第三十八話【逆位置の運命の輪】

 帝都の街並みは先日までとは打って変わって、周囲からは血生臭い異臭がして、全般的に濃い靄が立ち込めていた。

 そして人々の悲鳴の声も、収まることなく帝都中に響き渡っており、それらに混じって、帝都を守る騎士達と化け物達が交戦している戦闘音も聞こえてくる。


「突然の襲撃で人々はパニックになっているようだが、騎士団が対応に当たっているようだな。敵が何者であれ、練度が高い彼らならばそう易々と遅れは取るまい」


 ウルリナは冷静に状況を判断すると、そんな人々を余所目に街並みを駆け抜けていき、ユンナもその後ろに続く。

 しかし見通しの悪いこの濃霧の中では、進むのにも苦汁を舐めさせられた。

 その上、敵はそんな二人にも容赦なく襲い掛かってきたのである。


「ゾンビさん、と言った外見の皆さんですねー。体は腐ってますし、匂いも死臭が物凄いです。魔種ヴォルフベット、ではないようですけど……何者なんでしょうか」


「さあな、それは私にも分からない。ただ……唯一、確かなのはこいつらに知性も意思も感じない。予め定められたプログラム通りに人を襲っている、と言うことか」


 襲い掛かるゾンビを黒剣とフレイムタンの二刀で、鋭く斬り払いながらウルリナは敵をそう分析する。

 魔種ヴォルフベットと言う生物をよく知っているが故に、その違いにもすぐ気付いたのだ。

 この敵に自我はなく、誰かに命令された通りに動いているだけだと。


「急がなければな。こいつらを帝都に放った本命の敵の狙いは、テロメア陛下の身柄か、もしくは命そのものである可能性もある。陛下のお傍には六鬼将の一人であるメフレがいるから、そんな最悪の事態はないと信じたいが」


「はい、手遅れになる前に、ですねー」


 皇居に近づくにつれ、撃破されたゾンビ達の骨や腐肉が多く散らばっていた。

 さすが精鋭の選りすぐりである帝都を守る主力騎士団だけあり、突発的な敵襲であっても対応出来るだけの訓練を受けているのだなと、ウルリナは胸を撫で下ろす。

 が、しかし。それでも彼女の胸中に渦巻く不安は消えてなくなりはしなかった。

 どうも事が上手く行き過ぎている、と。そして……。


 ――警戒しつつ、二人が足元に転がるゾンビの遺体を避けて通ろうとした時。


 突然、遺体の肉片が動いた。複数の遺体同士が結合していき、一つに融合し新たなゾンビとなって立ち上がったのだ。今までよりも、体躯の大きいゾンビとなって。

 それも一体だけではなく、あちらこちらで同じことが起こり始めている。


「ま、まさかっ!? こ、こいつらは……殺されても、死なず。しかもより強靭になって、生まれ直したとでも言うのか……っ!」


「死は次の再生を呼び、融合と強化を繰り返して、生み出され続ける。さしずめ不死の軍隊って感じでしょうかー? これじゃあ、いくら帝都に常駐している五つの騎士団が精鋭でも、苦戦は避けられないかもしれませんね……」


 後退りするウルリナとユンナを、あっという間に再生ゾンビ達は取り囲んだ。

 明らかに再生前の個体と比べて、その動きが比較にならない程に速い。

 つまり厄介なことに、こいつらは蘇る度に強さを増していく性質があるのだ。


「だが、丁度いい。これはさっそく試してみる良い機会だな。ユンナ、リンクアクションをやるぞ。こいつらを相手に、実戦での有効性を確認してみよう」


 ウルリナが目配せすると、ユンナもすぐに察した。繰り出そうとする技を。

 二人が同時に地を蹴り、左右からそれぞれゾンビに飛びかかっていく。

 その動きにはコンマ二秒の誤差もなく、左右からの文字通りエックスにクロスされた斬撃に正面のゾンビはよろめき、崩れ落ちる。


「よし、上出来だ。私達の力が合わさって、より大きな相乗効果を生んでいる。このまま続けていくぞ、ユンナ!」


「はいっ、苦労して習得した技ですもんねー!」


 タイミングよくエックス斬りで攻撃を行う一方で、守護の大盾シールドガードで敵の攻撃を凌ぎ切りながら、ウルリナ達は街並みを駆け抜けてく。

 だが、何度もそれを繰り返す内に、二人は気付いた。

 自分達が倒した敵がもう再度、立ち上がってくることがないことに。


「蘇らない? なぜだ……いや、まさかこの黒剣の力なのか?」


 ウルリナは走りながらも、手にした黒剣を見た。

 すると、ゾンビの肉体を斬り裂いた際に、剣身に付着した血液が音を立てて蒸発していっているのだ。明らかに、この黒剣の特性と見て間違いなかった。


「良い仕事をしてくれたな、ムラクモ殿は。彼の働きに報いるためにも、私達は何としてもこの状況を打破しなくては」


 時間の経過も分かりづらい深い霧の中。ウルリナ達はそれでも走り続けたが、息を切らし始めた頃に、ついに皇居へと唯一続く大橋の前へと辿り着く。

 そこでは当然のことながら、騎士団員達が厳重に守りを固めていた。

 警戒する騎士達が二人の前に立ち塞がり、身元を詰問される。


「なんだ、お前達は? 何か身分を証明するものがあれば、見せるんだ」


「私達は……テロメア陛下をお助けするために来た義勇兵だ。陛下に話を通してくれないだろうか。恐らく、それで身元を証明して頂けるはずだ」


 ウルリナ自身、言ってから下手な言い訳をしたものだと後悔した。

 しかし自分が辺境領の人間であること、しかも辺境伯の娘であることを明かす訳にはいかず、苦し紛れについ咄嗟に口から出てしまったのだ。

 そして案の定、目の前の騎士達は疑惑の目を二人に向けている。


「怪しい女達だ。だが、少なくとも化け物ではないようだし、緊急時故に今はお前達の相手をしている暇はない。だから後で改めて素性を調べさせてもらうとして、まずは大人しく武器を捨てて……」


 それは目の前の騎士が言い終わる直前。あっという間のことだった。

 突然、天から彼に向かって稲妻が光って落ちると、その身を焼き焦がしたのだ。

 そして誰もが唖然として見ていたその一瞬の出来事を、全員の脳が認識した時には、更に続けて無数の稲妻が皇居の守りを固める騎士達へと落雷していった。


「くっ、避けろ、ユンナ! これは自然の落雷じゃない! 恐らくは……っ!」


 ウルリナの叫びに呼応して、ユンナも即座に動いた。そして騎士達も。

 しかし次々と降り注ぐ稲妻に、帝都の精鋭騎士達と言えど避けるのに手一杯で、防戦一方の戦いを強いられている。

 だが、そんな中にあってウルリナは冷静に敵の位置を探り、行動に移っていた。


「見極めたぞ……っ! ユンナ、敵はあそこだ!」


 そう言いつつウルリナは懐から取り出した投げナイフを放つと、何もないはずの虚空にその刃が突き立って止まった。

 すると、そこからくぐもった笑い声が聞こえ始める。


「ブホホホホ……上手く霧に紛れていたつもりでしたが」


 そして霧の向こうから現れたのはウルリナにも見覚えがある、辺境領に築いた野戦築城を襲って陥落させた、あの魔導士の風貌をした魔人タイプの魔種ヴォルフベットだった。

 彼女が放った投げナイフが、奴のその右手に突き立っているのが見える。


「テロメア陛下の訓練が生きたな。投げナイフを携帯しておいて正解だった。ところで貴様の仕業か? 帝都を霧で覆い、あのゾンビ達をけしかけたのは?」


「ウルリナ様、時間を与えては駄目ですよー。あいつ、すでに次の攻撃に入る準備を……」


 ユンナが忠告した通り、名をアガレスと言った魔種ヴォルフベットはもう片方の左手で呪法の発動を行おうとしていたのだ。

 しかしそれを見逃す二人ではなく、今度はユンナが投げナイフを投げ放つと、見事にそれが呪法発動前の奴の左腕に突き刺さり、呪法妨害マジックキャンセラーが成功していた。

 さすが一日がかりで習得しただけはあったと、二人はその成果を実感する。


「これは、これは……ブオホホホ。まさか某の呪法を止めるとは、要警戒人物が意外な所にいたものです。しかし、であれば……こちらも手を変えるだけ故に」


 アガレスはそう言い放つと、まずはゆっくりとウルリナ達を眺め回す。

 そして天を仰ぎ見ながら、耳を劈く雄叫びを上げた。

 それはまるで訓練中に、メフレが羽虫達を呼び出していた時のように。

 まさかと思ったウルリナの嫌な予感が的中し、敵の先陣が場に姿を見せ始めた。


「やはりそうか。今の叫びによって、ゾンビ達を呼んだと言う訳か? 多いな、七、八、十一……いや、全部で五十体は近づいてきているぞ」


「けれど、知性のない彼らが組織的に動いてやって来た、と言うことはー……」


 そう、十中八九間違いない。帝都を襲っているゾンビ達を操っているのは、あのアガレスだとウルリナとユンナは確信する。

 だとしたら奴が自ら姿を現したのは失策だったなと、心中にて呟くと、ウルリナは術者であるアガレスの前へと進み出た。


「技に溺れたな、魔種ヴォルフベットアガレス。ここでお前を倒して、この襲撃騒ぎに終止符を打たせてもらう」


 魔人タイプの魔種ヴォルフベットがいかに強大であっても、ムラクモから受け取った黒剣とテロメア陛下から学んだ技があれば太刀打ち出来ると、ウルリナは自信があった。

 たとえ不死身体質である奴を殺し切るのは無理だとしても、である。


「ブホホホホ……おめでたい考えです。なぜ某が姿を見せたのか、それが分からないのでしたら、すでにこちらの狙いは成功したも同然故に」


「何だと……?」


 すると、その時。空間から暗黒の歪みが生じたと思うと、全身黒ずくめの甲冑を身に纏った黒騎士と言った出で立ちの巨体の魔種ヴォルフベットが現れた。

 それはあのタミヤをも圧倒した魔種ヴォルフベットを統率する者、宵国の騎士団団長マドラスで間違いなく、突然現れたその新手にさすがのウルリナも動揺を隠せなかった。


「さすが人間共の総本山なだけあり、少しは骨がある連中が多いものだ。この場は任せよう。その女共の足止めに全力を尽くせ、アガレスよ」


「御意にございます故、閣下」


 マドラスは悠々と歩き出すと、立ち塞がる帝都の騎士達を無造作に振るった剣で彼らの甲冑をその肉体ごとへしゃげさせ、皇居へと続く大橋を渡っていく。

 その迷いのない足取りは、奴の狙いが皇居にあり、そしてテロメア陛下であることは疑いの余地はなく。ここに来て、ウルリナの心に大きな焦りが生まれた。


「ま、まずいぞ! このままでは、テロメア陛下が襲われるっ!!」


「ウルリナ様っ、待ってください! 今、追うのは無理ですよー!」


 ユンナがウルリナの肩を掴んで叫んでいた通り、前方にはアガレスが。

 そして大小様々なゾンビ達が五十体ほど背後から迫ってきているこの状況では、救援には向かえそうになかった。

 そう、少なくとも、このゾンビ達やアガレスを倒してからでなければ。

 そう判断したウルリナが、頭を切り替えるのは早かった。

 気持ちを努めて落ち着かせると、黒剣とフレイムタンの二刀を構えたのだ。


「ああ、そのようだな、ユンナ。この状況を打開する方法は、一つしかない。まずはあのアガレスとか言う魔種ヴォルフベットの撃破。そして次はあの黒騎士を追って倒す。それが確実で、唯一の方法だと言うことか」


「はい、けど……時間がないのだけは悔やまれますねー。速戦でいきましょうか、ウルリナ様」


 ウルリナとユンナは冷静に前方のアガレスを見据えつつ、並んで立った。

 そしてウルリナが足を深く踏み込ませたのと、ユンナが短剣を下段に構えて、アガレスへ突進していったのはほぼ同時。

 それを迎え撃つように、杖を手にしたアガレスと二人が激突したのは、それから僅かに二秒後に過ぎなかった。

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