第五十四話【告げられる真実、深まる謎】

 進むにつれ、奥から激しい水音が聞こえてくる。

 この建物にある窓の外は漆黒の闇が広がっていて向こうを見通せないが、恐らく強い雨が窓を叩いているのだろう。音からして、それは伝わってきた。

 だが、通路の奥からはそれとは比べ物にならない程の、まるで洪水を連想させる凄まじい大音量がここまで届いてくるのだ。


「何があるって言うんだ、この先には? 建物内に川でも流れてるってのか?」


「くぅぅぅん……わん、わん」


 最奥を目指すそんな僕の後を、一緒にこの建物内に入り込んでしまったらしい聖騎士甲冑の犬も、軽い足取りでついて来ている。

 口には村正を咥えており、その様子は僕を守ろうとしているかのようだ。

 そんな頼もしいお供を伴って、先へと進んでいった僕だったが、信じられない光景が待ち受けていた。ここに来て、大きな水音の理由がようやく分かったのだ。


「こ、これは……っ、滝か!?」


 そこは非常に大きな高低差を持った珍しい構造になっており、ここまで通ってきた通路とは一線を画していた。

 平たく言えば、建物の上部から下部に向けて激しく、それでいて壮観で巨大な滝が流れ落ちてきているのだ。

 僕は驚きつつも滝の周辺を周到に見渡してから、今度は頭上を仰ぎ見てみる。

 すると、建物の壁に沿って螺旋を描くように階段が上へと続いており、少なくともここで立ち往生と言うことはなさそうだった。


「……行くしかないって訳か。くたびれ損にならないことを、祈るしかないな」


 最上部まで上がるのはかなり体力を要しそうだったが、退路が見つからない以上は、先へと進むしかない。

 僕は重い気持ちを押しつつ、意を決して螺旋階段に一歩を踏み出していった。

 上れど上れど、壮大なる滝は僕に存在感を示し、傲然と建物内にて佇んでいる。

 肌にはひんやりと冷たい空気が触れ、もしここへ来た目的がピクニックだったとしたら楽しかったろうな……と、ふと下らない想像が頭をよぎった。


「おい、お前。しっかりついて来いよ。足元には絶対に注意して、落ちるなよ?」


 僕は後を追うように階段を上って来ている、聖騎士甲冑の犬に声をかけた。

 だが、さすが犬の形態を取っているだけあって、人間以上の身のこなしをしており、スタスタと苦もなく上って来ている。どうやら無用の心配だったらしい。

 犬が咥えている村正の飛行能力でひとっ飛び……と、そう考えもしたが、どういう理由かこいつはその姿を犬から変えることはせず。

 そして村正も、鞘から抜かれることを拒んでいるようだった。


「まだ僕に対して怒ってる、って訳じゃないよな? こんなに人懐っこく、僕について来てるくらいだしな」


 だが、すぐに犬の心配より自分の心配だと思い直し、僕は再び前方を向いた。

 足場を踏み外そうものなら、間違いなく真下の岩場に叩き付けられて死は確実。

 下を見ないように、冷静に努めて、僕は一段一段を踏み上がっていった。

 ただこのような不安定な足場で敵が襲ってくる気配がないのだけが、救いと言えたかもしれない。


 ――しかしそんな過酷な試練も、やがて終わりを迎える時がやってきた。


 足に重さを感じ、段数を数えるのも面倒に思ってやめてしまった頃、いよいよ僕の前に終着点が見えてきたのだ。

 螺旋階段の最後の段を上り切った時、そこにはたった一つの扉だけがあった。

 滝の高さをすでに追い越した最上部から、僕は恐々と下を見下ろしてみたが、一番下の床との高低差はおよそ百メートル強と言った所。

 滝を螺旋状に囲むようにたった今、上がって来た階段が最下部まで下っている。


「……おっかない光景だ。せめて手すりぐらいは、設置しとけよな。もし誰かが誤って、ここから落ちたらどうするんだ」


 誰に言うともなく憎まれ口を叩くと、僕は後ろを振り返って扉と面と向かった。

 扉には左右対称の女神が描かれており、二対のドアノブを回して押すことによって左右に開く仕組みになっているようだった。

 だが、用心に用心を重ねるため、すぐに開けることはせずに、僕はまず扉に耳を当てて中の気配を探ってみる。


「……人の息遣いも、誰かが動いている気配もまるでなし、か。無人の部屋……まさかここまで上ってきておいて、無駄足ってことはないだろうな」


 扉の先に誰もいないことを少なからず落胆したのと同時に、一安心した僕はドアノブを回してゆっくりと押し開いていった。

 だが、僕が視線を向けた先、予想外にもそこで待っていたのは……四方から水が流れる壁と、その最奥にある玉座に鎮座している、一人の美しい女性の姿だった。

 その女性の髪は腰まであり、髪の色は漆黒に染まっている。

 そしてサファイアのような青色の目をしているのだが、一際僕の目を引いたのは、その頭から生えている五対の角だった。


「ば、馬鹿な……っ! 誰なんだ、お前は!? この部屋からは人の気配なんて、外からはまったく感じなかったぞ!」


「そう警戒しないで欲しいかな、斉藤タミヤ君。私は君に危害を加える気なんてないんだよ」


 謎の女性から妙にのんびりとした声で話しかけられ、急速に僕の中で驚きと警戒感が収まっていくのを自分でも分かった。

 なぜならその声質には敵意はまるで感じられず、聞いた者を安心させる響きがあったからだ。

 だが、それでもこの女はどういう訳か、僕の名前を知っている。

 まだ万が一にも敵である可能性がある以上、手の内を晒す訳にはいかないと僕は探りを入れた。


「危害を加えるつもりがない? 信用出来ないな、こんな場所に僕を引きずり込んだのはお前だろう。本当に敵でないと言うなら、まずはお前から正体を明かすんだ」


「えへへへへ、それもそうだね。私はユーリティア。この異世界に君を召喚した張本人と言えばいいかな。ずっと君と接触しようと頑張ってたんだけど、中々繋がらなくてね。こうして顔を合わせて挨拶するのが、ずいぶん遅れちゃったんだよ」


 仰天するような事実をこの世界の女神と同じ名を名乗った彼女は、事もなげに言い放つと、明るい表情で僕に笑いかけた。

 その言葉が意味する重大な事実に反して、その顔は人の警戒心を解かせるような柔和な笑みで、やはり僕に安心感を抱かせたのだ。


「お前が……っ、女神ユーリティア!?」


「うん、そうだよ。君を地球から召喚したのは、私なんだ。君が一番、私と波長が合ってたからね。でも、荒っぽい召喚方法になったのは、申し訳なかったかな」


 僕は思い出していた。この世界に来る直前、僕が運転する車に槍のような物が飛来して、車が大破。重症と言える傷を負って、意識を失ってしまったのを。

 そして目が覚めれば、僕はいつの間にかこの世界の森中で寝そべっていたのだ。

 疑問が次から次へと湧き、何から質問しようかと逡巡していた所、先に彼女の方が口を開いた。


「君が書いた小説『滅びゆく世界のキャタズノアール』は読ませてもらったよ。私を夢中にさせてくれたこんな大作を書ける人なら、きっと私と波長が合うはずだと思ったんだ。波長が合う、それがこの世界に私が人を喚ぶ上で、不可欠だったからね」


「……っ!? 僕の小説を、お前が?」


 異世界の女神を名乗る人物が僕の小説の読者だったと言う、まさかの事実。

 あまりの意外性と、感想を述べてくれたことへの作者として嬉しい気持ち。

 もう何から突っ込んでいいのか分からなかったが、一つだけ頭の中で浮かんだ疑問を僕は言葉にして絞り出していた。


「お前は何をさせるために、僕をこの世界に喚んだんだ? この世界には敵が多すぎる。帝国に、魔種ヴォルフベットに……教えてくれ、僕が戦わなきゃいけない相手と理由を」


「んん~~、とね。君の世界にまで悪影響を及ぼそうとしている、そんな存在がいるんだ。原因不明と言われてた皆既日食が、君の世界では起こっていたよね? もしその相手を止めることが出来なければ、それは永続的に続くことになる。日の光が一切差さない、暗黒の世界になってしまうんだ。その相手って言うのはね……」


 女神ユーリティアは更に言葉を続けようとしていたが、その時だった。

 突然、周囲の壁や床が歪み出し、大きな揺れまでもが部屋を襲って、立っているのも困難となり始めたのだ。それを見て、彼女の表情に焦りの色が浮かんだ。


「ああ~、せっかく君と繋がったのに、もう時間切れみたいだね。最後に、君に新しい力をプレゼントしたいんだ。私が君に与えた天の才器、身に着けた装備の潜在能力を引き出す『創造創者』を補完する能力になるよ。ぜひ、役立てて……」


 女神ユーリティアがそこまで言った時、世界が大きく斜めに傾いた。

 僕は必死の形相で傾いた床から振り落とされないように、指先で床の僅かな突起にどうにか掴まろうとするが、そんな抵抗も空しく……。

 続け様に空間にピキピキと亀裂が入り、景色が消し飛んだのだ。

 何も見えない足場もない暗転した世界で、僕はただ真っ直ぐに落下していく。

 そして眼下で仄かに見えた唯一の光源に吸い込まれていった先で……。


 ――僕が目を見開いた時、その光景が目に飛び込んできた。


「はっ!? こ、ここは……っ!」


 淀んだ空から降り注いでいた雨が、止みかけている。

 そこで僕は地面の上で天を見上げながら寝転がっていたのだ。

 状況を理解して立ち上がり周囲を見回すと、僕らが張った仮設テントが幾つも並んでいる、あの不思議な世界に行く前の場所だった。


「わん、わんっ!」


 足元では聖騎士甲冑の犬が僕を見上げながら、鳴いている。

 どうやらこの犬も僕と一緒に、あそこから戻って来れていたようだった。

 僕は微笑みながら腰を屈めて犬の頭を撫でてやると、雲の切れ目から光が差し込んでいるのを見て、すでに朝を迎えていたのだと悟ったのだった。

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