第四十一話【差し迫る脅威】

「どうやら、霧がより深くなってきましたねー」


 大橋を渡りきり、皇居がある島に辿り着いたユンナはまずそう呟いた。

 だが、彼女にとって暗闇は良く慣れた環境であり、目の前に広がる光景も、決して居心地の悪いものではなかった。

 彼女は思う。過去に深い絶望と疎外感を味わった自分にとって、また光の世界で生きたいとは今も尚、決して願ってはいないのだと。しかし……。


「さて、テロメア陛下。今も無事でいてくださればいいんですけどー」


 ユンナはすぐに思考を中断し、駆け始める。

 あまり時間はないかもしれない以上、取り返しがつかなくなる前に、敵もまた向かっているであろう、これから戦場となる皇居に辿り着かねばならないのだから。

 そしてしばらく走った後、霧の向こうから絶叫と剣がぶつかり合う音が聞こえ始めた。それに混じって、無数の羽虫達が飛行している音も。

 間違いなく皇居を守護する六鬼将のメフレと精鋭騎士達が黒甲冑の魔種ヴォルフベットマドラスと交戦している戦闘音だと、彼女は察した。


「っ!? 近い、みたいですねー……果たして優勢なのは、どちらでしょうか?」


 ユンナは駆け足で走って、音が鳴り響く方向へと向かうが、ようやく彼女がそこに到着した時、視界一杯に広がっていたのは死屍累々たる有様だった。

 そしてそれら死体達の中心で、マドラスとメフレが対峙しているのが見える。

 見た所、肩を息をしているのはメフレ。

 だが、マドラスも楽に戦っている訳ではないのか、黒甲冑には羽虫達の体液が付着して、更に焼け焦げた跡が残されていた。


「お前達、六鬼将とやらのことは、己達も聞き及んでいる。人でありながら、魔種ヴォルフベットをも凌ぐ強者としてな。しかしネルガルと言う男がこの場におらず、お前一人なのでは所詮、己の敵ではないな、小娘」


 それでも、マドラスは自信ありげにメフレを指差した。

 だが、メフレの方も動揺する様子もなく、満面に狂気が宿る笑みを浮かべると、右手に構える杖の先端を彼に向ける。


「さて、それはどうでしょうかねえぇ。幸い、お父様がこんな事態を見越して置き土産を残していってくれてましたからねぇぇ」


 すると、メフレの声に続けて、彼女の背後から無数の唸り声がした。

 地響きを起こしながら現れたのは、右手に棍棒を持った鬼の容貌をした巨人一体と、そして十数体の犬に酷似した大型の化け物だった。


「ほう、魔種ヴォルフベットの力を付加して、作り上げた化け物か。さしずめ邪鬼と言った者どもか。だが、お前は認めたと言うことだ。こいつらに頼らなくては、自分だけでは己に勝ち目はないと。失望させられたぞ、お前もまた弱き者か」


 マドラスは地面に突き差していた剣を、ようやく引き抜いた。

 そして両手で柄を握り締めると、正眼に構えてメフレら敵を見据える。

 それを見たメフレは背後の邪鬼達に目配せをすると、無言で指示を送った。


「ぐおぉぉるろおおあああああっ!!!」


 すると、まず最初にマドラスに一番槍で襲い掛かったのは、巨人の邪鬼だった。

 雄叫びを上げながら、巨人は手にした棍棒を振りかざして躍りかかったが、彼が右掌を向けると、三百キロを越すであろう巨体が発動した呪法を浴びて、空高く舞い上がり、地面に激しく叩き落とされてしまう。だが、しかし……。


「っ! 小娘がいない? どこへ消えた?」


 マドラスの視界が巨人の邪鬼の巨体で遮られた間に、メフレの姿は消えていた。

 だが、彼はすぐに気配を探ると、背後から強い殺気を感じ取る。


「安心してくださいねぇぇ。こいつらはただの目晦まし、そしてただの弾除けですからあぁ!」


 マドラスが振り返った時、すでにメフレは彼の背後に移動していたのだった。

 そして彼女の杖の先端は赤く煌々と輝きを帯びており、それは呪法が完成していたことを意味していた。

 瞬間、大火球が十数発も現れ、至近距離から次々と彼に炸裂していく。


「くだらんっ。こんな小細工で己を倒せると思うか……っ」


 だが、マドラスはそれらを掌底で受け止めると、後方の地面が彼に沿って焼き払われていき、激しい火柱が空高く上がる。

 そしてそれが晴れた後、彼は目の前のメフレに剣を真一文字に振るうと、少し遅れてどす黒い瘴気が呪法を放って無防備となった彼女に襲い掛かっていった。


「喰らえ、『魔王斬』っ!」


 それをメフレは杖で受け止めはした。が、明らかに押し負けていた。

 そして耐え切れずにあっという間に皇居の壁に叩きつけられ、そのまま彼女に向かって見えぬスピードで突進したマドラスに腹部に剣を突き立てられたのだ。


「あ、ああああぁぁあ……っ!!」


 口から吐血して、力なく項垂れるメフレ。

 そんな彼女を見下ろしながら、マドラスは剣を引き抜いて言い放った。


「小細工を弄した時点でお前の敗北は決定していたのだ、弱き者よ。この己の剣の錆になれることを光栄に思いながら、逝け」


 マドラスが右手を翳すと、またも呪法が形作られていく。

 だが、それが今まさに完成しようかと言う時、一本の投げナイフが彼の腕に突き刺さって、発動が中断されてしまった。

 咄嗟に振り返った彼が見たのは、一人の小柄な少女。そう、ユンナだった。


「見た顔だな、さっき大橋の前にいた女の一人か。お前も死に急ぎたいなら、この小娘よりも先に逝かせてやるが、己も暇ではない。このまま黙って立ち去るなら、見逃してやっても構わんぞ。死期が他者よりも、僅かに伸びるだけだがな」


「貴方を行かせたら、テロメア陛下を殺しに向かうんでしょう? だったら、見て見ぬ振りは出来ませんねー、全力で阻止ですよ!」


 すると、マドラスは面倒そうに、剣を構えると溜め息をつく。

 そしてユンナを真っ直ぐに見据えて剣を大上段から振り下ろすと、先ほどと同様にどす黒い波動が遅れて彼女に向かって放たれていった。


「お前に見せるには過ぎた技だが、喰らわせてやる。己の『魔王斬』をなっ!」


 ユンナが咄嗟に飛び退き、回避するものの僅かに掠って彼女の腕を傷つけた。

 しかもその傷口からは止めどなく血が溢れ続けている。

 だが、それでも彼女は痛みに耐えながら、笑っていた。なぜなら……。


「油断大敵、ですよー、マドラスさん!」


 突如、マドラスの頭上から大量の羽虫達が降り注いだ。

 瞬く間に彼の体は埋め尽くされ、自慢の黒甲冑が食い散らかされていく。

 彼の背後で息も絶え絶えのメフレが力を振り絞って、操作したのだった。


「……小癪な。これしきで、己を倒せると思うか」


 羽虫達の中からマドラスの声が聞こえ、黒い光の筋が迸り始める。

 その数秒後、彼を中心としてドーム状の黒い光が放たれ羽虫達を消し飛ばすと、悠々と姿を現した彼は周囲を見回し、ユンナとメフレの姿を探し求めた。

 だが、二人の姿はどこにも見当たらない。


「身を隠したか。いや、奴らの狙いは……」


 マドラスは剣を鞘に収めると、皇居に向かって歩き始める。

 だが、その様子を生き残った僅かな羽虫が見ていたことには気付かなかった。

 そしてその視覚情報は、メフレへと確かに送られていたのである。


「あぁああ……やっぱりあの魔種ヴォルフベットの狙いはテロメア陛下みたいですねぇえ」


 ユンナとメフレは一足先に皇居内に移動しており、廊下を駆けながらメフレはユンナにそう告げる。

 どちらも負傷しており、特にメフレの足取りは軽やかではなかったが、それでも二人はテロメアの寝室へと急いでいた。


「なら、まともに戦っても勝ち目はないですから、やっぱり私達で一刻も早く陛下を連れて身を隠さないといけないみたいですねー」


 だが、メフレが羽虫達を通して見ていた視覚情報は、すでにマドラスが皇居内に立ち入ったのを捉えていた。もうあまり猶予は残されてはいなかったのである。

 そして二人がようやくテロメアの寝室の扉を開けた時、そこに彼女が無事にいるのを見てほっと安堵した。


「メフレ、やはり敵襲があったのですね? 状況はどうなっているのです?」


 そこではテロメアがベッドの上で上半身だけを起こしており、すでに深刻な危機が迫っていることに気付いているようだった。

 彼女に心労を与えないよう、敵襲があったことを今まで伏せていたのだが、もうそんな場合ではなくなっていることをメフレは悟り、状況を打ち明けた。


「陛下が予知された通り、敵がもうそこまで来ているんですぅぅ。ですから、逃げますよぉっ!」


 テロメアに駆け寄ったメフレは、その体に接続されている無数のチューブを外していくと、手を貸して立ち上がらせる。

 そして軽く衣服を纏った彼女は、側に置かれた一振りの剣を手に取った。


「部下達が戦っているのに、お飾りとは言え皇帝の私が真っ先に逃げを打つなど、恥ですね……。ですから、せめて敵の姿だけでも見ておきたいのです。世話をかけますが、連れて行ってください、メフレ」


「そ、それは危険ですよぉぉ。けど、また無理を通されるおつもりなんですよねぇえ?」


 メフレは危険を訴えたが、それでもテロメアを説得させられないことは分かっているようだった。

 すでに諦め顔で、可能な限り彼女の意に沿うように働こうと決断した様子だ。


「大丈夫、敵に私を出来ませんよ。なぜなら、私は……いえ、行きましょう、メフレ。そしてユンナ」


 メフレを先頭にしてユンナ、テロメアと続き、三人は寝室を飛び出していく。

 そして羽虫達がその視覚を通してメフレに知らせてくれている、マドラスのいる現在位置に向かって走り始めたのだった。

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