そして口を開いた。


「……殺し損ねたな、タミヤ。採点するなら、六十点だ」


「何っ……?」


 すぐにはその言葉の意味を理解しかねる僕だったが、背後で巨大な何かが起き上がる音がして、僕ははっとして咄嗟に振り返った。

 すると、そこにいたのは……っ、何と倒したはずのさっきの岩獣ロックイーターだったのだ。

 そして腹の底から絞り出したような雄叫びを上げながら、岩獣ロックイーターは長く太い体を撓らせ、僕……いや、フィガロに牙を剥いて襲い掛かっていく。


「……見ていろ。確実な殺しとはこうやる」


 対し、フィガロは予め標的に向けていた拳を勢いよく突き出したかと思うと、拳先から飛び放たれた衝撃波が岩獣ロックイーターの脳天を突き抜けた。

 否や、岩獣ロックイーターの動きはしばらく硬直し、やがて無数の赤い複眼がぐるんと白目を剥くと、大きな音を立てて沼地に崩れ落ちてブクブクと沈んでいった。

 だが、それで終わらせず、フィガロはそのまま僕に向かって走り始めたのだ。


「っ!? 狙いは僕か、フィガロっ! ……うわっ!?」


 喋っている途中、僕はまたも泥濘んだ足場を蹴って身を逸らした。

 たった今、僕が立っていた場所を、フィガロの衝撃波が通り抜けていったからだ。

 更に間髪入れずに、次々と拳が突き出され、幾つもの衝撃波が僕を襲う。


「わ、わっ、うわっと! ……僕に喋る暇も与えないってことかよ!」


「……生憎と、俺の相手はお前一人だけではないんでな」


 フィガロの言葉通り、すぐにこの男の攻撃対象が僕だけではないと悟る。

 躱したと思っていた衝撃波は、後方にいた東方騎馬民族らを射抜いていたのだ。

 馬から落馬し、沼に沈んでいく仲間達を見て、彼らも即座に反撃を開始した。

 だが、雨のように放たれる彼らからの矢の数々を、フィガロは衝撃波で叩き落とし、また駆け回って一か所に留まらないことによって回避していく。


「矢を射続けろっ! 狙いをあの二人だけに絞って、決して休む隙を与えるな!」


 馬上の東方騎馬民族の一人が、同胞達に向かって指示を送っている。

 どうやら岩獣ロックイーターを倒した強力な使い手である、僕とフィガロだけを集中的に攻撃対象にするつもりのようだった。

 ならば……と、他の誰かの巻き添えを避けるため、僕はウルリナ達に叫んだ。


「フィガロは僕が引き受けるっ! だから、僕らの間合いには近づかないでくれ! ここは僕だけで何とかしてみるつもりだからさ!」


 今にも僕に加勢に入ってきそうだったウルリナ達は、その言葉で動きを止めて援護を思い留まったようだった。

 だが、そんな最中でも、射続けられる無数の矢を僕とフィガロは掻い潜り、下段の構えからの牙神と拳からの衝撃波の応酬を繰り返した。

 その間、避けきれなかった矢の何本かは、僕の肩や背に突き立ってしまうが、激痛に耐え、それらを力任せに引き抜いて投げ捨てる。痛みは残ったが、聖騎士甲冑の自然治癒効果が傷口を緩やかに癒し始めていった。


「こっちは何本か射られてるのに、そっちは無傷かよ。けど、不思議だな。逃げ場所がない程に間断なく放たれてるのに、なぜお前だけは当たらないんだろうな」


「……さあな、自分で考えてみることだ」


 だが、そう言いつつも、僕にはフィガロの能力の正体が掴めかけてきていた。

 前に戦った時に、姿を消しながら攻撃してきたのと同じ理屈だろう。

 恐らくこの男の天の才器は、ユンナに似ているがまったくの別物なのだ。

 僕はその推測の確証を得るため、己の代表的な奥義である牙神の構えを取った。


「これで確かめてみるとするか。『牙神』の中でも最速の、この奥義でさ」


 僕は静かに念を込める。すると、空高くで飛び回っていた子竜が反応を示し、赤黒く発光する球体になって、僕へと向かって急降下を始めた。

 そのまま子竜は勢いを乗せて僕と衝突すると、赤黒い光は僕をも包み込んでいき、それが収まった時には……。

 僕が身に纏っていたのは竜鱗の鎧、そして牙神の構えを取りながら手にしていたのは、セイブザクイーンだった。


「これから繰り出す奥義の名は『牙神・竜裂波』だ。鎧に宿る竜の戦闘力を引き出し、全身全霊、全力全開にて、お前に向けて放つ。これは手加減していなければ、正攻法では絶対に避けられない技だ。いいな、忠告したぞ、フィガロ」


「……いいだろう。見せてみろ、その奥義を」


 僕はセイブザクイーンの切っ先をフィガロに向けて狙いを定めると、体を限界まで深く沈めて、更に剣を目一杯後ろに引いた。

 発動の瞬間、ジェットエンジンのように駆け抜けるため、僕が考えた構えだ。

 ユンナに使った時は手加減したためガナンに止められたが、今回は本気で放つ。


「いくぞ、フィガロ」


「……ああ、来い」


 僕らの間に、息の詰まるような緊迫感が漂う。

 互いに機を窺う、まさに勝負が始まろうとする瞬間だった。

 しかしそんな中、無粋にも僕らの間合い内を放たれた矢が掠めていき……。

 その微かな音がした瞬間っ! それを合図とし、僕は動いていたっ!


「正体を暴いてやるよ、この最速奥義……っ! 『牙神・竜裂波』でなっ!!」


「……無駄だっ。たとえ俺の能力を見極めた所でな……っ」


 僕が踏み込んだ沼地が爆発したように吹き飛び、後方へと噴流が噴射していく!

 そうして瞬時にしてフィガロの眼前まで瞬時に迫った僕は、セイブザクイーンの切っ先を彼目掛けて突き付けたのだがっ……!?


「やっぱりそうかっ!」


 僕が予想していた通りに、フィガロの姿は空間に溶け込むように消えていった。

 最大最速にて回避不能のこの奥義を躱すのは、正攻法ではまず無理だ。

 だが、あの男は超スピードではなく、能力を用いて別の空間へと逃れたのだ。

 今までも攻撃を受ける刹那、別空間に移動して回避していたのだろう。


 ――そして……っ。


「ぐっ……ううわあぁっ!!」


 何もない前方の空間から彼の拳だけが出現し、衝撃波が僕の体を突き抜けた。

 しかもそれが四方八方から、繰り返される。

 その攻撃に手も足も出ず、次第に力が抜けていき足元がふらつき始めた。


「……それで終わりか? 確かにお前は強くなったが、殺す手段ならいくらでもある。たとえば、これのようにな」


 フィガロは何もない空間から全身を徐々に現し始めると、右手に何かを持っているのが、視界が霞んできている僕の目にも分かった。

 だが、それを見て誰より驚いたのは、ユンナだったらしく血相を変えている。


「そ、そ、そんなっ! それは、まさかー……『呪核弾』ですかっ!?」


「……そうだ。今度は俺が、お前達に意趣返しさせてもらう。これの破壊力は製造過程を知る、お前ならよく分かっているはずだ」


 フィガロが氷状の物質で覆われたその握り拳大の何かを掲げると、それは鳴動が始まったかのように震え出し、重低音が鳴り響く。

 それを見て、表情を青ざめさせていくユンナだったが、あの男は薄く笑うと、それを持つ片手を下ろした。


「……そうしてやりたい所だが、こいつの出番はまだ早い。俺でも手に負えるか分からない標的がいるんでな。これはそいつを暗殺するための切り札だ」


 それだけ言うと、フィガロは僕らに背を向けてから、そのまま話を続けた。

 だが、背後を見せられても、隙がまったくない。圧倒的強者である彼の力を見せつけられた僕らは、その言葉を素直に聞き入るしかなかったのだ。


「……東部領に何の用か知らんが、東方騎馬民族を甘く見ないことだ。奴らはお前達が思っているより、危険な連中だ。気付いているか? 今もこの沼地を、お前達ごと焼き尽くそうと狙っているのを」


「っ!? ど、どういうことだ……?」


 フィガロからの忠告で、僕はようやく気付く。

 すでに東方騎馬民族達の姿はどこにも見当たらず、空高くから何か飛来してきている音が微かに聞こえてくるのを。

 そして僕らが上空を見上げてそれを視認した時には、すでに轟音と共にその飛来物が沼地に着弾し、沼の表面を瞬く間に火の手が広がっていったのだ。


「く、そっ……まさか爆弾を投下しやがったのかっ? でも、これは……」


 通常、火が水に打ち勝つことはあり得ない。

 だが、この爆弾はまるでナパーム弾さながらであり、可燃性の高い液体は沼地においても消えることなく効果を果たしていたのだ。

 それは彼らの高度な技術力を証明しているのだと、フィガロから受けた傷によって次第に朦朧としていく意識の中で、最後に僕はそう考えていた。

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