第五十八話【東方騎馬民族のラグス】

「ガナン……、まだか。そろそろ夜が明けそうだぞ」


 僕は落ち着かない気分を静めるため、先ほどから葉巻を咥えて燻らせていた。

 それもすでに三本目である。頼りになるあの男のことだから心配無用とは分かっていても、時間が経過していく度に、僕の中で焦りが大きくなっていったのだ。


「タミヤ、そわそわしても仕方がないぞ。ガナンを信じろ、あいつならきっと成功させて帰ってくるはずだ」


 僕の横隣りにはウルリナが立ち、共にガナンの帰りを待ち侘びている。

 が、しかし僕とは違って、焦りも動揺した様子も見られない。

 僕よりガナンとの付き合いが長い分、それだけ信用してるんだろうが……。

 城下町では街の外から見ても、今も火と煙が濛々と立ち上がっているのが分かり、混乱はまだ続いている。逃げ出してくるなら、今がぎりぎりでチャンスなのだ。


「皆がお前の帰りを待ってる。ウルリナもお前の部下の辺境騎士達も、ユンナもな。早く来てくれ。後はお前が戻ってきてくれさえすれば、それでいいんだ……。最悪、作戦が失敗してたって構わないんだからな」


 僕らは合流地点としていた城下町から少し離れた林の中から、街の様子を見守り続けていたが、次第に僕以外の者からも焦りが募っていった、そんな時のことだった。

 日の出と時を同じくして、ついに待ち侘びていた彼は現れた。

 それも背後に、十数人のオリエンタルな顔立ちの東方騎馬民族を伴ってである。

 それは作戦の成功を意味していた。


「ガナンっ!!」


「よくやってくれた、ガナン! 信じていたぞ!」


 僕とウルリナが真っ先に林から飛び出すと、それにユンナが続き、そして辺境騎士達が我先にと駆け寄っていった。

 ガナンの無事の帰還を喜んだ僕らは、隠れ潜んでいる身にも関わらず、声を気持ち程度抑えはしたものの歓声を上げて出迎えたのである。

 だが、作戦の成功を喜び、一転して祝勝ムードとなった僕らは、東方騎馬民族の一人の咳払いで現実に戻された。


「まずは礼を言いたい。そこの白髪の女から聞いたが、お前達は俺達……いや、ひいてはグレセェン殿と面会を求めているらしいな。これに嘘偽りはないな?」


 彼の問いにウルリナが先んじて進み出ると、臆することなく答えた。

 こちら側に対して威圧する気さえ放っている、黒曜の髪と瞳を持った精悍な顔立ちをした、その東方騎馬民族の男にも負けず劣らずの勇ましい応対である。


「ああ、偽りはない。今はあまり多くは語れないが、私達の素性などはその時に、グレセェン殿本人に打ち明けるつもりだ」


「なるほど、義に従い話だけは聞いてやろうと思ったが、素性も明かせん相手をグレセェン殿に会わせられるか。約束は反故にさせてもらうぞ。所詮は口約束だ」


 僕から殺意の視線が飛び、辺境騎士達の間からどよめきが広がる中、ウルリナは動じることなく冷静に彼を見据えて、更に力強く返事を返した。

 そしてその言葉の内容に顔色を変えたのは、今度は目の前の男の方だった。


「義と言う言葉を口にしたな。ならば話は簡単だ。戦士として、正義の戦いを重んじると言うのならば、ガナン。彼らに武器を渡してやってくれ。最後は華々しく戦わせて散らせてやるのが、せめてもの情けだ。そして最後に残った一人に、もう一度、同じ質問を試してみればいい」


「承知した、お嬢。だが、誰を彼らと戦わせる? 私か、それともお嬢か?」


 ウルリナは腰に差した二本の鞘から黒剣とフレイムタンを抜き放つと、目前の交渉役の男を睨み付ける。やはり彼女もこの中で一番序列が高いのは、この男だと鋭い洞察眼で見抜いていたのだろう。その彼に眼を向けながら、躊躇もなく言い放った。


「私一人でいい。だが、戦う前に礼儀として名前だけは名乗っておこう、私はウルリナ。ウルリナ・アドラマリクだっ!」


「舐めるなよ、女……っ! ここまで言われて俺達も女一人に、全員がかりで挑む訳にいくか! お前達は手を出すな、ここは俺一人でやる。この牙王ラグスがお前の相手になろうっ!」


 ガナンが鞘に収まった一振りの剣を牙王ラグスと名乗りを上げたその男に放り投げると、男はそれを受け取り、剣を抜き放った。

 その顔は怒りで紅潮していたが、すぐに表情は落ち着きを取り戻してしまう。

 それが出来たのは、かなり場慣れしている何よりの証拠だろう。

 この男は侮れないと、僕はそう思った。


「ウルリナ・アドラマリクよ! 先祖より脈々と伝わりし俺の剣技っ! その威力の程を、その身でしかと味うがいいだろうっ!!」


 ラグスは前傾姿勢で剣を構えながら一息に飛び出し、間合いを詰めて斬りかかっていった。だが、ウルリナも負けじと二刀をクロスしてその攻撃を受け止める。

 続けて双方共にその場にて地面を足で強く踏み込み、剣を打ち合わせるも互いに一歩も譲らず。更には幾度も刃を斬り結び、激突の反動によって後方に弾き飛ばされながらも、体勢を立て直すのも面倒そうに、そのまま相手に向けて突っ込んでいく。


「燃え上がれっ、フレイムタンっ!!」


「くだらんなっ! それしきの炎など俺の敵じゃないっ!!」


 燃え盛る火炎を放つフレイムタンと、東方のしなやかで荒々しい剣が交わる。

 気迫も、剣圧も、殺気も、闘気も、疑いなく二人は伯仲していた。

 もしこの戦いの明暗を分けるとしたなら、それは少しでも気圧されした方。

 そうなったとしたら、一気に押し込まれるのは確実だと……そう判断した僕は、無言で腰のセイブザクイーンの柄に静かに手をやった。


(悪いな、ウルリナ。お前は絶対に死なせる訳にはいかないんだ。万が一の時には、遠慮なく横槍を入れさせてもらうからな)


 だが、僕の心配はただの杞憂だったのか、戦いの中でウルリナの必殺の気迫が徐々にラグスを圧し始めていた。

 一分一秒が果てしなく長く感じられる死と隣り合わせの死闘が始まってから、それなりに時間が経過している。

 だが、体力では女であるウルリナが、あの鍛え抜かれた男に及ぶはずがない。

 予想外ではあったが、あの男が彼女を殺すことに躊躇を見せているのだ。


「ちぃっ……!!」


 ウルリナの黒剣を防いだ直後に、土手っ腹に蹴りを喰らってラグスがよろめく。

 苛立たし気にラグスはウルリナを睨み付けるものの、強い意思を帯びた彼女の深紅の両眼は鋭く輝いている。

 そしてその気迫と闘気に反応し、紅蓮と暗黒に波を打つフレイムタンと黒剣には、対峙した者に息を吞ませる迫力があった。


「どうやら女だと思って迷いを見せていては、勝ち目はないらしい。女殺しは末代までの恥だが、仲間達の命には代えられん。ここからは本気を出させてもらう……」


 ラグスの形相が禍々しく変化を見せ、明らかに空気が変わった。

 そして彼は先ほどと同様に前傾姿勢で剣を構えたのだが、その瞬間のこと。

 運命の分かれ目は突然に訪れ、一方に味方した。

 ビキリと彼の剣に亀裂が生じて、そこを起点に瞬く間に剣身が砕け折れたのだ。

 それによって僅かに生じた隙、僅かな動揺だった。だが……。


「……隙を見せたな、ラグスっ!!」


 そう、それを見逃すウルリナではなく、地を蹴って間合いを一気に詰め、ラグスの首元に黒剣の刃を突き付けたのだった。

 さすがの彼も、これには負けを認めざるをえなかったのか、苦々し気な表情を見せて舌打ちをした。


「……くっ。運命に見放されるとは……いや、こんなチャチな剣では俺の技にはついてこれなかったか。だが、ウルリナ。俺達、東方騎馬民族を甘く見てはいないか? 俺達は誇り高き草原の民だっ! そう簡単に、敵に屈するなどと思うなよっ!」


 勝負は決した。しかし敗北が確定したにも関わらず、それでも彼はすぐに余裕を取り戻すと、不敵な笑みさえ浮かべて口笛を吹いた。

 すると、ややあって地面が大きく揺れ、轟音と共に陥没したかと思った時には、出来上がった穴から巨大で黒く長い何かが飛び出した。


「な、何なんだよ、あれはっ!! 黒い皮膚の、ミミズみたいな外見……もしかして魔種ヴォルフベットなのか!?」


「いや、あれは帝国より東、東方界外に生息する岩獣ロックイーターだ、タミヤ殿! 迂闊に近づいては、四肢など簡単に食い千切られることになる! くれぐれも気を付けて欲しい!」


 ガナンの説明にぞっとした僕は、反射的に岩獣ロックイーターの牙を剥き出しにした噛み付きを身を翻して躱したが、奴はそのまま東方騎馬民族達に襲い掛かっていく。

 十数人の彼らを、人呑みにしてしまうと、最後にラグスをも一口で喰った。

 だが、岩獣ロックイーターの中から聞こえてきたのは、ラグスの勝ち誇った笑い声だった。


「形勢逆転だな、ウルリナ。岩盤の柔らかいここまで来れば、こうして岩獣ロックイーターの体内に身を潜めて逃げおおせられる。だが、城から助け出してくれたことは、本心から感謝しているんだ。巡り合わせがあれば、また会うこともあるだろう!」


 東方騎馬民族達を飲み込んだ岩獣ロックイーターは、再び地中へと耳に劈く振動音を上げながら、潜り込んでいってしまう。

 あっという間の出来事、そしてあっという間に勝利を攫われた逆転劇だった。


「さすがだ。あんな化け物を手懐けているとは、伊達に帝国中央に反乱を企てている訳ではないと言うことか」


「敵を褒めてる場合かよ、ウルリナ。くそっ、あいつら。あの状況から、逃げ切りやがるだなんてさ……っ!」


 ウルリナはひたすら彼らに感心した様子を見せていたが、僕が抱いていたのは自分達の詰めが甘かったことへの反省と、最後の最後にひっくり返された敗北感。

 そして彼ら東方騎馬民族の強かで、確かな実力を感じ取っていたのだった。

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