戦いの終わり、そして始まり

第四十五話【現れたるは……】

 マドラスの肉塊が完全に滅びた後、消え去っていた環境音と場の色彩が次第に戻り始めていく。

 改めて彼らの戦闘による破壊跡を見回したユンナだったが、二人の戦いがどれだけ凄まじかったか、それがより正確に見えてきた。


「凄い、次元が違います……。ウルリナ様、あの男と戦うおつもりなら生半可な戦力じゃ、立ち向かうことすら無謀かもしれないですよー……」


 そんなユンナの心境を余所に、彼女の隣で戦いを見守っていたメフレはネルガルの元へと、弾かれたように走り駆け寄っていく。

 普段は狂気に満ちている彼女の表情は、今は満面の笑みだった。


「ネルガル将軍っ、やりましたねぇぇ! お見事でしたよぉぉ」


 ネルガルはそんなメフレを抱き留めて頭をくしゃくしゃと撫でてやると、自分が来るまで戦ってくれた彼女の頑張りを笑顔で以って労っていた。

 しかしユンナはその微笑ましい光景を見ても、素直に喜ぶことは出来なかった。

 なぜなら、もし自分がウルリナに加担している反逆者だと知られれば、ただでは済まないと分かっていたのだから。

 

「ネルガル将軍、メフレ。貴方達のお陰で命拾いしましたけど、ここでお別れですねー。私達が敵同士の関係なのは今も同じ。そして私にはまだウルリナ様と一緒にやるべきことがありますから、捕まる訳にはいかないんです」


 誰に言うともなくユンナはそう呟くと、天の才器にて姿を消し、踵を返した。

 だが、立ち去る前に空を見上げ、変わり果てたテロメアの姿に顔を曇らせる。

 そこでは自分達のために化け物となって戦ってくれた彼女が、痛ましい傷を負い、今も空に浮かんでいたのだから。


「テロメア陛下、貴方から受けたご恩は決して忘れませんから。機会があれば、いずれまたお会いしたいですよ。ですけど、今日の所はこれでお別れです」


 そしてユンナはテロメアに感謝を述べると、この場を後にしようと歩き出す。

 だが、その途中でネルガルとメフレの会話が、自然と彼女の耳に入ってきた。


「テロメア、ずいぶんな姿になっちまったな。投薬してその症状を抑えようにも、設備は皇居と一緒にぶっ壊れちまったか」


 投薬。設備。図らずも聞こえてきた、ネルガルの言葉の数々。

 それによって、ユンナはテロメアが何のためにあの寝室で投薬を受けていたのか、少しだけ理解することが出来た。

 恐らくはあのチューブから彼女に投与されていた薬は、あの化け物となる症状を抑えるためのものだったのだと。


(テロメア陛下、貴方も私みたいに深い業を背負って生きておられたんですねー。いえ、私なんかよりもずっと……)


 ユンナはその様子を立ち去りながら横目で見ていると、ネルガルはメフレを離れさせ、再び全身に炎を纏って上空のテロメアの眼前まで飛翔していく。

 しかしその顔は悲し気で、彼女のその異形をただ見つめる彼のその姿は……。

 いつもの豪放磊落な彼とは違い、どこか感傷的であった。


「俺の言葉がちゃんと聞こえて理解は出来てるか、テロメア? その体を元に戻してやりたい所だが、まずは設備がある施設まで行かねぇとよ。ついてきな、テロメア。まずは場所を変えるぜ」


 ネルガルの言葉に、テロメアは返事を返さなかった。

 しかし言葉の意味は理解は出来たのか、彼が何度も後ろを振り返りながら先に空の道を飛んで移動していくと、彼女も飛行してそれに追随していく。

 彼女には救われて欲しいと願いながら、ユンナは今度こそ、視線を前に戻した。

 まずは別行動を取っていたウルリナの無事を確かめて、合流するべく、この場を後にしたのである。



 ◆◆



 ユンナが皇居がある島と帝都を繋ぐ大橋を渡り切ると、先ほどまで帝都中を包み込んでいた霧は次第に晴れ始めていた。

 術者である二体の魔種ヴォルフベット達を倒したことで、術の効果も消失したのだろう。

 だが、それ以上に彼女を驚かせる事態がそこには待ち受けていたのである。


(ど、どうしてここにー……。タ、タミヤ様っ……!?)


 そう、ユンナが目にしたものとは……。

 タミヤが手勢の中央騎士達を従えて、大橋の周囲を取り囲んでいる光景だった。

 確かに今、彼女は透明になり姿を見られないように隠しているが……。

 しかしこれだけの包囲網を潜り抜けるのは至難だと、彼女自身も分かっていた。


「鼠一匹通すんじゃないぞ、お前ら。ここであの女を見たって目撃者がいるんだ。絶対にあの女は、ここから逃亡を図ろうとしている。まあ、見つけ出すのは僕の仕事だけどな」


 タミヤは部下達にそう言い放つと、一人だけ部下達から離れて、大橋のある所へと真っ直ぐに歩き出す。

 しかもユンナを驚かせたのは大雑把とは言え、自分のいる方向へと向かって来ていることだった。


(っ!? ど、どうして分かるんですかー……)


 タミヤに自分は見えてはいないはずだと、ユンナは自分に言い聞かせて距離を取っていくが、それでも彼女を撒くことは出来なかった。

 次第に距離を縮められ、追い詰められていることにユンナは焦りを募らせる。

 恐らく自分は視覚で追跡されているのではなく、別の何かによって……と、ユンナがそう考えていた時。


「そこだな、見つけたぞ、ユンナ。久しぶりだな、まさかこの帝都でお前とまた会えるなんてな」


 ついにタミヤが確信したようにそう呟き、ユンナの方を正確にぎろりと睨んだ。

 ドキリとしたのも束の間、彼女はすぐに抜剣して、腰を低くして剣を構えた。

 ユンナにもよく見覚えのある、あの牙神の構えをである。

 それと同時に反応する暇さえ与えない迅速さで、彼女は地面を駆けた。


「『牙神』っっ!!」


(っっ!! よ、避け、切れな……っ)


 ユンナも短剣を抜いて防御体勢をとるが、刃の部分が短くては受けきれない。

 だが、それでも他に選択肢はない以上は、手持ちの武器であの牙神を受けざるを得なかったのである。

 彼女は咄嗟にそう苦渋の決断を下し、防御に踏み切ったのだが、しかし……。


 ――瞬間、地面に鮮血が飛び散った。


 傍目には何もない空間から突然、真っ赤な血が噴き出したように見えただろう。

 だが、そこには実体のあるユンナがいて、そして負傷によって透明化を維持できなくなったのか、彼女の全身が衆目の前で明らかとなった。


「やっぱりそこにいたな、ユンナ。ネルガル将軍からの命令で、ここで見張ってて正解だったよ。お前の匂いはよく覚えていたからな。僕の天の才器を使いさえすれば、見つけるのはそう難しいことじゃない」


 剣を振って剣身に付着した血を払ったタミヤは、振り返りながらそう言い放った。

 その目からは、ユンナでさえ見たことのない程の殺気が放たれている。


「匂い……なるほど、匂いでしたかー。それが私の居場所を特定した、貴方の天の才器……?」


 その問いには答えずに、タミヤは血溜りの中で膝をつくユンナに近づいていく。

 そして多量の出血により、動くのもままならない彼女の眼前に立つと、剣をその首元に突きつけた。


「ウルリナもお前と一緒に行動していたはずだ。あいつがどこにいるか、口を割ってもらうぞ、ユンナ」


「……へええ? 安心しましたよー、タミヤ様。その様子じゃ、どうやらウルリナ様はまだ貴方達の手には落ちては……」


 瞬間、鈍い打撃音が響いて、ユンナの体が跳ね飛んだ。

 顔面を殴られたのだと彼女が理解したのも束の間のこと、今度は蹴りが飛んだ。

 脇腹を強い衝撃が襲い、彼女は地面を転がりながら咽返る。

 そしてタミヤは地面に蹲るそんな彼女の頭を踏みつけて、侮蔑するような目で見下ろした。


「立場が分かってないようだな、ユンナ。僕はこの場でお前を殺せる生殺与奪の権利を持ってるんだ。吐けよ、おい。その可愛い顔を切り刻んでやってもいいんだぞ」


「ふ、ふふふ、ずいぶん悪党が板についてきましたねー、タミヤ様。失態を犯したら愛しのクシエル師匠に叱られちゃいますもんね、そりゃ必死になりますよねー」


 それでもあくまで反抗の意思を見せて嘲笑うユンナの顔を、タミヤは足で力一杯に地面に押し付けると、そのまま剣で彼女の右腕を突き刺した。

 そして堪らず嗚咽を上げるそんな彼女の頭を掴んで、無理やり立ち上がらせる。


「良い度胸だな、ユンナ。そこまで覚悟があるって言うなら、分かったよ。拷問にかけてやる、僕が自らな。五体満足のままでいられると思うなよ」


 タミヤのその脅しを聞いても、ユンナの顔に怯えた様子はなかった。

 むしろ彼女を小馬鹿にした表情で、駆け寄ってきた中央騎士達に連行されていく中でも、薄ら笑いを浮かべていたのである。

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