明けない夜の帝都

第三十七話【霧に包まれる帝都】

 数時間の休憩の後、始められたのは守護の大盾シールドガードなる技の習得だった。

 二人以上が防御に徹する隊形を組む事で、物理攻撃を軽減することが出来る。

 熟練すればの話だが、物理的な攻撃以外にも呪法の威力までも、その七割をカットすることが可能になってくると言う。


「ですが、この技の精度を高めるにはお互いがそれぞれ信頼し合うことが前提となります。一人でも臆病風に吹かれて及び腰になれば、一気に突き崩されることになりかねません」


 テロメアはウルリナとユンナの顔を交互に見回した後、メフレに指示を送った。

 すると、メフレはにんまりと笑うと、空を仰ぎ見て耳を劈く咆哮を上げるが、ややあって周囲から聞き覚えのある羽音が彼女達の方へと近づいてくる。

 そしていよいよ頭上から飛行しながら現れたのは、あの時の羽虫達だった。


「では、この羽虫達の動きを精確に見る事で、守護の大盾シールドガードを上手く成功させてください。徐々に、一度に襲い掛かる羽虫達の数を増やしていきますから、成功率が安定するまで諦めずに挑戦してください」


「ああ、始めてくれ。無理を押してここまでしてくれている貴方の恩に報いるためにも、必ず最後のこの技も習得してみせる」


 ウルリナとユンナは張り詰めた面持ちで、羽音を立ててこちらを窺っている羽虫達を睨み付けたが、すぐに迎え撃つべく教わった通りの隊形を組んだ。

 そんな二人をメフレは心底愉快そうに一瞥すると、右腕を掲げて言い放つ。


「えへへへへぇっ……陛下のご命令ですからねぇぇ。それじゃ、無事に成功してくれることを祈ってますよぉぉ。お姉ちゃん達ぃぃ」


 メフレの右手が振り下ろされる。

 と、同時に滞空していた羽虫達の一部が、一斉にウルリナ達の元に押し寄せた。

 二人は高めた気により身を肉盾とし、間を合わせてそれらと激突する。


 ――そしておよそ十数回のチャレンジの後、二人は修練を終えた。


「お見事です、ウルリナ、ユンナ。貴方達はこれでリンクアクションの攻撃防御回避の基本をそれぞれ一つずつ身に着けることが出来ました。まだ荒い所はありますが、後は実戦を繰り返せば自ずと習熟してくるでしょう」


 だが、疲労から息を切らせて、ウルリナとユンナは地面に蹲っている。

 そんな二人の眼前に立って、テロメアは柔らかい笑みを浮かべて祝福の言葉を述べると、ウルリナの手を取って、彼女が立ち上がるのを手伝った。


「世話になった、テロメア陛下。この恩は忘れないつもりだ。それと、さっき貴方が言っていた帝都に迫っている危機だが、もし本当なら私も微力ながら手を貸すのはやぶさかではない」


「ええ、ありがとうございます。それでメフレ、帝都の様子はどうですか? 異変があったなら、すぐに知らせてください」


 メフレは目を閉じながらうーんと唸っていたが、やがて目を開くとけろっとした顔で報告してのけた。今の所は、特に異常はないと。

 テロメアが彼女のその言葉に信頼を置いているのは、それが彼女の固有能力、天の才器だからなのだろうと、ウルリナは予想を立てていた。

 恐らくは、あの羽虫達がそうなのだと。


「だが、その前に急ぎ向かわねばならない場所がある。とある鍛冶職人に依頼していた剣が、そろそろ完成している頃なんだ。それを受け取りに行きたい」


「分かりました。ですが、帝都のいつどこで何が起きるのか、正確な時間と場所までは私でも断定は出来ません。くれぐれも気を付けて向かってください」


 ウルリナとユンナはテロメアに頭を下げると、湖に囲まれた皇居と帝都を繋ぐ唯一の橋までメフレに案内される。

 そこでメフレに別れを告げ、確実に強くなった自負心からか、二人は足取り軽やかにその橋を渡っていった。


「ほら、陛下は良い人だったでしょうー、ウルリナ様? あんな人徳のある方が皇帝をしておられる、それだけでも私達にとっては救いですねー」


「ああ、穏やかで信頼できる人柄の人物だったな……」


 そしてだからこそ、ウルリナは初対面の時に自分がとった応対を恥じていた。

 悔いても仕方がないことだが、不敬であったと。

 彼女がそうして負い目を感じて俯き加減で、帝都の街並みを歩いていた時……。

 仄かに帝都を包むような霧が出ているのに気付き、顔を上げる。


「どうやら、霧が出てきたみたいだな」


「はい、急いだ方がいいみたいですねー、ウルリナ様。万が一霧が濃くなってきたら、移動するのも一苦労ですから」


 ユンナのその不安は、的中してしまった。

 ウルリナ達が急ぎ足でムラクモの自宅へ向かっている最中にも、霧はどんどんと濃さを増していったのだ。やがて十数メートル先も見通せない程に。

 それでも何とか帝都の外れにある彼の自宅に辿り着いた二人はノックをすると、扉の奥からムラクモが姿を現した。


「待ってたぜ、お嬢ちゃん達。剣はすでに打ち終わっている。入りな、霧もかなり濃くなってきてるみたいだしよ」


「ああ、お邪魔する。世話になるな、ムラクモ殿」


 自宅兼仕事場に通され、ムラクモから鞘に収められた一振りの剣を手渡されたウルリナは、それを鞘から抜き放ってみる。

 まるで濡れているかのような剣身と、漆黒の色が特徴的な黒剣だった。

 あまりの美しい作りに、彼女は思わず息を吞んだ。


「見事な剣だな。しかも手に吸い付くようで、私の手に実に馴染んでくる。礼を言う、ムラクモ殿。これがあれば大きな戦力になりそうだ」


「気に入ってくれたなら、何よりだな。金はいらねぇから、くれぐれも大事に使ってやってくれ。俺があんたに対して望むのはそれだけだ」


 ウルリナは黒剣を鞘に収め直すと、ユンナと共に満面の笑みを浮かべた。

 これでタミヤに対抗し、正気を取り戻させることが出来ると。

 そしてその前にテロメアが言っていた、帝都を襲う脅威に立ち向かうための武器が手に入ったことが心強かったのだ。


 ――だが、二人が喜び合っていた、そんな時だった。


 扉がノックされた音がした。

 それも一定の間隔で、そして扉を叩く音が次第により激しくなっていく。

 人迷惑を考えないその乱暴さにムラクモは怪訝な表情を見せたが、客が来たと判断したのか、扉へと近づいていった。

 だが、ウルリナがそんな彼を制止した。


「待て、ムラクモ殿。何か様子が変だ。下がっていてくれ、ここは私が出よう」


 ムラクモを室内の奥に下がらせて、ウルリナは扉のノブを掴むと、やがて意を決したように一気に扉を開け放った。

 すると、そこにいたのは……腐敗した肉体は皮膚を纏わず、強靭な筋肉と巨大で鋭い爪を持ち、脳が露出した化け物と形容すべき、異形の生物だった。


「やはりな。覚悟はしていたとはいえ、ついに始まったと言うことか。敵勢力による帝都の襲撃がっ!」


 ウルリナはそう叫ぶや否や、受け取ったばかりの黒剣を抜き放ち、化け物の頭上から真下にかけて、真一文字に全力で振り抜いた。

 化け物は濁った色の血液を撒き散らしながら、体が左右に分かれて倒れる。

 マイスター鍛冶職人の作に違わないその見事な斬れ味に感嘆しつつも、彼女は黒剣の鞘をフレイムタンが収まった鞘と共に二本差しした。


「ユンナ、テロメア陛下の元に急ぎ向かうぞ。この様子では、すでに帝都内にはこんな化け物達が入り込んでいそうだが、強行突破していく」


「分かりました、ウルリナ様ー。ムラクモさん、そういうことですので、私達はもう行きます。戸締りをして、絶対に外へは出ないでくださいねー」


 あんな化け物を見ても平然として動じず、ムラクモは「ああ、お前らこそ気を付けて行けよ」と気遣いの言葉さえ送ってくれたのだ。そんな彼の肝の据わり具合にウルリナ達は感心すると、彼の自宅を飛び出した。

 すると案の定、敵は先ほどの一体だけではなく、こんな帝都の外れにもかなりの数が入り込んでいるようだった。


「厄介だな、この見通しの悪い霧の中では進むのも一苦労だ。いや、もしかしたらこの霧さえも敵の仕業の可能性がある訳か……」


 人通りの少ないここでさえ人の悲鳴が絶えず聞こえており、これでは帝都の中心街ではパニックになっているかもしれないと、ウルリナは悪い想像をしてしまう。

 だが、帝都には五つの主力部隊が防衛しており、敵が何者であってもそう易々と落とされることはないはずだと、自分に言い聞かせた。


「……皮肉なものだな。辺境領を焼き討ちされ、帝国中央への復讐を誓った私が、今はそんな奴らのために戦おうとしているんだからな」


 ウルリナは駆け足で先を急ぎながらも、そう自嘲する。

 やはり自分は殺されゆく人々を黙って見過ごすことが出来ない性分なのだと、改めて自分という人間を理解していたのである。

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