第四十三話【邪悪なる胎動】

 空が歪んで見える程の障気が放出され、皇居内を覆い尽くす。

 それは正の気ではなく、テロメアらしかぬ圧倒的なまでの邪気だった。

 だが、そんな彼女を見据えると、床に倒れ伏していたマドラスが腰を起こして立ち上がった。


「……単純な力なら、己よりも上か。スピードもかなりのものだ。だが、それに振り回されているようにも思える。その強さが如何程のものか、如何程の脅威なのか、確かめてみねばなるまい」


 マドラスはそう言いつつ、床を踏み抜いて瞬時にしてテロメアへと駆けた。

 それは彼の姿が掻き消える程の動き。しかしそれに反応するかのように、彼女の上半身が解けて無数の触手となり、迫りくる彼に襲い掛かっていく。だが……。


「『魔王斬』っ!!」


 マドラスが負の波動を纏った剣を斜め上から斬り込み、その刃が激しい激突音と共に、止まった。いや、受け止めた触手がぐずぐずと腐り落ちていっている。

 つまり先ほどよりも、剣が負の波動を強く纏っていると言うこと。

 それでも負けじと迫る触手達を、彼は恐るべき技量で次々と打ち払っていった。


「これで終わりではあるまいっ、皇帝!? 己にお前の真の力を見せてみるがいいっ!!」


 猛烈な勢いで駆け抜け、ついにテロメアの首に、マドラスの剣が間近まで迫る。

 だが、対する彼女は右手を振り上げると、無造作にそれを振り下ろし……。

 途端、赤黒い光と炸裂音が轟き、床が大きく吹っ飛んだ。

 まるで床板など最初からなかったように、そこには深い穴が口を開けていた。


「テ、テロメア陛下っ!? ご、ご無事ですかー!?」


 壁や天井が崩れて塵が舞う、皇居内。そんな戦いの場で何とか勝負の行方を見守ろうと、目を凝らしていたユンナだったが、テロメアを心配して思わず叫んでいた。

 そして塵が晴れ上がった時、彼女が見たのは……。

 それぞれに軽度のダメージを受け、間合いを計って飛び下がっていたマドラスとテロメアの両者だった。


「へ、陛下ぁぁ……」


 メフレもまたテロメアの姿を確認して、一安心したのも束の間のこと。

 すぐさまマドラスが鬼気迫る勢いで、彼女へと斬りかかっていくのが見えた。

 それに対し、彼女の肉体がまたも解けていき、その下半身が巨大な籠のような網の目状となっていったと思った時には……。

 数階建ての皇居の天井を破壊しながら上空へと飛翔していき、空中にて静止していたのである。


「う、うう……皇居が、こんな有様になりましたけどー。テロメア陛下さえご無事なら……。けど、メフレ。陛下のあの姿は何なんですかー?」


「わ、分かりませんよぉぉ。あたしちゃんだって初めて見たんですからぁぁ。だけど、一つだけ言えるのは……陛下の身から立ち昇る気配は、六鬼将よりも遥かに上だってことです!」


 崩れ落ちた皇居の瓦礫を退かしながら、空に浮かんでいるテロメアを見上げてユンナとメフレは事の成り行きを静観しようとしていた。

 そして二人が視線を走らせてマドラスの姿を探し求めると、彼もまた瓦礫の中から彼女の巨体を見上げているのが見えた。


「あれほどの巨体で飛ぶ、か。さながら移動要塞と言った威容だな。よもや惰弱な人間共の皇帝を抹殺する仕事に、ここまで手を焼かされるとは思わなかったぞ」


 マドラスが剣をさっきと同様に、瓦礫の下で転がる騎士達の死体へと翳す。

 すると、またもや死体達から赤い魂が吸い取られるように剣に集約し始めた。

 いや、その規模は先ほどよりも広範囲に及んでいる。


「これが今度こそ正真正銘の全力で放つ、この己の最高奥義『魂喰いの打破ソウルブレイカー』だ。この場でとことん己と白黒つけてみるか、皇帝よ?」


 そう言い放ち、マドラスは下段に剣を構えて攻撃の姿勢を見せた。

 その剣身には赤いオーラが纏わりつき、しかし上空からそんな彼と対峙するテロメアは、浮遊したまま微動だにせず。

 そしてそんな僅かな膠着の中、先に動いたのは彼だった。


「試してみるとしよう。人間共の希望であるお前が、どこまで我ら高貴なる魔種ヴォルフベットの力に抗えるものかをなっ!」


 マドラスが下段の構えを取ったまま、緩慢にオーラを高め始めた。

 下段の本質は一動作にて、上空に対し攻撃できる攻撃的な構えである。

 その剣は下からの振り上げでも、上段からの振り下ろしに決して劣らない。

 特に使い手が魔種ヴォルフベットを統べる彼であるなら、尚更だった。


「ゆくぞ、皇帝! 今一度、受けてみろっ、己の最高奥義をっ!!」


 上空を見据えながら、ついにマドラスが下段から剣を振り上げる。

 発動と同時に彼の足下が激しく爆散。破片が周囲に巻き散らかされ、剣身から放たれたのは、天を衝くかのような勢いの赤いオーラを帯びた衝撃波だった。

 それがテロメアに向かってオーラ状の斬撃となり、襲い掛かっていく。


「さあ、見せてみろ! 己の最高奥義に対し、お前はどう対応する!?」


 奥義を繰り出した後も、冷静にその結果を見届けようとするマドラス。

 そしてそれでも尚、不気味に沈黙を保ち続けるテロメアだったが……。


 ――ぶんと、凄まじい音がして、テロメアの姿が掻き消えた。


 そのあっという間の出来事に、ユンナとメフレ。そしてマドラスまでも辺りを見回して、その行方を捜したが見つからず。

 しかしこの場の全員がテロメアの姿を見失って、十数秒が経過した時だった。

 突如、地面が吹き飛び、散らばる皇居の瓦礫と共にマドラスの体が上空に巻き上げられたのである。


「むううっ、全身を触手化させて、地面を這っていた訳か! 小癪な真似を!」


 マドラスが負けじと飛ばされた空中で体勢を立て直し、剣を振るおうとするものの、その出来事はそのすぐ後に起きた。

 先端を鋭く尖らせた触手が彼に勢いよく迫り、その腹部を貫いたのだ。

 傷口からポタポタと血が滴り、眼下へと零れ落ちていく。


「……ぐ、ぶっ。に、人間、ごときに……不覚をとったか。だが……ここからだ、本番は。死してからが……我ら真なる魔種ヴォルフベットの恐ろしさ。とくと思い知るがいい」


 マドラスの肉体が徐々にではあるが、スライム状の不定形の肉塊へと変化を始め、テロメアの触手を喰らい始めていく。

 それは周囲の生物を取り込んで再生を図る、魔人タイプの魔種ヴォルフベットの特性だった。

 だが、彼女は触手を勢いよくしならせ、肉塊となった彼を地面に叩きつけた。

 繰り返し、幾度も幾度も。

 しかしそれでもスライム上の肉塊は彼女に纏わりつき、決して離れなかった。


「……あの肉の塊、どんどん大きくなっていってますー。テロメア陛下の肉体を少しずつ喰らって、血肉へと変えているようですけど、このままじゃ……」


 一見すると、まだテロメアが有利にも見える戦況の中。

 しかしそれでも刻一刻と最悪な状況が差し迫っていることを、ユンナは感じ取って危機感を募らせる。このままいけば、負けるのは彼女の方だと。


「メフレ、そろそろ私達も動くべきですよー。でないと、手遅れになりますから」


「仕掛けるなら、今ってことですかねぇぇ。駄目で元々……やるしかないんだったらぁぁ……」


 ユンナとメフレは互いに少しだけ視線を合わせると、覚悟を決めて走り出した。

 未だ上空にて浮かびながら、マドラスの肉塊と戦っているテロメアの元へと。

 だが、その間にも肉塊はより大きさを増し、彼女の肉体を蝕み続けている。

 片やメフレは走りながら右手から呪法を発動させんとし、片やユンナはテロメアの肉体から解かれた触手に飛び移り、上半身へと駆け上がっていく。


「一撃必中っ! 全身全霊、全力全開ですよーっ!!」


 ユンナが叫びながら触手を蹴って、肉塊の真上から握り締めた拳で殴りかかる。

 その真下ではメフレが爆炎の呪法を完成させて、頭上へと放っていた。

 それら上と下からの攻撃が、肉塊の中心部にて同時に炸裂。

 肉塊は雄叫びのような唸り声を上げて悶えたが、それは一時的なことで、すぐさま立て直して猛威を振るい始めた。


「くっ、やっぱり不死身体質な魔人タイプの魔種ヴォルフベット相手に、こんな攻撃じゃ効き目が弱いですかー……」


 攻撃の効果がないと知って、ユンナは咄嗟に背後に飛び下がろうとするも、肉塊から伸びた手のような部位がその足首を掴み……。瞬間、世界が反転した。


「う、ああああっーー!! ……っっ!?」


 ユンナの体は宙吊りのようにさせられ、真上の肉塊へと引っ張られていた。

 それでも彼女は抵抗はしていたが、このままでは下半身から取り込まれていくのも時間の問題だと思われた。


「その汚い腕のような物を、彼女から離すんですよぉぉっ!」


 メフレが真下から何度も呪法を発動させていくが、すべて肉塊から出た腕に弾かれ、そのまま地面で大きく爆炎が上がった。

 もうこの状況を止められる者は、この場には誰もおらず。とうとうユンナは肉塊の中心部に開いた口内へと放り込まれ、その身を取り込まれていった。


「も、もう……ここまで……なんでしょうか。でも、これで私も皆に……会えるってことですよねー……神官長、皆。これで、これで……ようやく私の懺悔の旅は」


 ついに首だけを外に出して、意識が朦朧としているユンナがもう抵抗すら諦めようとしていた時……。めきめきと音がして、肉塊が内側から弾けた。

 血飛沫と共に、肉塊の口内から吸収されかけていた彼女が吐き出されて、地面に向かって落下していく。


「ユ、ユンナぁぁっ!」


 ユンナを受け止めるべく、メフレが走る。

 そしてぎりぎりのタイミングで受け止めた彼女は、上空で燃え盛りながら飛翔している人影を見上げた。

 そこにいたのは……そう、彼女も良く知る帝国六鬼将の中でも最強の人物。


「よお、メフレ。俺が留守の間に頑張ってくれたみたいじゃねぇか。今までご苦労だったな。後は俺が引き受けるぜ、この化け物をぶっ殺す役目はよ」


 それは天の才器『灼熱の王者』を持つ実質的に帝国の頂点、大将軍ネルガル。

 その彼が、この土壇場の窮地でついに姿を現したのだった。

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