火種
第五十三話【異界への誘い】
ここは「忘失の荒野」と呼ばれる場所だと、ガナンは言っていた。
名の由来は、ここには狂暴な肉食獣が住んでいるために、訪れた者の痕跡が「何もなかった」ことになってしまう。だから「忘失」なのだとか。
そんな場所で僕らは仮設テントを設置して、外で焚火をたいて暖を取っていた。
すでに辺りは日が沈んで、寒く暗くなっており、焚火の火だけが唯一の光源となっている。
「私達がこれから向かう東部領は、伯爵家であるグスタブルグ家が大部分を領有する地だが、あまり上品な人々が暮らす土地ではない。当主のグゥネス伯も完全に東部領を掌握している訳ではなく、要は治安が悪いのだ。しかし、だからこそ帝国中央から追われる私達が身を隠すには、打ってつけな場所だ」
ガナンは僕らがこれから向かおうとしている、東部領について説明してくれた。
焚火の周りには、ガナンを中心として僕とウルリナとユンナ、そして数十人の辺境騎士達が囲んでおり、皆がガナンの言葉に耳を傾けている。
正確には僕の隣には犬に姿を変えた聖騎士甲冑と、僕と再会したことの喜びを表しているのか、小刻みに振動をし続けている村正の姿もあるのだが。
「それでそこに向かう上で、問題になりそうな障害はあるのか、ガナン?」
「うむ、良い質問だ、タミヤ殿。中央領と東部領の境目に関所が一つあるだけだが、グゥネス伯の兵力の多くは領内の内乱を抑え込むために割かれていて、そこまで厳重ではない。私とタミヤ殿とお嬢がいれば、力づくでの突破も可能だ」
ガナンの説明に納得しかけた僕だが、辺境領は呪の障壁が築かれて以降、帝国内から情報も遮断され、孤立していたはずだ。
その情報は現時点でも信用出来るのか疑問に思ったが、僕の表情からガナンも考えていることを察したのか、付け加えてくれた。
「大丈夫だ、タミヤ殿。私は表舞台から姿を消してから、実際に帝国内を渡り歩き、この目で見て回っていた。名は明かせないが、ある信用出来る人物にも情報を提供して貰っている。この情報もその人物からのもので、信頼性は高い」
「そうか。ガナンが言うんだ、間違いはないんだろうけど、また人間同士との戦闘は避けられない訳か。確かに帝国も僕らにとっては、敵だ。けど……その争いをいつか
僕は難しい顔をして、帝都での戦いを思い出していた。
人類の総本山である帝都ギルダンまでが襲撃を受けた以上、人々にとって心の底から安全だと言える場所など、もう大陸のどこにもないと言うことだろう。
数百万を軽く越えると言う
「タミヤ。言いたいことは分かるが、父を殺され、辺境領を燃やされたその恨みを私が忘れるとしても、向こうが矛を収めてくれるか疑問だぞ。勿論、テロメア陛下は立派なお方だが、たった一人の感情では、国民の意識は変えられはしないんだ」
「……ああ、僕だって身に染みているさ。中央の連中が僕らに対して差別感情を抱いていて、
言葉に出来ない思いを胸に抱きながら、僕は天を仰ぎ見た。
空は今にも雨が降り出しそうな程に、淀んでいる。
どうするのが正しい選択肢なのか? 考えてみても、答えはすぐに出てこない。
だが、呪の障壁を消失させた時のように、僕にとって最優先で守りたいのは顔も知らない人々ではなく、あくまでウルリナやガナン達なのだ。
恐らく僕が心配しているのは帝国の行く末などではなく、戦いが終わった後のウルリナ達の帝国内での立場のことなのだろう。
しかし帝国も
「……なあ、ガナン、ウルリナ。そろそろ一雨来そうだし、もう就寝の準備をした方がよくないか。僕が見張りをしておくから、皆は先に休んでてくれよ」
「見張りか。それなら私も手伝うぞ、タミヤ」
見張り番を買って出た僕にウルリナが手伝いを申し出たが、少し考えたいことがあるから一人にして欲しいと断ると、彼女もすぐに納得してくれた。
それを切っ掛けに焚火を囲んでいた皆は、一人また一人と立ち上がり始める。
そして皆がそれぞれ仮設テントに入っていくと、やがて辺りは静寂に包まれた。
唯一、ガナンが言っていた通りに、闇の中から肉食獣達がこちらを窺っている息遣いだけが、聞こえてきている。
僕はそいつらが襲ってこないように睨みを利かせると、考えをまとめるため、物思いに耽った。
「なあ、女神様。あんたが僕をこの異世界に召喚した理由は、
僕は誰に言うともなく呟くが、当然ながら返事は返ってこない。
それでもしばらく無言のまま焚火にあたっていた僕だったが、やがてぽつぽつと雨粒が顔を叩き始め、瞬く間にそれは土砂降りの雨となった。
側にいた聖騎士甲冑の犬が僕の体に身を寄せ、くぅぅんと鳴くが僕は雨を避けるためにこの場から動こうと言う気になれず、雨に身を打たれるに任せていた。
――だが、その時のことだった。
僕の視界の端に、何か動くものが見えたのだ。
最初は痺れを切らした肉食獣が襲ってきたのかと思って警戒を強め、鼻を動かして匂いを探ってみたが、この雨では嗅覚はあまり使い物にならなかった。
僕は腰を起こして、鞘からセイブザクイーンを抜き放つ。
そして手探りで何かが見えた場所へと、用心しながら近づいていった。
「誰だ? そこにいるのは分かっているんだ。出てきたらどうだ?」
僕はいるはずの何者かに向けて言葉を放ったが、相手から反応はない。
そこで僕はいつでも攻撃に入れるように臨戦態勢を維持したまま、目を凝らす。
すると、そこには確かに人の姿があった。
いや、そこにいた人物は、僕にとっても見覚えがある……肩まで伸ばした茶色の髪、そして赤黒い竜の鱗のような鎧を着込んだ女性。そう、僕の姿だったのだ。
「なっ、僕……っ!? いや、これは鏡か……? 激しい雨がまるで鏡のように、僕を映しているだけなんだ」
拍子抜けした僕は安心して臨戦態勢を解くと、セイブザクイーンを鞘に戻す。
そして好奇心から、雨に映った自分に向けて手を伸ばしてみたのだが……。
すると、僕の理解を超える出来事が起こった。
鏡面がまるで扉か何かのように、僕の体がその中へと通り抜けたのだ。
「な、何だって!? ここはっ……!!」
そこは高度な技術力で建造された建物の内部だと思われ、天井も遠く高い。
明らかに僕がたった今までいた場所ではなく、まるでどこかの別空間に入り込んだのではないかと、目を疑った。
咄嗟に背後を振り返ってみても、僕が入って来た鏡面の入り口らしき物はすでに見当たらず、ただ前方に奥へと続く一本道があるのみなのだ。
「……っ!? 敵の術中に落ちたのか、僕は? だとしたら、この敵の狙いは……」
退路はないと悟った僕は、動揺していた気持ちを努めて落ち着けさせた。
だが、日の光が差している訳でも明かりが灯されている訳でもないのに、一定の明るさが確保されているのは幸いだが、この異常な静けさは僕の不安を駆り立てさせるには十分だった。
「……上等だよ。僕を孤立させて一体、何を企んでいるか知らないけど、僕に用があるって言うなら、その挑戦を受けてやる」
僕は胸中にざわめく不安な気持ちを押し殺すと、この先に何が待ち受けているかを確かめるべく、僕は建造物の最奥を目指して踏み出していった。
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