第四十六話【ユンナの告白】

 頭が酷くズキズキする。

 目を覚ましたユンナがまず感じたのは、割れるような頭痛だった。


「ん、うう……っ」


 手を伸ばして頭の状態を確認しようとするものの、手足がまったく身動き出来ないように固定されていることに気付く。

 そこで今度は顔だけを必死に動かして、自分の体を確認してみたのだが……。

 どうやら手足が、太い鎖で幾重にも縛り付けられているようだった。


「そう、でしたねー。私はあの時、タミヤ様に捕まって……」


 次第に意識を失う前のことを思い出してきたユンナは、自分が今いる場所はどこなのか視線を動かして探ってみようと試みる。

 その結果、彼女がいるのはどこかの室内で、椅子に座らされた状態で手足を拘束されていることと、それが簡単には解けそうにないことが分かった。

 そして窓からは光が差し込んでいるため、今の時刻が日中なのは間違いない。

 口の中では少し血の味もするが、あの時にタミヤに殴られたためだと思われた。


(参りましたねー……。これから私は拷問を受けるんでしょうけど、助けが来るなんて希望的観測はしない方がよさそうですね)


 ユンナはその諦めたような心の呟きとは裏腹に、それでも頭を回転させて打開策がないか考えを巡らせていた。

 助けが期待できないなら自力で脱出してやると、逞しくもそう考えていたのだ。

 だが、現状ではまだそれは無理だと言うことも、すぐに理解する。

 膂力に自信がある彼女でも、この幾重もの太い鎖はどうにも出来ないと試してみた結果、分かったからだ。


(気長に機会を待つしかないですねー。愛用の短剣は奪われたようですけど、私の手持ちの武器はそれだけじゃありません。私にとって五体そのものが凶器ですし、体内に仕込んだ武器の数々が、私にはまだありますから)


 ユンナは出来るだけ心を静めて、チャンスを決して見逃さないように努めた。

 最悪殺されるかもしれないが、生き延びるにはタミヤを出し抜くしかないと、そう思考していた、十数分後のこと。ようやく事態は動き出したのだった。

 誰かの足音が部屋の外から聞こえ始め、いよいよかと緊張が否が応でも高まる。

 そして足音はついに部屋の前で止まり、彼女が座らされている椅子の正面の扉が開くと、そこからよく見知った人物が入ってきた。


「どうやらようやくお目覚めみたいだな、ユンナ」


「タミヤ様、やっとお出ましですかー? ふふ、クシエル師匠は一緒じゃないんですねー。言っておきますけど、私は貴方なんかに何も答える気はありませんから」


 そう、現れたのはタミヤだった。

 初めて出会った時よりも眼差しは険しくなっており、手加減など期待出来そうにないことを悟りつつも、ユンナは悪態をついた。

 ここまで嫌な態度を取ったのは、彼女ではなく彼女をここまで変貌させたクシエルに屈したくない気持ちがあったからだ。

 だが、タミヤは怒るでもなく落ち着き払った様子で、手にした包装から注射器を取り出すと、それを見せるようにして言った。


「これが何だか分かるか、ユンナ? お前がいくら強情を張っても、これの前では隠し事なんて出来やしない。これはチオペンタールナトリウム、ようは自白剤だよ」


「っ!?」


 ここに来て、ユンナの顔に初めて動揺の色が浮かんだ。

 これもクシエルがこれまでに捕虜を対象に行ってきた、常套手段の一つ。

 毒などに対する抵抗力は備わっているが、あれの濃度量によっては自分は洗いざらい喋ってしまうかもしれないことに恐怖を覚えたのだ。

 そして今まさにタミヤがそれを行おうと、注射器を片手に彼女に近づいてくる。


「安心しろよ、ユンナ。お前にはまだ人質としての価値がある。廃人にならないよう、まずは低容量に抑えて投与してやるから、せいぜい抗ってみるんだな」


 そう言うとタミヤは、まずは空打ちをしてからユンナの手の甲に注射針を刺すと、全投与量を注入していく。そしてその効果は、すぐに彼女に現れ始めた。

 有効成分が吸収されたのか、ケタケタと笑い出したのだ。


「それじゃ、まずは試しだ。お前の経歴から聞かせてもらおうか。お前は何者で、どんな人生を歩んできたのか、僕もほとんど知らないからな」


「わ、私は……私はー……ふふ、言えません。誰が貴方なんかに」


 ろれつは回っていないものの、ユンナは頑なに語ることを拒んでいる。

 まだ減らず口を叩けることに今の濃度では弱いと察したのか、タミヤは改めて別の注射器を手にして、手の甲に針を突き刺し自白剤を注入していった。

 すると、これまで以上にユンナの表情に明らかな変化が現れた。

 目は虚ろで心はここにあらずと言った感じで、口からは涎を垂れ流している。


「あ、うあ~……わ、私は……ユンナ・レシリモール。帝国東部領の生まれでー……物心ついた時にはー……貧民街の片隅で、残飯を漁って生きて、ました」


 自白剤の効果が現れ、聞かれた通りのことをペラペラと話し始める、ユンナ。

 だが、眠気が襲ってきたのか、その顔はうつらうつらとし始めている。

 そんな彼女の頬をタミヤは引っぱたいて意識を覚醒させると、尋問を続けた。


「無気力で……地べたに這い蹲って日陰で暮らしてた、私を……救って下さったのはクシエルお師匠、だったんですよー。けど、救われたと思ったのは、最初だけで……あの男は、私を奴隷として、こき使いました。よく殴られましたけど……手足として、有効に使うために、学問を教えてくれて。だけど……あ、うあうぅぁー……」


 そこまで吐いてから、ユンナの様子がおかしくなった。

 全身をガクガクと震わせて、顔は恐怖と怒りが混ざった表情に変わったのだ。

 思い出したくない、心の傷に触れたせいかもしれなかった。


「人体、実験……何度も何度も……私を。許せない、クシエル師匠……。許さない、クシエル……いつか、殺してやります、絶対に……」


「そういうことか。お前とクシエルが顔見知りで、妙に険悪だった理由が分かったよ。けど、聞き捨てならないな。クシエルを殺すだって、お前が? 僕がそんなことを許すと思うのか? ええ、おい? ユンナ!」


 タミヤはユンナの顎を掴んでぎりぎりと力を込めていくが、自白剤が効いているために、その脅しの意味すら理解している様子はなかった。

 それを見て舌打ちをした彼女は怒りを堪えつつ、いよいよ尋問の本題に入った。

 最も重要な情報、ウルリナの現在の居場所を聞き出すために。


「ウル、リナ様とは……私がテロメア陛下の元へ向かう、ために……別行動を。あの方は、魔種ヴォルフベットの相手を一人で引き受けられて、私は……先に皇居へ……。後で落ち合う約束をして、今は……分かりません」


 焦点の合わない目をしたユンナにタミヤは繰り返し質問したが、結果は同じ。

 時間をかけても、これ以上の情報を引き出すことは出来なかった。

 本当に知らないのだと分かったタミヤは失望を感じながら、彼女から離れた。


「帝都を襲撃した魔種ヴォルフベットは、二体いたと聞いている。その内の一体はネルガル将軍が倒し、もう一体はすでに動く屍となっていたけど、僕がとどめを刺した。けど、そのウルリナは姿形も見当たらなかった。だとしたら、あいつはどこにいる?」


 タミヤは少し考えた様子を見せたが、何かを閃いたのか、今も虚ろな顔で涎を垂らしているユンナの頭を手で掴んで耳元に顔を近づけた。

 そして同情も慈悲の欠片もない、身も心も悪の道に堕ちたタミヤが考えたウルリナを炙り出すための最悪の手段を……。彼女のその耳に呟いたのだ。


「あ、ああー……や、やめいぇください、タミぁ様ー。ウル、リナ様を、どうぢて、そんな目の仇に、するんですかー……あの方は、今でもあなだを仲間だと……」


「決まってるだろ、ユンナ。僕はクシエルのためなら、何だってする。ウルリナを誘い出すために、あいつらを生贄を捧げてやるさ。この帝都にいるんなら、あいつの性格からして間違いなく姿を現すはずだ」


 表情を絶望に染めていくユンナに、タミヤはまるでそれを楽しんでいるかのように笑いかけると、背を向けて部屋から出ていった。

 後に一人残されたユンナはぼろぼろと涙を流し、ろれつが回らない口調でウルリナの名をただ何度も繰り返し呼び続けていたのである。

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