第三十六話【帝国皇帝、テロメア】
ウルリナが目を開いた時、どこかの寝室らしき部屋にいた。
彼女ははっとして辺りを見回すが、室内は明るく、幾つ物のチューブやパイプ、生体部品というのか、そうしたものが律動的に音を立てていた。
そして部屋の中心ではベッドに寝そべったブロンドの髪の女性が、それらの生体部品と繋がって一体化していたのである。
「こ、ここはどこなんだ? あ、貴方は?」
ウルリナが女性を見やると、女性もまた顔を上げて彼女を見やった。
女性はニコリと微笑むが、害意は感じられず、ウルリナは状況を飲み込もうと頭を目まぐるしく回転させた。
なぜ、自分がここにいるのか、そして意識を失う前に起きた時のことを。
「心配はいりません、私には貴方を傷つけようと言う意思はありませんから。お連れの方も先ほど貴方より一足早く目を覚まされたので、食事を取って頂いてる所です」
穏やかな口調の女性の言葉を聞きつつも、ウルリナは警戒を怠らず、そして自分の腰に差していたフレイムタンがなくなっていることにも気付く。
「無事なんだな、ユンナも? 失礼だが、貴方は何者でここはどこなのかを教えて頂けるか?」
「私の名はテロメア。このガスタティア帝国の現皇帝を務めています。そしてここは帝都ギルダンの中心部にある、皇居の私の生命維持室であり、寝室です」
ウルリナは思わず、目を丸くして耳を疑った。
限られた者しか立ち入れないと聞いている皇居に今、自分がいる事実と、目の前のベッドで床に就いている女性が皇帝を名乗ったことに。
「貴方が、現皇帝!? では、辺境を焼き払う命令をした……張本人か!」
「辺境領のことは申し訳なく思います。ですが……」
父の仇、部下達の仇、民達の仇。
その元凶を目の前にしてウルリナは一気に頭に血が上り、しかし表面は穏やかを装って、テロメアへと一歩また一歩と近づいていった。
そして拳を振り上げて、彼女へと殴りかかろうとした、その時。
「困りますねぇぇっ。寛大にもお姉ちゃんを拘束もせずにおいた陛下のお心を踏みにじって、手を上げようとするなんてぇぇ」
ベッドの下から幼い少女の声がした。
その声は前に帝都で交戦したメフレのものであり、ベッドの下から素早く姿を現した彼女はウルリナの足首を掴むと、床に押し倒した。
「くそっ! よくも父を、皆を! 絶対に許さない! 殺してやるぞ、皇帝!」
「陛下に不敬ですよぉっ、お姉ちゃんっっ!」
メフレは口汚くテロメアを罵るウルリナの口を手で塞いで、床に押し付ける。
それでも手足をばたつかせて暴れるのをやめないウルリナだったが、そこへ扉が開いて部屋に誰かが入ってきた。
咄嗟にそちらへと顔を向けた彼女が見たのは、驚いているユンナの姿だった。
「ウルリナ様っ、落ち着いてくださいー。こ、この方は……帝国のっ!」
「ああ、皇帝なんだろう!? なら、私の仇だ!」
やがてメフレに体を縛り上げられたウルリナは大人しくなったが、無言のまま目だけはメフレとテロメアを殺意を込めて睨み付けている。
そんな彼女を、ユンナは穏やかな口調で宥めようとしていた。
「ウルリナ様、確かにこの方は皇帝ですが、実質的に帝国を動かしているのはネルガル将軍なんです。だから、この方は辺境での虐殺に関知はしてません。テロメア様も辺境領でのことを、心苦しく思われているんですよー」
「お前はそれを信じたのか、ユンナ? この女が自分で言ったことなんだろう?」
ユンナは少し言葉に詰まった様子だったが、テロメアの姿をよく見るように促すと、この部屋の設備と彼女の姿をウルリナに説明し出した。
「何もおかしいと思わないんですかー、陛下の痛ましい姿とこの機械の数々を見て。陛下はこれらによって、辛うじて生かされているんです。こんな陛下が何を出来ると言うんですか、ウルリナ様ー?」
「……っ」
そこでようやくウルリナの表情に、戸惑いの色が浮かぶ。
そして改めてテロメアの姿を眺めながら、話題を辺境領での虐殺のことから今の状況について切り替えると、彼女に質問した。
「どうして私をここに運んだ? 殺そうと思えば殺せたはずだが、生かしてここに連れて来たと言うことは目的があるはずだ」
「分かりました、順を追ってお話ししましょう。先日のこと、私は未来を見たのです。流転者である彼女と共に、世界を正しい方向に明るく照らす出す、希望の光が帝都に向かっている未来の夢を」
抽象的な言い方だったが、テロメアは夢で見た未来とやらを強く信じている様子だった。まるで彼女にとって、それは信じるに足る真実味を帯びているかのように。
そして次に流転者と言う言葉に、ウルリナは反応した。
十万の
「私は貴方達を援助したいと思っているのです。今はまだ小さな光に過ぎない貴方とユンナが悪しき敵に負けてしまわないように、歴代の皇帝に伝えられている秘伝の技をお教えするため、メフレに無理を言って連れて来てもらいました」
「秘伝の技……? それを私達に教えるだと?」
テロメアはメフレに自身を機械と繋いでいるチューブを外してくれと頼む。
メフレは驚いた表情で拒んだが、再び女性が懇願するように頼むと命令であるならばと、止む無くそれらを取り外していった。
そして彼女はベッドから降りると、衣服を軽く身に纏って皇居の外に出るようにウルリナとユンナに促して、先に部屋を出ていった。
「あれらを外して大丈夫なのか? 生命維持装置だったんだろう? いや、それだけ本気だと私に覚悟を見せた、と言うことか」
「行ってみましょうー、ウルリナ様。陛下があそこまでしてくれたんです、その気持ちに報いるためにも。それにきっと損はしないはずですよ、私の勘ですけどねー」
ウルリナもそこまで覚悟を見せられては無視は出来まいと、一先ず納得する。
そしてユンナに縄を解いてもらうと、案内してくれるメフレを先頭に皇居内の出口を目指して歩き、しばらくした後に外に出た。
そこは湖が見える広い庭が広がっており、先に到着していたテロメアが三人を待っていた。
「来ましたね、ウルリナ、ユンナ。これから貴方達には、初代皇帝が
テロメアは手にしていた模造剣の先端を地面に突き立てると、彼女達が聞き慣れていないであろう、その名称の技術を説明するように続ける。
だが、隠そうとはしているようだったが、やはりその体はどこか辛そうだった。
「リンクアクションとは二人以上が協力して使う連携技ですが、使いこなすにはお互いを信頼し合う心と、練度が不可欠です。習得するには長い時間をかけて学ぶ必要がありますが、この身の私ではそれは叶いません。故に、攻撃、防御、回避の基本技をそれぞれ一つだけお教えします」
何を教わるのか内容を飲み込めたウルリナとユンナの顔を交互に見ると、テロメアは今度はメフレの方に視線を向けて、二人の特訓を手伝うようにと頼んだ。
言われた通りにメフレはちょこちょこと歩いて、二人の前へと立つ。
「彼女の強さは、貴方達も身を以ってご存じかと思います。ですが、貴方達の二人がリンクアクションを上手く扱えるようになりさえすれば、勝てないまでも一矢報いることくらいは出来るでしょう。手始めに教えるのは、エックス斬りと言う技です」
テロメアは用意していた模造剣をウルリナとユンナに手渡すと、両者の息を合わせること、力やスピードを統一させる事、それに攻撃に移る際の足運びが成功の肝である事を説明し、いよいよ訓練に入った。
――そしてその訓練は一時間に及んだ。
どうにかエックス斬りの習得に成功したウルリナとユンナは、疲労で庭の上で大の字になって寝転んでいた。全身からはびっしょりと汗を滲ませている。
言うは易く行うは難し。戦闘の流儀がそれぞれ違う二人が息を合わせることは、存外難しく、三十回目の挑戦にして、やっと安定して成功させられるようになった。
「ようやく物にしましたね。ですが、今度の技の習得は更に難しい。しかし会得さえすれば
その説明にウルリナは目に火が付いたように、体を奮い立たせる。
その強い想いが、彼女の闘争心を燃え上がらせたのだ。
その様子を頼もしく思うと、テロメアはさっそく次の訓練に移った。
「次の技は、
「はーいぃ、了解しましたぁぁ、陛下ぁ」
――
呪法を発動する相手もずっと立ち止まっている訳ではなく、走ったり歩いたりして移動していることがざらだ。
一人がそんな相手の目を逸らしながら、もう一人が石なり矢なりで狙い打つのは、慣れていなければ厳しい。
タイミングを間違えた瞬間に、呪法が発動してしまったり、対象に回避されてしまったりと、一日を要する訓練となってしまったのだ。
「及第点と言った所でしょうか。後は実戦で磨いていってください。では、最後の技の訓練ですが、これはそこまで難しいものではありません。まずは休憩を挟んでから訓練に取り掛かりましょう」
「はいー、それじゃ少し休みましょうか、ウルリナ様ー」
ユンナは一日も続いた訓練の疲労から、一緒に休もうとウルリナに声をかけたが、
しかしウルリナは地面に座って、体を楽にしつつ、テロメアを黙って見ていた。
だが、その目はどこか複雑そうだった。
自分を確実に強くしてくれたことへの感謝と、まだ晴れない彼女への不信感が入り混じった割り切れない気持ちがあるのだろう。
それを察したユンナは「気が済んだら、すぐに来て下さいね」とだけ彼女に言い残すと、先に皇居内の一室へと休憩するために消えていった。
「貴方は平気なのか、テロメア? その体、ずいぶん苦しそうに見えるが」
「私は構いません。貴方達にリンクアクションを教え終えるまでなら、まだ何とか持つはずですから」
現皇帝だと言う、テロメア。
だが、その物腰は穏やかで、目にも邪なものは宿っていない。
辺境伯の娘として大勢の人間を見てきた経験から、彼女が悪人ではないのはウルリナにも伝わってきていた。
自分の中の復讐心を彼女にぶつけるのは、お門違いなのだろうとも。
だからこそ、ウルリナは彼女に尋ねた。
こんなことをして、自分の立場が悪くなることはないのかと。
「どの道、私はこの体です。未来を見通す力に価値を見出されているため、彼らも私を亡き者にすることはないでしょうが、その時はその時です。貴方達に力を貸すことに迷いはありませんよ、ウルリナ」
「……そうか、覚悟の上だと言うことか。さっきは、その……すまなかった。貴方にネルガル将軍らを止めることなど、出来るはずなかったと言うのにな」
突然、しおらしくなったウルリナの態度に、テロメアは苦笑する。
そしてそんな彼女に歩み寄り、肩をぽんと叩いて彼女の今日の頑張りを労った。
しかしその目は何かを悟っているかのように、いや、何かを用心しているかのように真剣そのもので、彼女の耳元に顔を近づけて告げた。
「危機が迫っています、この帝都に。今日……遅くとも明日には何かが帝都に害意を持ってやって来る。対抗するには、きっと貴方の力も必要になるでしょう。だから今はゆっくりと体を休めて下さい。何が来ても、立ち向かえるように」
いきなり告げられた予言の言葉に戸惑うウルリナだったが、テロメアはブロンドの髪に手を当て、彼女から離れていく。
それが起きうる未来なのだとしたら……この大陸の、人類の中心地を脅かす力を持った何かとは如何なる存在なのかと、戦慄を隠しきることは出来なかった。
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