第四十二話【激突する二つの力】

 皇居内の通路には夥しい血と、そして死体がうず高く積まれていた。

 マドラスが吠え猛り、皇居の護衛騎士達を斬り伏せ、叩き潰し、殺戮した跡が長々と続いていたのである。

 幸い中央騎士の中でも特に忠誠心が強い人物だけがこの場で任に就いているため、逃げ腰になる者は誰一人としていなかったが……。

 だが、それでも彼らの側が形勢不利なのは、誰の目にも明らかだった。


「陛下、本当にいいんですねぇぇ? 身の安全は保障しませんよぉぉ?」


 そうした惨状を羽虫達の複眼を通して見ていたメフレは、テロメアに最後の警告を飛ばす。しかし彼女の意思は変わらず、刻一刻とその戦場へと近づいていった。


「今、この場で敵をどうにか出来るのは私しかいません。お飾りの私でも出来ることがあるなら、最良の行動は起こすべきでしょう」


「また訳の分からないことを言ってぇぇ。六鬼将のあたしちゃんでも、勝てなかった相手なんですよぉぉ。病弱な陛下にどうにか出来る敵じゃ……」


 だが、そこで一旦、メフレは言葉を中断する。そして全員が息を吞んだ。

 なぜなら自分達が敵の攻撃射程距離内に到着したことを、理解したからだ。

 三人が固唾を飲んで見守る中、通路の曲がり角から凄まじい殺気と威圧感を伴って、あの黒騎士は姿を現した。


「……いよいよ現れました、ねー。テロメア陛下、下がっててくださいー。ここは私とメフレがあいつの相手をしますから……っ」


 そう言うと、ユンナはテロメアを背後に下がらせ、メフレと共に前に進み出た。

 その間にも場の緊迫感が一秒ごとに一段と高まっていき……。

 恐怖心と戦う二人の胸中を知ってか知らずか、マドラスは威風堂々とした足取りで金属の靴音を鳴らせて、一歩また一歩と身構える三人へと近づいてくる。


「そこで止まってください、マドラスさん! それ以上近づけば、こちらから仕掛けさせて頂きますよー!」


 すると、意外にもマドラスはユンナの忠告が聞こえたのか、歩みを止めた。

 だが、全身から放たれる殺気は収まることなく、剣を横に構えて視線を飛ばす。

 それを見たユンナは爪を強く噛みながら、内から湧き上がる恐れを押し殺した。


「テロメア陛下、逃げるなら今の内だと言っておきますからねー……。たとえ私達の二人がかりでも、果たしてどれだけ時間を稼げるか分かりませんから」


「いえ、心配でしたら無用ですよ、ユンナ。彼と私で少し話をさせてください」


 そう言うと、テロメアは迷いのない足取りでマドラスへと向かっていく。

 だが、その一連の動きはあまりに突然で自然であったため、それを見ていたはずのユンナもメフレも一瞬、止めるのを忘れてしまった程だった。


「な、何やってるんですかー、テロメア陛下っ!? き、危険ですよー! 早く戻ってきてください!」


 狼狽えるユンナとメフレを余所に、テロメアはマドラスと正面から向かい合う。

 だが、彼女の表情や仕草からは恐れは微塵も感じられず、堂々たる姿だった。

 気品に満ち、皇帝らしいその振る舞いに、敵であるマドラスですら兜の下から僅かに覗かせる顔を顰めさせたのが見えた。


「大した胆力だ。ここに来るまで己に向かってきた人間共が、命を賭して戦った理由も頷けると言うもの。だが、解せん。お前が死ねばあの者らの犠牲が無に帰すのだぞ? なのに、なぜお前は逃げずに己の前に立つ?」


「お飾りであろうと、皇帝として最善を尽くす。それ以外に理由はありませんよ、魔種ヴォルフベット達を統べる者、宵国の騎士団団長マドラス殿」


 だが、高貴さすら纏う口調とは裏腹に、テロメアのその体はふらついている。

 対して相手のマドラスは三メートルを優に越す巨躯の肉体をしており、力の差は歴然かに思えた。しかし……だからこそ、それが明らかだったからこそ。

 マドラスは逆に彼女のその振る舞いを、不可解なものと受け止めていたのだ。

 理解出来ない彼女に、畏怖の念を感じてしまう程に。


「お飾りの皇帝、か。ずいぶん謙遜したものだ。だが、お前の認識はどうであれ、お前は人心を確実に掴んでいる。やはりネルガルではなく、要はお前なのだ。お前の首を刎ねれば、それで帝国は瓦解するのが肌でよく分かった。手加減はせん。己の全力で以って、お前を殺す」


 そう言い放ったマドラスは、握っている剣を騎士達の死体に翳す。

 すると、死体達から出た無数の赤い魂のようなものが剣に吸い込まれ、死体の方は見る間に崩れて、灰になっていった。

 それを目の当たりにしたユンナとメフレは、これから繰り出されるであろう攻撃を思い描き、冷や汗が頬を伝って床に零れ落ちる。


「己にとって、人間共の魂は極上の美酒。そしてこの技は、弱者を糧に強さを高めていく、この己の最高奥義だ。受けてみろ、皇帝!」


 だが、マドラスが構えた剣が赤い瘴気を纏い始めたのを見て、只ならない危機感を感じ取ったユンナとメフレが、ついに弾かれたように二方向から飛びかかった。

 メフレは正面から、ユンナは真横から突撃し、同時に攻撃を仕掛けていく。


「ああああぁああぁぁっ! 陛下に手出しはさせませんよぉぉっ!」


 打撃武器としての役割も果たす杖を振りかぶって、メフレがマドラスへと迫る。

 そしてユンナは徒手空拳を放つべく躍りかかるが、時すでに遅し。

 一呼吸早く、マドラスは剣を高々と振り上げ、そして剣を右へ薙ぎ払っていた。


 ――瞬間、爆薬が炸裂したのかとユンナとメフレは錯覚した。


 床が爆発して、赤い閃光が剣が振るわれた方向へと通り過ぎていったのだ。

 その規格外の波動を伴った剣圧によって、攻撃に入ろうとしていたユンナとメフレは吹き飛ばされ、壁に叩きつけられていた。壁が衝撃を受け、大きくひび割れる。


「う、ううううううっ!! あ、ああっ!? テロ、メア……陛下っ!?」


 ユンナが叫んだのも無理はなかった。

 その凄惨な光景を見た彼女の目から、一筋の涙が頬を伝って流れていく。

 彼女が目にしたのは……余波を受けた自分達でさえこの有様の攻撃を、まともに正面から受けて、ゆっくりと頽れていくテロメアの姿だったのだ。


「あぅうああああっ!? 陛下ぁぁ、陛下ぁぁああ!!!」


 メフレもまた理性を失い泣き叫ぶが、もう現実は覆らない。

 その上、無情にもマドラスは追い打ちをかけるように、剣の切っ先を床に仰向けで倒れるテロメアの胸に突き立てた。

 ごぽりと傷口から血が溢れて、彼女を中心として大きな血溜りが作られていく。


「意外とすんなりと殺せたものだ。妙な自信を感じたため全力を出したが、不要だったか?」


 剣をテロメアから引き抜いたマドラスはそう呟くと、剣身に付着した血液を剣を振って飛ばし、冷淡に目を窄めた。

 そして今度はユンナとメフレに向き直ると、次なる標的として定める。

 だが、それでも二人の頭には逃げると言う選択肢はなかった。

 なぜなら胸中に渦巻いていたのは、目の前の敵への強い怒りだったのだから。


「っ! っ! っっ!! ああああああぁぁぁっ!! お前は陛下の仇ぃぃっ!! お前はあたしちゃんが、刺し違えてでもっ! 殺してやりますからぁぁ!!」


 だが、激情しているメフレとは違い、ユンナは怒りを抱きつつも意外と冷静に状況を見ていた。

 そしてそんな彼女だからこそ、それを見逃すことなく気付いたのである。


「あ、あれ……テ、テロメア……陛下ー? 今、確かに……」


 そう、ユンナにはテロメアの肉体が僅かに動いたように見えたのだ。

 続けてユンナは、別のことにも気付く。彼女の傷口から流れ出ているのは血だけではなく、他の何かも混じっていることに。

 赤黒いのだが、それは血ではないと目を凝らしたことで分かった。

 なぜなら、蠢きながら彼女の肉体に集まるように移動していたのだから。


「これは、まさかー……」


 そして信じられないことに、むっくりと死んだはずのテロメアの死体が、上半身を起こして立ち上がる。いや、動いている以上、それはもう死体ではなかった。

 無数の赤黒い蛭。そしてそれらが纏う濃厚な密度の障気が、ぐじゅぐじゅと彼女の周囲を蠢き、その肉体に集まるようにして結合していっているのだ。


「な、何っ? 確かに殺したはず……なぜ動いている!?」


 その異様で悍ましい光景に、マドラスも驚いた様子を見せた。

 そして只ならないものを感じ取り、本能的に後退る。

 だが、ユンナとメフレが戦闘の構えを取らなかったのは、テロメアからは自分達に対する悪意は微塵も感じられなかったからだった。


「まあ、いい。死に損なったのならば、今一度己の奥義にて止めを刺すまで……っ」


 マドラスが剣を構えて、振り下ろしたのと、ほぼ同時のこと。

 テロメアから生ずる黒き障気が弾け飛び、通路内を走るように駆け抜けていく。

 そして赤黒い蛭達が結合して形を為したそれは、彼女の元の姿とは異なっていた。

 彼女の今の外見は、上半身から無数の帯状の触手が生えており、彼が放った魔王斬を右手だけで受け止め、逆に凄まじい力で押し返していっていたのだ。


「お、おおおおおっ!!」


 その強さに、異形さに。さすがのマドラスも恐れ戦き、思わず叫んでいた。

 そして異形となったテロメアは、空いている左拳を彼に繰り出すと、その黒甲冑にヒビが入る激しい勢いで殴り飛ばす。

 そしてそのまま彼は壁に激突し、壁を破壊して奥の部屋まで吹き飛んでいった。


「な、何なのだ……。お前は一体、何者だと言うのだ……?」


 マドラスは床に背を横たわらせながらそう呟くが、テロメアはそんな彼の姿を見て笑った。いや、笑ったように見えた。異形となった彼女が浮かべた、一筋の笑み。

 だが、それは元の柔和な性格の彼女とはかけ離れた、無機質な笑みだった。

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