第四十話【見え隠れする彼の幻影】
ウルリナは肝を冷やしながら、何度も背後を振り返り、アガレスと自分との距離を用心深く確認しながら、帝都の街中を駆け抜けていく。
追いつかれたら自分一人では分が悪いと、彼女自身よく理解していたからだ。
「どうやら人々は、すでに騎士達が建物の中に避難させてくれたらしいな。……それがせめてもの幸いか。お陰で自分の身を守ることだけに、専念出来る」
ウルリナはたとえあの
そう、あの触手の怪物を皇居から引き離し、時間を稼げればいいのだと。
しかし奴の移動速度はその巨体とは裏腹に速く、狭い道を通るなどの機転を利かせてどうにか逃げ延びていたが、それにも限界が近づいていた。
「くそっ! 奴め、また跳んだか!!」
アガレスの幾度目かの跳躍に、またウルリナとの距離を大きく縮められる。
距離十数メートルまで接近を許した彼女は、焦燥に駆られて振り返り、フレイムタンから燃え盛る火炎を放って、牽制を行った。
……のだが、同じ手が何度も通用する相手ではなく、無数の触手が地面を滑りながら彼女へと素早く迫り、ついにその足首を絡め取られてしまう。
「くっ……しまった! う、うわああっ!!」
そしてウルリナは足首を掴まれたまま持ち上げられ、頭を下に向けられた状態で宙吊りにさせられてしまった。
一瞬、死をも覚悟した彼女だったが、それでも目は諦めてはいなかった。
すぐに黒剣を振るってその触手を切断することには成功するも、しかし次々と他の触手が彼女の体に巻き付いていき、その身を自身に取り込まんとしていく。
「負けるものか、お前などに。私にはまだやらねばならないことがあるんだ!」
左右の手に握り締める二本の剣を振るって、ウルリナは攻撃の度に叫びながら一本、また一本とそれらの触手を斬り落としていった。
彼女は懸命に死に物狂いに戦っていた。鬼気迫る表情の彼女からはそれが窺え、そんな決して負けられないと言う、強い意志が戦況にも影響を与え始める。
「だあぁああっ!!!」
ついに自身の体を拘束していた触手をすべて斬り落とすと、ウルリナの体は解放されて地面の上を転がった。
その際に受け身を取ってダメージを軽減させると、すぐにまた立ち上がる。
「……ずいぶん時間は稼いだ。後は、ユンナが上手くやってくれていることを祈るしかないが、私にもまだ余力は残っている。お前には、もうしばらく私と鬼ごっこを続けてもらうぞ、アガレス!」
だが、そう言い放ったウルリナがアガレスに背を向けて、再び距離を取ろうと走り出そうとした、そんな時のことだった。
僅か瞬きの間に、彼女の右太腿が細い触手に鋭く貫かれていたのだ。
苦痛に顔を歪めた彼女のその傷口から、血がドクドクと溢れ出していく。
「な、何だと……は、速い。速過ぎる! 触手を弾丸のように射出した、のか?」
足を負傷したことでバランスを崩し、地面に転倒するウルリナ。
冷静に努めて自分の怪我の具合を確認してみたが、足に力が入らずもう走って逃げるのは難しそうだった。
おまけにこの出血では、これからどれだけ抗って戦えるかも分からない。
それだけ足をやられたのは、致命的な負傷だったのだ。
「くそ……しくじってしまったか。安堵した隙をつかれ、とんだ失態を犯してしまったものだ」
地面に突き立てた黒剣を杖代わりに辛うじて立ち上がるものの、すでにウルリナの目は血を流しすぎたことから、霞んできていた。
それでも気力を振り絞って敵を強く睨み見据えていたのは、目的があったから。
そう、タミヤの正気を取り戻させ、帝国を実質的に動かしているネルガル将軍ら六鬼将を倒し、今度こそ父や部下や辺境民の仇を討つためだった。
「負け、んぞ。負けられるものか、私は必ず生き延びて、奴らに復讐を……っ!」
残った力を絞り出すようにウルリナは叫ぶと、逃げるのではなく戦うことに死中に活を見出したのか、覚束ない足取りで地面を強く蹴った。
一足飛びにアガレスに迫った彼女は、大上段に構えた黒剣を全力で振り下ろす。
だが、その一撃は確かにその肉体を傷つけることは出来たものの、動きを止める程のものではなく、逆に再び触手で体中を絡め取られた。
「まだ、まだだっ!! まだ私は……っ!!」
ウルリナ自身は、精一杯抗ったつもりだった。
しかし多量の出血により全身には力が入らず、視界全体も見えなくなり始め、とうとう彼女は手にしていた二振りの剣まで、地面に落としてしまう。
そしてついには彼女の体は触手によって運ばれ、アガレスの体の中心部に巨大な口のように開いた穴の中に放り込まれた。
「あ、ああああっ……!! ど、どこで間違えたんだ? それとも……最初から私には勝ち目などなかったと言うのか? ユンナっ……タ、タミヤ……っ! す、すまない……う、うわあああああっ!!!」
ウルリナは徐々に、体内に取り込まれていった。だが、しかし……。
次第に薄れゆく意識の中、彼女は確かに最後にその光景を見ていたのだ。
彼女の記憶にある見覚えのある人物が、雷光を纏いながら唸りを上げる巨大な槌を振りかざし、アガレスに躍り掛かっている姿を。
「ガ……、ガナ……っ……」
その光景は夢だったのか、それともウルリナの願望が見せた幻だったのか。
どちらにしろ、それを目にした彼女が胸中に抱いたのは、安堵感。
恐怖でも絶望でもなく、頬を緩めた安らぎの表情のまま、そこで彼女の意識は深い闇の中へと沈んでいったのである。
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